鬼怒川水害まさかの三坂 4

 

20, Sept., 2019

 

 3ページにひきつづき、29枚の写真(動画からの切出しを含む)から、三坂の決壊・破堤の経過を読み取ります。写真7から13までです。

 

 

 写真のタイトルは、連番と撮影時刻(複数ある時はアルファベットで枝番)とします。

 前ページでは住民が撮影した写真1と2、国交省の大型ポンプ車がはじめて越水に気づいた時の写真3から6までの、2セット6枚を見ました。

 このページでは、委託先企業の巡回車からの写真7から10と、たまたま堤内地で氾濫に気づいた国交省職員による写真11から13までの2セット、7枚を見ます。

 

 写真や地図は、クリックすると別ウィンドウになり、虫眼鏡ツールで拡大表示できます。



写真 7, 8, 9, 10

 

 前パージで見た大型の排水ポンプ車が越水を発見して走り去ってから約50分後の12時00分から04分に、こんどは「状況把握員」がライトバンでやってきて撮影したのが写真7から写真10までの4枚です。越水が激しくなったのに、軽量級のライトバンです。おそらくトヨタのプロシードでしょう。20cmほど冠水している普通の道路を走る程度ならなんとかなるでしょうが、幅3mしかない堤防天端で、右は対岸まで400mあまりの一面の茶色の濁流、左は斜面を氾濫水がザバザバ流れ下り、ぽっかり大穴まであいているのです。天端上での越水深は、あとになって20cmくらいだろうと言っているだけで、その時はどの程度かはわからないのですし、もし流されて大穴に落ち込みでもしたら生きて帰るのは無理でしょう。よくもまあこんなところを突っ切って写真まで撮ったものだと思います。

 「堤防検討委員会」資料では、大型ポンプ車と、このあとここに到達する「河川巡視員」、そして写真21以降を撮影したのは「国交省職員」だとして、この「状況把握員」とは区別しています。「状況把握員」とはふだんから河川巡視業務を委託されている下請企業の従業員のようです。この日この時のために臨時的に派遣されたというわけではないでしょう。

 大型ポンプ車が通りかかって越水を発見(11:11)してから約50分後というのが、早いのか遅いのか、判断に迷うところです。大型ポンプ車が鎌庭(かまにわ)出張所(常総市新石下〔しんいしげ〕)に飛んで帰り、越水を下館(しもだて)河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)に報告したうえで、三坂に決死隊を送り込むとして、もしその場に無聊の人と車がいて、あわてて飛び出せばここに到達するのは10分ほどです。「堤防調査委員会」の第1回会合の時の資料(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000632889.pdf)では、提示された写真は5枚だけしかなく、そのうえ破堤前のものはこの8、9、10だけで、8には「11:46」と妙に細かな時刻がしるされていたのですが、だいたいそういうところでしょう。ところが、第2回会合で何の説明もなく「12:00」に変更されたのです。訂正後の「12:00」だと、やや間があきすぎますが、他に行っていたのを携帯電話で呼び出して急行させたというのであれば、そのあたりでしょう。いずれにしても大型ポンプ車の報告内容を知った上でここに送り込まれたとすれば、の話です。連絡・指示なしにたまたま通りかかり、ひどく越水しているのを現認して写真撮影した可能性が高いでしょう。

 「越水直後と思っていたが、徐々に深くなり不安」というのは、いささか要領をえない説明です。「越水直後と思っていた」というと、現場を見る以前に越水の事実を知っていたような言い方ですが、そうだとすると「越水直後」というのはひっかかります。50分も経っていては「直後」ではないでしょう。あらかじめ知っていたわけではないでしょう。「徐々に深くなり」というのは、B区間からE区間へ進むにしたがい、という意味でしょう。

 なお、越水している堤防へと、ライトバンで天端上を走行してくるというのは素人考えではありえないことのようにも思ったのですが、このあとの「河川巡視員」は300m手前の坂路から、同じように天端に車で上がって走行してきたわけですし、そもそも氾濫時に一番標高が高くて安全なのは堤防の天端であり、素人ならぬ専門職の判断であり最善のことなのでしょう。危険だと思えば引き返せばいいのですから。

 このあとの写真11から13までの3枚を撮影した「河川巡視員」が、数分後にやはり上流から車でやってきます。こちらは「県道357号線の冠水発見し、上流の坂路から天端にあがり」と、たまたま堤内の冠水をみつけてやってきたのであり、越水の事実を知らずに来たと明確に述べています。だとすると、写真7〜10の「状況把握員」も越水を知らずにやってきたということも十分ありうることです。

 越水「発見」から1時間弱で状況がどうなったかを知るうえでは重要な写真ですから、順に見ることにします。

 


7(12:00a)

 「状況把握員」がライトバンで通りかかって撮影したという写真です。

 この写真7と8から読み取れるC区間以遠の状況については、このあと写真5、6と比較しながら検討することにして、とりあえずB区間の状況だけを見ておきます。

 B区間下流端近くのケヤキの陰が暗くてよくわからないので、露出補正したところ、ケヤキの根元に白いスチール製物置があるのがわかりました。


 この物置は結局流されず残りました。コンクリート基礎にアンカーボルトで固定されていたのではなく、たんに置かれていただけのようです。基礎に固定されていなかったが、工場の建物とケヤキの幹の間に引っ掛かって流されずにすんだのでしょう。

 水害後に応急措置としてケヤキの根元に土砂をいれて土嚢を積む際に、このように建物の入隅に移動したようです(2015年12月15日、下流側から上流方向を撮影)。



8(12:00b)

 7から約10m進んで撮影された写真です。まずB区間の状況だけみることにします。7同様に露出補正したところ、7では木陰になっていた加藤桐材工場の赤い腰壁の建物が見えます。

 天端の水面の波立ちかたからするとB区間のうち下流端近くのケヤキの手前側、赤い腰壁の建物のあたりの越水が激しいようです。撮影者の足元付近ではアスファルトが見えていて、先にいくほど越水深が深くなっているのです。その越水深が深いところの法面下に、ケヤキ、物置、赤い腰壁の建物があるのです。

 さきほど、水害後の写真で種明かしをしてしまいましたが、ケヤキの根元の周囲の地面だけはずいぶん掘削され、建物の薄い壁は多少歪みはしましたが、それらは3つとも残ったのです。



5(11:11a)と7(12:00a)、6(11:11b)と8(12:00b)の差分

 

 写真7と8は、写真5と6から50分近く経過したのち、別の人によって撮影されたものです。写真5と7は、それぞれほとんど同じ位置からまっすぐ下流方向を向いて撮影され、しかも写っている範囲もほぼ同じです。写真8は、写真6より10mほど進んで撮影されていますが、それ以外はほとんど同じです。

 写真5と6は、大型車両の助手席から、フロントウィンドウ越しに撮影されたもので(画面左上にアンダーミラーが写り込んでいます)、いっぽう写真7と8はライトバンの助手席から降りて、おそらく車両の左前部あたりに立って撮影されたもののようです。広角レンズ(ズームレンズのワイド側)で助手席に座ったままだと、ボンネットどころかダッシュボードや窓枠まで写ってしまいますから、車外に出たことはあきらかです。

 写真5と7、写真6と8は、それぞれうっかり取り違えてしまっても不思議でないくらい同じような写真です。ふたつの絵を並べて、違うところが5箇所あります、どこでしょう?式のクイズのようですが、各々を横に並べて見比べることにします。ここではさきほどやった写真7と8の露出補正はせずに並べます。(上段左=5、右=7、下段左=6、右=8。なおスマートフォンでは縦一列)

 



 

 左(5、7)は大型車両で視点が高く、右(6、8)は小型のライトバンで視点が低いため、角度が違って見えます。同じような写真だと思いましたが、こうして並べてみると、ずいぶん見え方が違うのです。時間的変化(つまり状況の変化)と混同しないよう注意しなければなりません。そのうえで約50分間の変化としては、

 上段左=5と右=7を比べると、まず天端に氾濫水がつくる斜めの線が、上流側に移動しています。わかりにくいのですが、俯瞰の角度の違いに騙されないように、とくに川表側天端の草の生え方を基準にして判断すると、3mないし5mくらい移動したように見えます。水位が上昇したということです。

 つぎに、下段左=6と右=8を見比べて、この約50分間の変化を摘記します。同一地点を結ぶ直線が平行でないうえ、水平にならずに傾くのは、(関東地方整備局の広報資料のように)雑に引いたとか、対応しない点を結んだとかではなく、俯瞰する角度の違いによるものです。

 

 B区間では越水の深さが増し、下流側のケヤキのあたり、6では見えていた河道側の天端の草が、8ではほぼ水没しています。

 C区間の上流側の天端は冠水していたものの越水していませんでしたが、8では河道側の草の天端が冠水してしまっています。(この写真8ではよくわからないのですが、あとの写真11、12によりC区間の上流側でも越水していることがわかります。)

 D区間は、川表側の草が水面上に出てていますから、8でも越水していないように見えます。

 E区間は手前のD区間の草で隠され、よく見えていませんでしたが、8では越水深が増して激しく越流しています。法面下の氾濫水も増えています。(もちろんそこにずっと溜まっているのではなく、どんどん堤内地へ流入しているはずです。(この直後にやってきて写真11から13を撮影した「河川巡視員」が、「県道357号線の冠水発見し、上流の坂路から天端にあがり」と、ここにやってきた理由を述べています。すでに県道までは氾濫していたのです。)

 それまで見えていた天端の草が見えなくなったことから、、きわめて大雑把な目測ですが、鬼怒川の水位は10cm程度上昇したようです。2〜3cmということはないし、かと言って何十cmも上昇したということもないでしょう。

 

11:11から12:00の水位差は10cm程度とみてよいか

 

 念のため、この11:00から12:00ころの水位の変化のデータと突き合わせてみたいところです。この地点での水位観測データがあればよいのですが、ありません。水位測定用の棒とか建造物に貼り付けたスケールとかがあって、それを誰かが記録していれば好都合なのですが、そもそも測定施設はありませんし、越水が始まった時刻すらわからない状況ですから、だれかが張り付いて記録をとっていたなどということもありません。やむをえないので、別の地点の自動記録式の水位流量観測所のデータを見ることにします。下は、別ページで若宮戸の氾濫について検討した際のものです。かりに午前6時の水位(若宮戸で氾濫が始まったのはその数十分前です)に青枠をつけ、そこから増水したあとで水位が低下し、ふたたび同じ水位以下に戻った時点に緑枠をつけてみると、その青枠と緑枠の間隔が下流ほど長くなります。よくある水位のグラフの形状でいうと尖るのではなく、なだらかになるわけです。下流にいくほど高い水位が長時間にわたって続いていたということです。越水が起きればその時間が長くなるのはもちろん、堤防とくに水深の深い部分に高い水圧がかかり、堤防に浸透しやすい土質の部分があると、そこから地中を通って堤内地側に浸潤して堤体を破壊する可能性が高まるのです。

 常総市の3大氾濫地点(若宮戸の2か所と三坂)はいずれも鎌庭(かまにわ)水位流量観測所の少し下流です。

 

 この「鎌庭」は度々登場する地名ですが、かつて(おそらくその地目の由来となった)大蛇行部がありそれを1935(昭和10)年完成の鎌庭捷水路(しょうすいろ)でショートカットした現在の下妻市鎌庭のことです。下館河川事務所鎌庭出張所はその鎌庭にあったのですが、名前だけ持って現在の常総市新石下(しんいしげ)に移転したのです。出張所名が必要もないのに元の地名を踏襲したことと、三坂の破堤点のすぐ近くが鎌庭出張所がある新石下の飛び地だったことが、2015年9月10日から11日朝まで、三坂の破堤地点を新石下と取り違える原因をつくった、というのが当 naturalright.org の推測です(別ページ参照)。

 

 三坂(21k)の水位変化については、若宮戸(25.35kと24.63k)より約3〜4km下流にあたるわけですから、同様に主として鎌庭水位流観測所のデータを参照し、水海道水位流量観測所のデータを加味して判断するのが妥当でしょう。そうすると、三坂の6kmほど上流の鎌庭水位流観測所では、11:00から13:00あたりで変動幅数cmのなだらかなピークとなっています。

 いっぽう三坂から10km下流の水海道水位流量観測所では12:00から14:00が同様に変動幅数cmのなだらかなピークとなっていますが、その12:00までは1時間あたり数十cmの急激な上昇が起きています。

 途中の変化要因、たとえば三坂21kの対岸にある篠山排水門からの将門川(しょうもんがわ 平将門〔たいらのまさかど〕由来の名称)の流入の有無(不詳、おそらく閉鎖)や、河床や寄州さらに堤防などの横断面形態の変化など、さまざまの要因があるので一概にはいえませんが、この鎌庭水位流量観測所(27.34k)と水海道水位流量観測所(10.95k)との間の、おおむね3:5の内分点である三坂(21.00k)では、11:00から12:00に10cm前後の水位上昇があったとしても、格別不合理や矛盾を生ずることはないといえるでしょう。すくなくともその間に水位が下がることはなく、少々上がることはありうる、しかし20cmも30cmも上昇したということはないだろう、という程度のごく大雑把な推定です。以上、あらずもがなの推測ではありますが、写真から読み取れる事実と整合的だとみてさしつかえないでしょう。

 

 

北から順に(いずれも左岸)

 川島水位流量観測所 45.75k

 平方水位流量観測所 37.27k

 鎌庭水位流量観測所 27.65k

 若宮戸の氾濫地点(ソーラーパネル) 25.35k

 若宮戸の氾濫地点(市道東0280号線) 24.63k

 三坂町の決壊地点 21.00k

 鬼怒川水海道水位流量観測所 10.95k

 

南端が利根川への合流地点(距離表示起点=0k)

(Yahoo地図の「水域図」に6地点を記入)

 この表は、国土交通省が「水文データベース」(http://www1.river.go.jp/)で公表しているデータから、4観測所の氾濫前後30時間における、1時間ごとの水位データをコピーし、表計算ソフトに並べてペーストしたものです(1か所だけマイナス符号の誤記があったのは削除しました)。

 それぞれの観測所のデータの経時的変化の趨勢をごらんください。

 黄は計画高水位を超過している水位、橙は各地点のこの期間の最高水位です。川島と鎌庭では計画高水位を超過しなかったのです。大雨ばかり強調して、不可抗力の自然災害で国交省には全然責任がなかったといい抜けようとしたのには、この都合の悪い事実から目を背けたいからです。

 青枠は「若宮戸」の氾濫開始時刻とされる時刻(2015/09/10 06:00)の水位、緑枠はそれ以降上昇した水位が、その水位以下に戻った時点の水位です。青枠と緑枠の間隔が下流ほど延びます。下流にいくほど高い水位が長時間にわたって続いていたことがわかります。鎌庭と水海道の中間にある「若宮戸」や「三坂町」は、この傾向を共有していたと想定できますから、長時間にわたる氾濫により大量の河川水が流入したことになります

 水害の被害の大小は、氾濫時間の長短=氾濫水の多少にも依存しますから、この点を評価することは重要です。



9(12:04a)

 B区間下流端のケヤキの位置の天端からやや斜めに川裏側を見下ろした写真です。右がケヤキ、赤い腰壁が氾濫後も残った加藤桐材工場の建物です。激しく越水しています。川裏側法面の下部(法尻〔のりじり〕)が洗掘され穴が掘られつつあるように見えます。


 しかし、「ように見え」るだけです。後日(2015年12月15日)見るとケヤキの根元あたりには仮復旧時の砂が投入され土嚢が積まれてはいるものの、建物はほぼそのまま残っていて、窓ガラスも割れていません。枯葉は水害後にケヤキから落ちたもので、木材は屋根から落ちたものです。ただし屋根まで冠水して破壊されたというのではなく、建物の傷みは水害前から進行していたようです。

 なおこの写真は、仮堤防がつくられフェンスで仕切られ立ち入り不可能なため、水害当日の写真9の撮影位置とは異なります。ケヤキと加藤桐材工場の建物の向こうに見えているのは、このあと写真14〜20のVTRを撮影した住民宅(住宅1)です。2階のベランダがすこし見えていますが、その角が撮影地点です。



10(12:04b)

 破堤前の写真のなかで最も注目された写真です。

 関東地方整備局の広報担当者が、さきほどの写真7や写真9とともに「越水による破堤」というストーリーを、あたかも真実であるかのごとく印象づけるために使った写真です。

 天端を越えて、川裏側法面をザバザバ流れ落ちる氾濫水! それによって掘り崩される法尻(のりじり 法面の下部)! もうすぐここで破堤する! これぞあきらかな証拠写真、というわけです。


 

 次は、「鬼怒川堤防検討委員会」の諸先生方に、関東地方整備局河川局の広報担当者が提示した資料です。1枚目が2015年10月5日の第2回会合のための資料の25ページ、2枚目が2016年3月づけの最終報告書の3-37ページです。一見同じもののようですが、最終報告書では、「浸透」についての記述が増えています。

http://www.ktr.mlit.go.jp/river/bousai/index00000036.html

 


 

 この「まさかの三坂」7ページまで検討を進めたうえで、この4コマ漫画の虚構性の全体をあきらかにするつもりですが、今の時点で大雑把に述べておきます。

 

 この4コマはいずれも別の地点の写真です。各地点について、各時点つまりSTEP1からSTEP4までを通して、観測し撮影した写真はないのですから、やむをえないといえばやむをえないのですが、だったらそう断りをいれるべきでしょう。ここまで「まさかの三坂」の3ページと4ページで写真を9枚みてきてあきらかなように、STEP1はB地点、このあとあきらかにしますがSTEP2はE地点、STEP3はC地点とD地点の一部、STEP4は全景(翌日朝7:08、鬼怒川の水位が下がって堤内地から氾濫水が河道側に逆流しています)です。

 (い)STEP4の「200m」は、「まさかの三坂」1ページで述べた通り、その大部分は最初に破堤してできた断面が洗掘され、縦断方向に(上流方向ならびに下流方向に)堤体の流失が進行したのです。たとえその場所が一時越水していたとしても、越水>川裏側法尻の洗掘>川裏側法面の洗掘>天端アスファルトの崩落>堤体全体の崩壊流失という因果関係によって破堤したわけではありません

 (ろ)そこまでの3枚は、いずれも別の地点なのに、同一地点における一連の経過のごとく提示しているのです。ひとつの決壊した「200m」内というひとつの地点だろう、などと雑な見立ては成り立ちません。

 (は)そしてこれは決定的なことですが、STEP1で示されているB区間は(すでにみたとおり)破堤していないのです。この4コマ図式のタイトルは「堤防決壊のプロセス」ですが、あきらかに破堤のプロセスという趣旨なのです。B区間は川裏側法面は下部まで洗掘・流失してはいないのですから、決壊ではあっても破堤ではありません。「まさかの三坂」1ページで述べた通り、決壊と破堤という本来峻別すべき用語をルーズに使っているからこういうおかしな判断がでてくるのです。

 (に)さらに、(これから示すことですが)STEP2はE区間の現象であるのに、(最初の破堤がどの地点で起きたのかをあきらかにするのはこのあとのことなので、今は立証前ですが)最初に破堤するのはE区間ではなく、となりのF区間です。

 

 という次第で、STEP2とされる写真10はどの地点での現象なのかをあきらかにしなければなりません。そのうえで最初に破堤する地点がどこかをあきらかにすることで、この2地点が一致するのか、それとも一致しないのかを確定することができるわけです。

 この川裏側法面の大きな穴はどこにあいた穴なのでしょうか。

 

 まず、撮影地点と撮影方向をはっきりさせなければなりません。

 法面の下は平らになっていて、氾濫水で冠水しそこから丸い植木の列をくぐって堤内地に浸水しています。

 その向こうに見える限りのものを確定します。

 左上、大樹の陰に茶色の瓦の住宅4、その右に大きな住宅5があります。かろうじて住宅5への架線も見えます。斜めの電線です。

 

 

 これをグーグルアースのストリートビューで見てみます(グーグルマップの衛星写真は水害後のものですが、ストリートビューは、同じく2012年の画像です)。

 県道357号線を南から北へ進みつつ、左側(西側)に住宅4と5が写っている3コマを拾いました。写真10の反対側からの画像です。

 ストリートビューは10m間隔くらいで撮影してあるようですが、住宅4、住宅5のほか、住宅5への架線も映っています。

↓県道357号線を北上

↓さらに県道357号線を北上


 しかしこれだけでは撮影場所と撮影方向(レンズの向き)は確定しません。写っている大穴がどのあたりにあるのかをはっきりさせるうえで重要なのはその先です。

 住宅4と5の間に見えているのがどこなのかを探してみます。

 広角レンズ(ズームレンズの広角側)の画像ですが、このように画面の一部を拡大すると、望遠レンズの画像と同じように遠近感のない平板な画像になります。近くにあるように見えてかなり遠くのものが写っています。住宅4までは45mですが、住宅4と住宅5の間に見えるのは100m先の住宅7とその手前の2本の樹木です。電柱2本はさらにその先です。


 これで住宅4と5の間から住宅7が見える、堤防天端の川裏側の地点から撮影していることがわかりましたから、あとは画面の左端と右端に写っているものをみきわめて、レンズの方向と焦点距離を推測します。

 ドアミラーに写っているとおり(黄丸内)、コンパクトデジタルカメラですから、広角側はたいていが(撮像素子が横35mm・縦24mmのフルサイズ換算で)28mmです。その水平画角65.5度を図示してみます。(https://keisan.casio.jp/exec/system/1378259716 で計算できます。なお、通例画角というと対角線の角度ですがここでは水平画角です)。これで概ね写真10の被写体の範囲に一致します。


 黄実線が画面の左右端、黄破線はさきほどの住宅4と5の隙間から住宅7と樹木1、2が見える範囲、黄一点鎖線が樹木3の幹とその下の謎の物体の方向です。

 ここまでの読図の目的だった川裏側に開いた大穴が白実線の中です。ただし上流側は画面が切れているのでどこまで続いているのかはわかりません。

 なお、最初に破堤したのは橙部分です(これをF区間としたのです。これは次ページで分析する、対岸の篠山水門のCCTVの動画から切り出した画像による判断です)。

 そこから上流側へ順に辿ると、

 

△上流側からみても下流側からみても局所的に低いために三角形の泥溜まりができていて、おそらく最初に越水の始まったE区間

越水せずに、F>E>Dと断面の洗掘が進んでくることで破堤したD区間

11:11には越水していなかったが、その後越水するようになったC区間

11:11には越水していて、川表側法面と天端は洗掘されたものの、川裏側法面は流失しなかった(決壊したが破堤しなかった)B区間

 

 逆に下流側に辿ると、

 

▽越水せずに、F>Gと断面の洗掘が進んでくることで破堤したG区間

 

 という順番で区間分けすることができます。

 それを衛星写真上で図示したのがこれまで何遍も示した右の区分図です。

 赤実線が最初に破堤した区間(F)

 黄実線越水が起きていたが、越水による川裏側法尻>川裏側法面>天端の洗掘崩壊によってではなく、既破断面が横から洗掘されることで破堤した区間(B、C)

 黄破線が越水は起きていなかったが、既破断面が横から洗掘されることで破堤した区間(Dは下流側Fから、Gは上流側Fから)



 この写真10の大穴は、越水破堤論を立証する明白な証拠とされているのですが、それにしてはおかしな形をしています。

 

 ほんのちょっとしか写っていませんが、ドアミラーの左上には法面の草が見え、そこでは越水が起きていないことがわかります。F区間の下流端あたりです。目印になるのは、樹木3の幹と「謎の物体」(たぶんコンポスト)です。

 その手前には一列に草が見えていて、越水深はさほどでないようです。その手前、F区間の上流端近くで突然大穴があいてザバザバとアーチ型の辺縁を滝のように流れ落ちています。

 そこまではいいのです。車がいるのはE区間の下流端付近であり、見えているのは、E区間下流端とF区間上流端にまたがる大穴なのです。

 どうしてあんなところにすっぱりと垂直に切り立った崖面(右図の茶)があるのでしょうか?

 

 しかも、このあと40分ほどで破堤するのは崖面の手前側(上流側)ではなく、この写真ではほとんど越水していない奥の方、ドアミラーの陰になっている部分からこの崖面にかけての17mなのです(次ページでみるとおり、国交省は最初に破堤したのは「20m」と書いていますが、写真中に図示した区間を測ると17mです)。たいしたズレでもあるまいと高を括って見過ごすようでは破堤原因を究明する資格はありません。どんな大規模な氾濫であっても、破堤のきっかけとなる事象は、ほんの数cmや10cmとか20cmのオーダーで起きるのです。(たとえば、国交省がこれこそ決壊〔破堤〕の原因であるとするこの地点の越水は「20cm」でした。「噴砂」「漏水」は、直径10cm程度の現象です〔第2回委員会資料、13頁〕。)

 写真10からはまだまだ多くの事実を読みとることができるのです。しかし、ここでそれを始めると、先に進めなくなりますから、ひととおり全部の写真を検討したあとで、あらためてとりあげることにします。



写真 11, 12, 13

 

 ここからの3枚は、、写真10からわずか1分後の「12:05頃」の撮影とされるものです。

 それなら前方に9、10を撮影した車両(「ライトバン」)が見えても良さそうなのですが、はるか先の方を(拡大して)見てもそれらしい姿はありません。時刻表示に2〜3分の誤差はあるでしょうし、徒歩ではなく自動車ですから、この先は越水していないので普通の速度で進行するわけです。時速30kmだとして、1分間で500m進むわけですから、あっというまにアグリロードにかかる常総きぬ大橋のたもとに到達します。姿が見えなくても不思議はありません。

 ただし、いささか不思議な点があります。前ページの写真3から4は、大型車両の助手席からフロントガラス越しに撮影されていました。越水を発見して、とにもかくにも現場写真を数枚撮影してただちに鎌庭(かまにわ)出張所(常総市新石下〔しんいしげ〕)に飛んで行ったわけです。次の「状況把握員」が撮影した写真7から10はどうかというと、7、8は助手席ドアから車外に降り立ち、天端の堤内側ギリギリのところに立って前方(縦断方向)を撮影しています。写真9はおそらく車内に戻り、越水している地点を低速で走行しながらもしくは一瞬停車して助手席窓ガラスを下げたうえ横を向いて(横断方向)撮影しています。写真10は、ひきつづき助手席から、窓ガラスを下げた状態で撮影しています。10には「ライトバン」の助手席側ドアミラーに撮影者と両手で構えたコンパクトデジタルカメラが写っていました。ドアミラーのガラスの水滴が写っていますが、窓ガラスやその水滴は写っていませんし、車体の写りぐあいからも窓ガラスを下げていたことがわかります。

 いっぽう、その直後に取り掛かり、これから見る写真11〜13を撮影した「河川巡視員」は、県道357号線を走行中に「冠水」を発見して、「上流の坂路から天端にあがり」、この決壊区間に到達して撮影したということですが、それまでの2者と違いいずれも車両から降りて撮影しています。それも越水しているどB区間、C区間のどまんなかで、よりによって天端から堤内側法面に2、3歩降りて撮影しています。とりわけ最後の13は、前方の黒い人影の腰より低い位置からカメラを構えていますから、法面をずいぶん下っているのです。水深(越水深)は10cm以下でしょう。もし20cmとか30cmとかであれば、立っていることは不可能で、まして足場が悪く、流れる方向に傾斜している法面であれば(逆に流れるわけはありませんから、あたりまえですが)、あっという間に足許を救われて転倒しそのまま流されてしまうはずです。

 それはともかく、そこまでして撮影しているのに、どうしてE区間のあの大穴を撮影しなかったのかということです。もし撮影してあったとしたら、「越水による川裏側の裏面の洗掘が進行し、決壊(破堤)にいたる」という定型通りの現象の説明にはまことに好都合ですから、隠す理由などありません。おそらく、BC区間境界付近で車外で写真13を撮影後、長靴を履いていたとしてもひざ下までずぶ濡れになって車両にもどって発進し、天端は冠水はしているが越水はしていないD区間を走行し、次の激しく越水しているE区間を一気に走り抜けたのでしょう。F区間には黒い服の人影があります。国交省職員もしくは委託先企業の職員かもしれません。さて、このE区間を一気に走り抜けるとして、車両は右ハンドルでしょうから、助手席ドアのガラス越しでは斜め下の堤内側法面の様子は見えないこともあり、あの大穴には気づかなかったということでしょう。F区間まで行ってしまえばふたたび車を降りて撮影することもできますが、そこからはあの大穴はそれとはわからない可能性の方が高いでしょう。

 つまり、写真11から13を撮影した車両には、運転者一人しか乗っていなかったとしか思えないのです。複数乗車していて、大穴の直上を通過する際に助手席窓から下を見下ろして撮影できる同乗者はいなかったのでしょう。

 そうでない可能性もあります。すなわち、E区間の激しい越水を突っ切るのをやめて、今来た天端を後退して戻っていったのかもしれません。天端のアスファルトは幅3mしかありませんから、軽自動車であっても方向転換は不可能ですし、途中に天端が広くなっているところもありませんから、戻るとしたらギアをRに入れて後退するしかありません。恐ろしい状況ですが、県道357号線から直角に曲がった先の、さっきそこから上がってきたばかりの坂路まで約400mですから、不可能ではありません。こちらの可能性の方が高いかもしれません。

 なお、写真3から6までのワンセットと、同じく写真7から10までのワンセットは、縦横比が3:4と、コンパクトデジタルカメラの一般的な比率でしたが、この写真11から13までは、縦横比16:9です。カメラで静止画像を撮る場合は、フルサイズないしAPS-Cの一眼レフカメラであれば3:2、フォーサイス規格やコンパクトデジタルカメラであれば4:3が一般的です。(縦横比変更設定可能のカメラもあります。)スマートフォンは、iPhoneであれば3:2、アンドロイドであれば(機種によりますが)3:2か16:9ですが、基本設定は16:9です。ただし、標準以外のアプリケーションソフトウェアをインストールすれば、いろいろ可能ですし、iPhoneでもビデオ撮影中に、静止画像を撮れば16:9になります。なお、一般的なビデオカメラであれば、いまどきは16:9です(例:https://www.sony.jp/handycam/products/HDR-CX680/spec.html家庭用テレビの一般的縦横比だからです。アナログ時代の昔のテレビのように4:3にするのも可能ですが、普通は16:9のままです。ビデオカメラで撮影した後に、そこから静止画像を切り出せば16:9になります。

 いろいろ可能性はありますが、この写真11から13までのワンセットは、おそらく「河川巡視員」が私物のアンドロイド・スマートフォンで撮影したのでしょう。法面を下り、カメラ(スマホ)を低く構えて撮影しているので、かなりの迫力です。プロ級の腕かもしれません。


11(12:05頃a)

 ケヤキの影になっているあたりが、B区間の下流側ですが、上流側より深く越水しています。

 ケヤキの影の向こう側、明るくみえるのがC区間上流側で越水し、川裏側法面を流れ落ちる氾濫水がよくわかります。これを踏まえて次の12をみるとC区間の状況を把握できます。



1212:05頃b

 11でケヤキの影の向こうの明るいところがC区間の上流側であることがわかりました。その少し先、つまりC区間の下流側の法面下に百日紅(さるすべり)の花が見えます。ちょうど花の時期だったのです。次々ページで、この百日紅のある家の住人が撮影したVTRを見ます。写真16と17、つまりC区間の下流側あたりにこの百日紅が写っています。

 D区間に人物が突然現れます。写真11で遠くに写っていた人かもしれません。越水しているF区間の上流側、さらにE区間を通ってくるのですから、深さ20cmの越水流を徒歩で渡ってきたことになります。堤内地からD区間の法面を登ってきたのかもしれませんが、その場合法面下はすでに氾濫水が流れていたわけで、いずれにしてもたいへんなことです。

 

 下は、あとで見る写真17です。住宅1の2階ベランダから見たC区間下流側と、越水していないD区間です。赤い花が百日紅です。対岸に将門川(しょうもんがわ、平将門〔たいらのまさかど〕由来)の合流地点の篠山水門が見えます。440m先です。



1312:05頃c

 手前側はケヤキの影になっています。すなわちB区間の下流端です。その影の向こうは、すこし明るくなっているC区間です。

 D区間は川表側・川裏側ともに法面は冠水していません。前後の区間に比べて高いということです。天端は前後の区間の天端とひとつながりで高さも違わないようで、一応冠水しています。ただし川裏側の法面上部が高いようで流れ下る、つまり越水することはないようです。

 その先が、E区間と、F区間上流側の激しい越水状況です。その先のG区間はD区間同様に、川表側・川裏側の草の天端が高いようで冠水していません。しかも、D区間と違って天端も冠水していません。その先のヘアピンカーブにかけて、EF区間よりかなり高いようです。茶色に濁った氾濫水は及んでいないため、雨に濡れたアスファルト舗装面が灰色にみえています。

 人物が写っています。さっきまではE区間の手前、越水していないD区間にいたのですが、今は激しく越水しているEF区間を超えてG区間にいます。堤防がちょっと河道側(右側)に膨らんでいるところが、G区間の上流端です。

 服装も同様ですから別人物ということはないでしょう。こんな危険な場所にいるのですから、国交省職員もしくは委託先企業の従業員だと思われますが、写真撮影はしていないようです。実際、撮影した画像も出てきていません。

 遠くにアグリロードの巨大な橋、その下には堤防上の数人の人影が見えます。堤防は、さきほどのF区間の写真1で遠くに見えていた河道側におおきく膨らんでいる堤防です。(いずれも、遠景なので、その部分は奥行きが圧縮され、「平面的」に表現されます。人々がまるで川の中にいるかのようです。たとえ広角レンズであっても、遠景部分は望遠レンズで撮ったように見えます。)



 写真1から写真13まで見てきました。これで破堤前の写真の全部です。

 

 次ページは、破堤の直後とされる、対岸にある篠山水門の河川監視カメラ(CCTV)による超望遠撮影画像を分析します。これについては、堤防それ自体を撮影したものではなく、越水・洗掘・破堤の状況を知る上では特段必要性はないと判断して29枚の写真のなかには組み入れていませんでしたが、破堤幅のひろがりを知る上では有用であると思い直し、番外写真として検討することにします。そのうえで写真14から20までの、住民によるVTR画像の分析をおこないます。