若宮戸の河畔砂丘 6 崖の下の土嚢

 

15, Feb., 2019

 

 前ページにおいては、現在残っているおそらく唯一の詳細な標高図を、各時期の衛星写真と重ね合わせる作業がおわったところで、ページ容量の都合でページブレークをいれました。これまでの基礎データに、さらにその後公表されたデータを加え、国土交通省がおこなった水害後の広報の詐術を解体し、若宮戸河畔砂丘における氾濫の本質をあきらかにします。項目は連番にします。

 

 

(3)国交省の広報用立面図の詐術

 国土交通省が水害直後に公表した立面図(右)は、水害前年の「B社」による砂丘掘削を拱手傍観したこと、ならびに掘削後に置いた「品の字」積み土嚢が役立たずだったことについての言い訳広報文書中のものです。

 「掘削前でも溢水」と得意になって書いています。掘削を黙認したことをいまさら正当化したつもりなのでしょう。きっちり水平になっているはずもない巾着袋の開口部の、しかも水位が問題になっている際には最低部分の高さが重要であるのに、あえて「平均」の高さの数値を出すなど、みずからの無知蒙昧をさらけ出しただけのことなのですが、その標高が自分で決めた計画高水位(25.25kにおいてY.P. = 22.35m)より1mも低いというのですから、呆れた話です。自ら墓穴を掘ったのです。


 それにしても、事実を説明するというなら詳細な標高図を一枚出せばすむのに、わざわざ新たに「立面図」を描くことで、いったい何を隠そうとしたのか、はっきりさせなければなりません。前ページでもすでに触れたように、本来ならすくなくとも計画高水位(25.25kにおいてY.P. = 22.35m)プラス余裕高(1.5m)、あわせて約24mの天端高の堤防を建造しなかったことの妥当性が問題になるところを、いつの間にか水害時の推定水位22mまでじつに2mも値切ってしまったうえで、そこに素人目にもほとんど効果もなさそうな巾着袋しか置かなかったことの是非という、本筋から大きく外れたところに議論を持って行ってしまったのです。これが詐術の第一の目的物と言えるでしょう。

 しかし、それだけではないのです。何故、わざわざ「横断測量の各側線で最高の地盤高を結んだ線」などという、回りくどいことをやっているのかをはっきりさせなけばなりません。この文書を作ったのは、当時の関東地方整備局の高橋伸輔河川調査官でしょうが、ひとりで「横断測量の各側線で最高の地盤高を結んだ線」などという呪文を思いついたのではないでしょう。局内の工学士もしくは工学修士あるいは工学博士の誰かがこの詐術を発案したに違いありません。悪知恵をつけられた広報担当の素人役人がサカナの話をしているわけでもないのに、「測線」を「側線」とうっかり間違ったうえで広報してしまったのです。

 

 ついでにいうと、国家賠償訴訟となれば当然登壇したに違いない被告「国」の法定代理人をつとめる法務省の訟務検事も、たぶん今頃はこの「誤字」問題に気づいたころでしょう。今後国土交通省の素人役人が晒した醜態をどう言い繕うのか、見ものです。「いわゆる自然堤防」の顰みに倣って、「いわゆる側線」で来るかもしれません。

 

 「横断測量の各側線〔測線〕で最高の地盤高を結んだ線」などというものは、河川の氾濫について解明する上では必要ではありません。必要でないどころか、事実を隠蔽し虚偽の観念を植え付けるための詐術です。

 一例を示しましょう。下左図は、一様にY.P. = 10mである土地を測量した際の3本の測線だとします。「横断測量の各側線〔測線〕で最高の地盤高を結んだ線」は、Y.P. = 10mの横一直線になります。向こう側にいつもは水位がY.P. = 7mくらいの河川があって、ある時、水位が急上昇しY.P. = 9mになったとします。溢水はおきないでしょう。

 下右図は、一様にY.P. = 10mであるなかに、Y.P. = 8mの低い部分がある土地を測量した際の3本の測線だとします。右図について「横断測量の各側線〔測線〕で最高の地盤高を結んだ線」をつくると、同じようにY.P. = 10mの横一直線になります。向こう側にいつもは水位がY.P. = 7mくらいの河川があって、ある時、水位が急上昇し、Y.P. = 9mになったとします。こちらは溢水が起きます。

 


 

 「横断測量の各側線〔測線〕で最高の地盤高を結んだ線」が、虚偽の観念を植え付けるための詐術であることは、明らかでしょう。しかし、これで終わりではありません。25.35kについて、「横断測量の各側線〔測線〕で最高の地盤高を結んだ線」によって隠蔽されている地形の実態があるのです。それが、「品の字」土嚢の置かれた場所の特徴であり、その効果を決定づけたのです。この点を追究するのがこのページの目的です。

 

 


(4)水害後の仮堤防は傾いていた

 

 水害後に急造された3段積み土嚢の仮堤防です(長さは209m、高さは発表されていませんが、2.4m程度)。2015年10月26日に下流側の河畔砂丘の断面上から撮影したものです。画面には入っていませんが、左が河道です。前ページの⑴で示した各時期の衛星写真画像でいうと、2015年10月9日の段階にあたります。ただし、「B社」が整地後におなじ位置に発電所を再建するため、無傷だったパネル(7割くらい)を回収し、「仮堤防」のスカートの裾を踏んづけて重ねて置いている場面です。

 どうせ自分の土地なんだから当然だろう、というところなのでしょう。住民や常総市役所からは反対され、国土交通省下館河川事務所からも一応はやめていただけませんかと言われたものの、河畔砂丘の掘削を強行して氾濫を助長する原因を作ったことについては、何とも思っていないのです。どうせ自分は住んでいるわけではないし、損失は損害保険で補填される、警察も検察も見て見ぬふりなので、何も困らないわけです。

 

 

 見るといろいろ感想やら疑問やらが湧いてくるのですが、今はひとつだけにしておきます。このムツウロコ積み土嚢の「仮堤防」、稜線がうねっているうえ、全体的に「堤内側」に傾斜しています。広角レンズの画面周辺部での画像変形あるいは単純にカメラの構え方の傾きかもしれないので、画面の中心軸と一致する別カット(下左)も示します。やはり、傾斜しています。「仮堤防」が水平になるように画像の方の傾斜を調整してみました(下右)。レンズのせいではなく、やはり現物が傾いているのです。画像ソフトで4度ほど反時計回りに回転させると正立しているように見えます。つまり土嚢積みの傾きは約4度です。

 9月17日早朝の完成まで昼夜兼行で工事を進めたのでしょう。まずは仮堤防の「基盤」部分だけでなく、見えている限りはもちろんのこと高水敷間際からこの付近まで、さらに「仮堤防」の堤内側5mくらいまで膨大な量の砂を入れて大急ぎで整地したのですが、完成後に一斉に一直線に急激に傾いたなどということはありえないでしょう。河道側と「B社」のソーラー発電所の間にもともとあった段差が、けっきょくここにずれこんできて残ってしまったのです。まさかスカートの裾を踏まれて傾いたわけでもないでしょう。積み上げる時点ですでに傾いていたに違いありません。

 水圧を受けるであろう側に傾けるならともかく、これではもともと頼りない3段積み土嚢の安定性をさらに低下させるものです。まさか気がつかないはずもなく、いくら急いでいるとしても理解不可能な行為です。どうせ効果はないのだから少々傾いていたって構わない、案内されて見にきた国策派研究者連中もどうせ誰も気がつかないし、気がついたところで世話になっている義理があるから何も言うはずがない、というところでしょう。国土交通省のやることは一事が万事、この調子なのです。

 


 

 

 下は、新潟大学の「災害・復興科学研究所」が2015年9月16日に撮影したもので、さきほどの写真に写っていた上流側の河畔砂丘断面の土嚢の上から下流側をみたところです(http://www.nhdr.niigata-u.ac.jp/survey/2015kidogawa/20150924a.html)。完成の前日で、土嚢はすでに積み上げられ、その上に遮水シートを掛けている段階です。手前側はシートを掛ける前なので、「基盤」の状態がある程度わかります。80cmくらい盛り土をしたようです。画面左右の白っぽいところは災害後に大量に持ち込まれた砂ですが、「基盤」部分はその上におそらく粘土と砂の混じった土を入れたのでしょう。新潟大学は何も気づいていないようですが、数日前の氾濫で、砂の上に直接土嚢を積んだのではまったくダメなことを思い知った国土交通省が一応の対策を立てたわけです。

 左奥の紅白鉄塔からわかるとおり、広角レンズで撮影しているので、画面中心から離れた被写体画像は変形しますから、この写真ではムツウロコ土嚢の傾斜具合はわかりません。

 

 

 

 次は、9月17日朝の完成直後のものと思われる写真です(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000633805.pdf)。撮影位置・角度は9月16日の新潟大学のものとほとんど同じです。

 シートを掛けたあと、「基盤」部分には小型の土嚢が大量におかれています。シートにしてもこの小型土嚢にしても、水害前年に土嚢を砂地のうえに「品の字」においただけの堤防もどきの弱点への対策のつもりなのです。

 この写真だけではよくわかりませんが、他の写真と見比べると河道側では「基盤」の高さまで、さらに土砂が入れられたようです。

 

 

 完成後の写真を見ると、堤内側では、堤外側には見られない基壇の段差があります。この段差の下、つまりキャタピラ痕のある東側には、これでもずいぶん砂は入れていあるのです。そのうえで、仮堤防全体が傾斜していることを考え合わせると、堤外側と堤内側にはもともと段差があったこと、すなわち堤外側の標高は、堤内側より高かったことが推測されます。もちろん、総延長200mあるうち、地点によって一様ではないのですが、中央より下流側の左下の写真を見ると、かなりの段差があります。

 


 模式図を示します。ずいぶん傾いているように見えますが、これで傾斜は4度です。

 


(5)砂丘掘削後の段差

 

 前項で見た段差がなぜできたのか、前ページの掘削前の標高図と掘削中の衛星写真の重ね合わせをもう一度やってみます。

 

 2014年3月22日の、まさに河畔砂丘掘削作業中です。画面右側、最高地点を含む〝畝〟の掘削が一応終わり、ついで画面中央の崖記号が連続する部分の切り崩しにかかった時点です。崖の左端近くと右端に、段差に直角の斜面ができています。といっても、崖下から崖上への通路を作っているというわけではありません。「品の字」土嚢が置かれた時点の写真と見比べるとわかりますが、これよりだいぶ先(画面上方)まで掘削することになる、その手始めなのです。

 標高図は、「平成15年度 若宮戸地先築堤設計業務報告書」(2004〔平成16年3月)に掲載されている図の一部を拡大したものです。2015年水害の10年以上前の築堤案です(ウェブサイト「平成27年関東・東北豪雨災害〜鬼怒川水害〜」が収集整理のうえ、公開しているものです。http://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/waka-8-4.pdf  3〜4ページ)。衛星写真は、GoogleEarthPro のオプション「historical imagery」(画面上部中央付近のアイコン)で表示される2014年3月22日の画像です。

 

 

 掘削が終わり、「B社」のソーラーパネルが設置されたあと、国土交通省としてはどうせここから氾濫するはずもないと根拠もなく信じ込んでいるので今後も永久に放ったらかしにするつもりでいたところ、わかりもしない素人のくせに住民と常総市役所がうるさく言ってくるのを放置するわけにもいかず、さりとて自分らで決めた計画高水位を踏まえた対策を立てるのはおおごとになるので、このさい形だけ対応したことにすべく、「B社」にお願いして土地を幅2メートルくらいお借りして、間に合わせにちょこんと土嚢を置かせていただいたあとです。

 

 

 まさかここまで水がくるはずはないと広言していたのに、ここから大規模氾濫が起きてしまったが、それも110年に一度の豪雨のせい。芸能ネタの合間に騒いでいるおっちょこちょいのマスコミはもっぱら「B社」の方にだけ目が行っていて、それを黙認した国交省の責任には無頓着。三坂と若宮戸の見分けもつかないネット上を徘徊する暇人たちは、太陽光発電を推進したとか、スーパー堤防に反対したとかでかつての民主党政権叩きで騒ぐ頓珍漢ぶり。24.75kの方は、その存在もほとんど知られていないので、じつに好都合。電柱おじさんとヘーベルハウスのライブ映像で有名になった三坂はもともと堤防があったから、仮堤防も一応盛り土してコンクリートブロックで被覆したうえ、すぐさまおこなう本堤防への作りかえのためにその仮堤防をまるごと撤去しなければならないこともあり、鋼矢板を二列に打ち込んだあいだに土砂を充填する仮締めとの2重仮堤防にする。対してこちら若宮戸はどうせもともと堤防がないところなので、「仮」であっても盛り土の堤防をつくるわけにもいかないから水防活動でもあるまいに土嚢積み。前回は「品の字」の2段でダメだったのでこんどは土嚢を3段に積めばいいだろう。土嚢3段積みもほんとうは下段4つ、中段3つ、上段2つにしなければならないのだが、まあこの際、下段3つ、中段2つ、上段1つのムツウロコでいいだろう……。

 ということで、ムツウロコ土嚢が設置されるのは、両端が砂丘の〝畝〟になっている、かつて崖があった地点付近です。水害後、「堤外側」(河道側)と「堤内側」(「B社」のソーラーパネル側)の両方に大量の砂を入れて整地したのですが、とりわけ、いったん掘削されて低くなった河道側も、元の崖付近まで盛り土(盛り砂)され、結局もとの崖のあたりで両側の段差が再現される結果になったわけです。ですからムツウロコ土嚢の傾斜は偶然ではなく、ことの成り行きからみて、必然的にそうなる理由があったということです。

 

 

 このムツウロコ土嚢とその傾斜についてはここまでとし、「品の字」土嚢の堤防もどきが、どこに、どのような地形上に置かれ、そして2015年9月10日にどうなったのかという、本題にもどることにします。

 砂丘が掘削されて「B社」のソーラーパネルと、さらに「品の字」土嚢の堤防もどきが置かれた段階の測量はおこなわれていないでしょうから、2003年測量による標高図と衛星写真の重ね図を拡大し、「品の字」土嚢の河道側とソーラーパネル側の標高に注目してみます。矢印の先の測量値(Y.P. 値)を拡大表示して表示します。2014年の「B社」による掘削によりあきらかに変化していると思われる地点は除いてあります。

 

 黒文字:18.00mから18.49mまで

 紫文字:18.50mから19.99mまで

 赤文字:20.00m以上

 

 

 より細部を見るために、上流側と下流側に分割したのが下の2枚です(全体図中央の「19.21」と「20.83」のふたつのラベルは重複します)。

 まず、上流側です。右側(上流側)の河畔砂丘断面近く、土嚢が直角に屈曲するあたりの「21.196」地点は、掘削されたかされなかったかというギリギリのところです。かろうじて「B社」の土地でなければそのまま残るでしょう。「B社」の土地だったとしても垂直の絶壁にはしない(擁壁を作るとなると工事費が嵩む)でしょうから、少々削られる程度でかなりの段差が残るに違いありません。

 「A社」のソーラーパネルのある地盤は、2003年の標高図のとおり上流側と下流側が低く、まんなかが盛り上がっていました。また、樹木を伐採したあと、地盤をある程度平滑にしなければならないわけです。衛星写真に写った土砂の色を見ると、樹林の表層を数十センチおおっていたはずの腐植質を含む表層土は完全に鋤き取られ、河畔砂丘内部の砂になっています。わざわざ他から砂を持ってきて客土するとは考えられませんから、ある程度掘削・整地されてもとより低くなっていたようです。(次ページで見る写真からは、その可能性がたかいのです。)

 しかし、画面左下の「20.83」から土嚢のおかれる画面下方(東側)は、地面の起伏や草らしいものが見えますから、平滑な砂面になっていないようです。ソーラーパネルが設置されない地盤については、整地する必要もないわけです。東側の辺縁付近の土嚢際はもとの起伏が保存されたように思われます。

 

 下流側です。左側の「19.894」は掘削箇所ギリギリですが、鶏舎のすぐ脇ですからここは掘削されていないものと思われます。ここには50cm以上の段差ができるように思うのですが、このあと実際の写真を見るともっと段差は大きかったようです。東側(画面下方)に登り斜面があって、それがさらに高い地点として残ったのでしょう。右の方の「20.102」地点は高いまま残ったようです。そしてその下方(東側)はさらに標高が高くなるようで、東側からの掘削によってかなりの段差ができる可能性があります。そのことは、このあとみる水害当日の写真ではっきりわかることになります。


(6)崖下に積まれた土嚢

 

 「品の字」積み土嚢の堤防もどきの設置工事中の写真と、設置完了後の写真をみてゆきます。

 200m区間ですべて一様というわけではありませんが、かなりの区間で掘削した区域の河道側周縁部には段差があり、その段差の下に土嚢が並べられている様子がよくわかります。これらの写真をみると、土嚢が無造作に置かれていることにだけ目を奪われてしまいますが、これまでの⑴から⑸までのいささか煩雑な作業により、「A社」のソーラーパネルや鶏舎のある河道側の地盤と、掘削・整地されて「B社」のソーラーパネルが設置された地盤には、あきらかな段差があったことがわかったわけですから、その段差に注目して見なければなりません。

 この観点は、「鹿沼のダム」(http://kanumanodamu.lolipop.jp)が最近公表した見解に触発されたものです(http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/wakaDonou01.html さらにそれ以降の記事)。

 「品の字」積み土嚢の堤防もどきについては、国交省や国策派研究者らは、「品の字」積みがそのまま維持され、「天端」まで洪水を防いで氾濫量をずいぶん減らしたと臆面もなく主張しています。一方で反国策派では、崩れたり倒れたりした、あるいはバラバラになった、さらには破れて中身が飛び出してしまったとする見解が多く見られました(当 www.naturalright.orgもそうでした)。それに対し、「鹿沼のダム」は、土嚢が砂地の上に無造作に置かれたために、その2段目の「天端」まで氾濫水をくいとめるまでもなく、砂の地盤が氾濫水によって洗掘されて、土嚢が砂地に沈み込んでしまったこと、さらに土嚢が段差(崖)の下におかれたために、氾濫水が流れ落ちてきて激しい洗掘をおこしたのだ、とする見解を提出しています。

 水害時の土嚢沈み込み現象(「鹿沼のダム」が指摘する〝ダルマ落とし〟現象)については次の⑺で見ることにして、この⑹では、前ページからここまでの分析を前提として土嚢が段差(崖)の下に置かれている状況を見ることにします。すなわち〝崖の下のドニョ(土嚢)〟です。

 資料は、国土交通省から委託されて土嚢設置工事をおこなった業者による工事報告書と、被災した住民の方が撮影した写真です。まず工事報告書ですが、「平成27年関東・東北豪雨災害〜鬼怒川水害〜」(http://kinugawa-suigai.seesaa.net)が公開しているものです(http://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/waka-4-1.pdf)。掲載されている写真のうち、別の場所での土嚢作りの場面を除き、全部を上流側から順に引用します。屈曲する土嚢をその屈曲点で大雑把に区画1から区画7までに区分します。いずれも細かい屈曲はありますが、ほぼ直角に曲がっている地点で便宜上区分します。

 このありさまをみれば、住民の皆さんがどれほど失望し、不安を掻き立てられたか察するに余りあります。そしてまた、水害後に、国土交通省としてはこんな醜態は、どんなことがあっても、いかなる手段を弄してでも、絶対に知られたくないと思ったかもわかります。

 以下が、このページ冒頭に掲げた子供騙しの立面図によって、永久に隠そうとした事実です。

 

 大きさの目安になるのはバックホウで、運転台の屋根の高さが約3mです(右は写真中のものと同一型番ではありませんが、同一メーカーの同様機種である「日立建機 ZH200」の規格です。(https://www.hitachicm.com/global/jp/6series/zh200/

 フェンスは高さ1.8mだと思われますが、2mかもしれません。フェンスの支柱は地盤の不陸・曲折に応じて立てられるため間隔は不同のようですが、だいたい2mくらいです。

 なお、国交省の発表によると、「品の字」2段積みされた土嚢の高さは1個あたり約80cm、2段で約1.6m、幅は1mとのことです。カッチリした四角四面ではなく、巨大な巾着袋で上がピラピラしているのですから、だいたいの話として聞いておきます。


「品の字」土嚢の末端すなわち区画1が取り付く前の、河畔砂丘の上流側掘削断面です。

 「B社」のソーラーパネル取り付け前の架台が見えます。

 砂丘断面が弧を描いています。一番低いところで80cm、土嚢末端がとりつくのが、架台の2つの斜め棒の間あたりで、これが「天端」の高さの1.6mです。

 大型土嚢の設置が終わった区画1の末端です。

 「品の字」に積み上げた土嚢はソーラーパネルの架台ギリギリです。「B社」は水害後のテレビ取材に「3mでも4mでも積み上げてもらって結構だと言った」というのですが、ソーラーパネルをだいぶ減らさない限り、そんな余裕はありません。ただの大法螺です。

 右が、このあと小型土嚢で隙間を埋める砂丘断面です。

 手前に、「B社」がこれから架台に取り付けるソーラーパネルの梱包がデンと置いてあります。

 小型土嚢を積み上げ始めたところです。向こうの薄茶の土嚢にまとめて入れて持ってきた小型土嚢をひとつずつ運んで置いていきます。

 末端の隙間に小型土嚢を数百個積み上げた終わったところです。小型土嚢の向こう側はあとの写真のとおり垂直です。手前側は斜面になっていますが、その程度ではひとたまりもなかったのです。

 9月10日にはここに氾濫水が押し寄せて完全にばらばらになります。その写真は別に見ます。

 奥は区画2です。フェンスは、土嚢の「天端」とほぼ同じ高さの崖の上に立っているのがわかります。(その向こうは河畔砂丘の〝畝〟があるのですが、今はこれは分けて考えます。)

 作業員は、一生懸命に小型土嚢を運んで積み上げているのですが、いざ洪水となると、この入り隅に水が押し寄せ、さらには左の斜面を駆け上がった洪水が流れ落ちてくることになり、あっという間に崩れ落ちそうな形態です。

 なぜ、こういう形になるかというと、要するに、「山付き堤」の形にしたかったからです。まさか、「品の字」積み土嚢より低いところで砂丘断面につけるわけにもいかず、同じ高さになるところまで、伸ばして行ったのです。

 

 だったら砂丘断面に直角につければよさそうなものです。このページの上の方でみた水害後の遮水シート包みムツウロコ土嚢の堤防もどきでさえ、実際にそうしたのです。

 なぜそうしなかったかといえば、「A社」にお願いしてかろうじてお借りすることができたのは、ソーラーパネルの邪魔にならない敷地境界ぎりぎりのフェンス際の幅2mほどだけだったからです。

 写真の通りパネル架台があるので、土嚢を垂直に伸ばしていくことは不可能で、このとおりいきなり直角に曲げてしばらくは砂丘断面に沿って積むほかなかったわけです。

 

 区画1が終了して、区画2の工事にとりかかったところです。

 まず地面に赤土混じりの砂をいれているのですが、うっすらと置いた、という程度です。これでは何の効果もありません。

 左のフェンスの基部には段差があります。向こうの区画1と直角に接するあたりは1.5m程度の段差です。

 区画2が「B社」のパネル側に膨らんでいる部分です。パネルの架台の傾きからわかるとおり、北方向を見ています。パネル架台は長辺がほぼ東西の緯線に一致します。そして発電パネルが真南に向けて、傾斜して設置されます。

 向こうに見えるのは、区画1の背後、上流側の砂丘掘削断面です。

 区画2を上流側からみたところです。架台の向きからわかるように南を向いています。

 フェンスの向こうは「A社」のソーラーパネルにつながる送電線の電柱です。遠くの高圧鉄塔は対岸の紅白鉄塔です。

 上の写真の中心部分に寄ったところです。

 フェンスの向こう側にバックホウがいて、そちらから土嚢を降ろしています。どうやら、区画1では砂地に立てられたソーラーパネルの架台や、デンと置かれたパネルの梱包が邪魔でバックホウが入れないため、しかたなくフェンスの外側からフェンス越しに土嚢を降ろしたのでしょう。あのスッパリ切り崩された河畔砂丘の断面のすぐ上にバックホウが登って行って作業をしたに違いありません。その連続で、ここでも向こう側から吊り下ろしているのです。

 作業中なのが区画2の末端、そこから直角に屈曲したのが区画3です。さっきまで向こう側にいたバックホウが手前側に来て作業しています。

 バックホウのキャタピラの向こうに区画3のフェンスの下端が見えますが、高さ約80cmの土嚢の半分ほど、40cmくらいの段差があるのがわかります。

 区画2の土嚢の向こう側は見えないのですが、屈曲部近くでは、同様に40cmくらいの段差があるのでしょう。

 河道側を向いて、右に区画2、直角に曲がって区画3、また直角に曲がって区画4となります。土嚢の設置前です。

 フェンスは、「B社」の私有地の辺縁にそって、ほかならぬ「B社」が立てたようです。このあたりは、枠だけでまだ網の取り付け前です。

 区画4のフェンスの向こうには草が生えている60cmくらいの段差があります。

 区画3に手前側から設置しているところです。片端から順に詰めて置いて行ったのではないということです。

 

 土嚢を置く前の区画4を上流側から見たところです。右手前は、区画3と区画4の屈曲部です。

 2つ前の写真では、区画4のフェンスの向こう側、つまり河道寄りの「A社」のソーラーパネルのある側に草の生えた60cmくらいの段差が見えましたが、この写真では、フェンスの手前側、つまり「B社」の側にも段差があるようですが、凹凸もありよくわかりません。

 このあと、ここをフェンスぎりぎりまで整地して土嚢を置くことになります。

 土嚢を置いた後の、区画3と区画4の角です。西側の河道方向を見ています。

 「B社」のソーラーパネルの接地面と同じ高さまで砂地が削られたようで、角にあった〝丁張り〟(ちょうばり。建築物の位置や水平を示すために角材を組み合わせて地面にたてたものを指す業界用語)もなくなっています。

 右が区画3で、正面がそこに直角につらなる区画4です。遠くに見える高圧送電線鉄塔は、左側が対岸の紅白鉄塔です。

 区画4の中間地点の工事中です。手前から順に、土嚢と作業員、40cm程度の段差、180cmのフェンス、その向こうの草の生えた80cm程度の崖です。段差(崖)はあわせて1m20cmくらいありそうです。

 土嚢を置く前の区画4を下流側から見たところです。左が区画5と直角につながる箇所です。

 フェンスの向こう側には、80cmほどの段差が見えます。バックホウのシャベルやキャタピラと比べてみると、その付近ではフェンスの手前にも少なくとも80cmくらいの段差があるように見えます。

 バックホウで赤土まじりの土砂を敷いていますが、土嚢を置く場所の厚みはほとんどないようで、下の砂が見えています。

 上と同じ地点、つまり区画4と区画5の屈曲点で、90度角度を変えて撮影したものです。右が区画4、奥に向けて区画5、左奥が区画6です。

 少し先、区画5のフェンスの向こう側にかなりの盛り上がりが見えます。ただ、この写真では奥行き感がよくわかりません。

 区画5のフェンスが奥に行くにしたがってあがってゆき、かなりの段差になってそのまま区画6に連なっています。

 上の写真から、後ろにさがって土嚢設置後の右の区画4、区画5、区画6をみたところです。

 区画5のフェンスの上辺が弧を描いている様子がわかります。しかも、上の写真のとおり、フェンスの向こう側にも段差があるのです。

 区画6の上流寄り(区画5側)地点です。左に左岸の紅白鉄塔、その右が掘削された河畔砂丘の下流側の断面(開口は上流側を向く)、その右、フェンスの向こうが、「小林牧場」の鶏舎です。

 鶏舎は、水害によって手前側(上流側)が基礎のコンクリートから引き剥がされ、崖下まで落下しました。

 崖の段差は180cmのフェンスの高さに匹敵します。ここに1個あたり約80cmの土嚢を2段置いたのですから、このあたりでは土嚢の「天端」より崖の方が高かったことになります。国交省は土嚢を崖の下に置いたのです。

 区画6の中央付近での土嚢積みの場面です。このあたりはすでにフェンスに網がはいっています。

 さきほどの上流側よりは段差は小さいのですが、それでも土嚢1個分、約80cmほどあります。土嚢2個の「天端」が160cm、フェンスの上辺は240cmくらいです。

 区画6の鶏舎脇です。土嚢積みが始まった時点です。

 区画6の下流側末端、ほんの土嚢3列ぶんほどの区画7に連なる地点です。

 土嚢1個分以上の段差の上に、フェンスがあり、その向こうは鶏舎です。水害時に、この鶏舎の上流側3分の1ほどが引き剥がされてバックホウの手前あたりまで押し流されてきました。

 見える限り、すべてが河畔砂丘の内部にあった白い砂です。

 土嚢積みが終了したあとの区画6と、区画7の遠景です。

 このあとこのあたりにも「B社」のソーラーパネルが設置されます。

 区画7末端の河畔砂丘断面への取り付き部分です。砂丘上から土嚢積みの河道側の面を見ています。

 最後に小型土嚢を数百個積んで砂丘に取り付かせています。手前側は絶壁です。草が残っていることから、砂丘を掘り込んで土嚢を埋め込ませることもしていないことがわかります。砂の斜面にただ置いただけです。

 上の写真の反対側です。小型土嚢は砂丘断面の30cmくらい下に取り付いています。一応こちら側は斜面になっていますが、この入り隅に水が来ればひとたまりもないでしょう。

 上流側、区画1の末端とまったく同じです。


 

 工事報告書の写真を全部みてきました。全地点が写っているわけではありませんし、角度的に分かりにくいものもありましたが、工事報告書の写真から読み取った段差を一覧にしてみます。(区間2の最低値は他の写真からわかる数値を括弧でくくって示します。)

 

区画1 0.8~1.6m

区画2 [0.4]〜1.5m

区画3 0.4〜1.0m

区画4 0.8~1.6m

区画5 0.8~1.8m

区画6 0.8~1.8m

区画7 1.6~1.9m

 

 「品の字」土囊の堤防もどきはいろいろ問題だらけですが、段差の上ではなく、よりにもよって段差の下に置いたというのですから驚いてしまいます。これこそ、国土交通省関東地方整備局があの騙し絵立面図によって隠蔽したかった事実なのです。

 

 最後に、被害者の会の共同代表の逆井正夫さんが、2014年6月26日に撮影した写真です。「鹿沼のダム」から引用させていただきます(http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/wakaDonou01.html)。区画5と区画6の連なる地点です。左奥に紅白鉄塔、中央が河畔砂丘の下流側の掘削断面、フェンスの向こう右奥が鶏舎です。

 崖の下に置かれた土嚢の「天端」はその崖の高さとほとんど同じです。どちらから水がやって来るにしても、何の意味もない置き方です。

 


 

 ページの容量が限界ですので、いったんページを閉じます。次ページでは、水害によって土嚢がどうなったかを、粗雑に一括するのではなく、地点毎の差異をみきわめながら克明に見ます。

 

(準備中)