自然堤防とは何か 若宮戸ソーラーパネル事件 3

30, Oct., 2015

官庁広報と記者クラブ

 

 「溢水(いっすい)」という語から受ける一般的な印象は(旧刑法などの法令用語などは度外視するとして)、水がみちる、水があふれる、というものでさほどの強烈さは感じませんが、若宮戸(わかみやど)」における氾濫はそのような生易しいものではなく、もし「三坂町」での決壊がなかったとしても、ここだけでも鬼怒川左岸の広大な地域に甚大な被害をもたらしたにちがいありません。(「三坂町」が決壊しなければ、他が決壊・氾濫したでしょうから、あまり意味のある「もし if 」ではないのですが。)

 太田昭宏国土交通大臣(当時)がいみじくも述べたように、鬼怒川下流域の堤防自体は全域にわたり同レベルにできていた」のであり、過半の区間で、法令の定める基準に違反する、「10年に一度」の大雨にも耐えられない貧弱さでしたから、どこが決壊するかを事前に予想することは難しかったのです。そして「三坂町」については越水情報が地先名の取り違えにより誤って伝わり、さらに現場が命がけで収集した洗掘進行の情報が伝わらないなどどおおいに錯綜して「避難指示の遅れ」を引き起こしたのです。

 それとは対照的に、この「若宮戸」については、ある程度の増水があれば確実に氾濫がおこることが予見可能だったのです。国土交通省関東地方整備局下館河川事務所は、「若宮戸」において前日から、増水の進行、氾濫の開始、激烈な氾濫の進行、氾濫後の地形の改変にいたる一部始終を把握しているにもかかわらず、前年のソーラーパネル業者による「十一面(じゅういちめん)山」掘削の蛮行を拱手傍観していた責任を免れようと、すべての情報を隠蔽しているのです。

 

 2015年9月17日に国土交通省関東地方整備局が発表した子供騙しの言い訳文書は、「若宮戸」の河畔砂丘である「十一面山」を「自然堤防」だとしたうえで、ソーラーパネル業者による掘削への腰の引けた対処を正当化するものでした。前のページでは、目眩しのために流布している「十一面山=自然堤防」説について検討しました。つぎに、国交省の対処の問題点、なかんずくその違法性について検討しなければなりませんが、その前に、国交省が「若宮戸」の現況について情報を小出しにしてきましたので、このページではそれを見ておくこととします。

 

 次は、国土交通省関東地方整備局のウェブサイトの「ホーム > 防災 > 関東の災害対策 > 平成27年9月関東・東北豪雨(風水害対応)」(http://www.ktr.mlit.go.jp/bousai/bousai00000091.html)に2015年10月13日づけで掲載された「『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る鬼怒川の洪水被害及び復旧状況等について(平成27年10月13日18:00時点)」という文書(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000633805.pdf)の一部です。

 

閑話 (若宮戸の件には直接には関係のない話ですので、パスしてください。)

 

  bousai00000091.htmlのページは「関東の水害対策」とか「風水害対応」と銘打っていますが、鬼怒川水害の全体についての客観的叙述ではなく、このたびの災害に際して関東地方整備局がいかに活躍したかを自画自賛的に広報するためのものです。内容としては、たとえば「応急復旧工事等に対する感謝状贈呈式」、すなわち「三坂町」での仮堤防(2015年9月24日夜竣工)の工事にあたって功績のあった企業を表彰するセレモニーや、「排水ポンプ車稼働状況」として浸水した常総市40㎢での内水排水ポンプ車による排水作業の詳細な広報など、このたびの水害の原因者である関東地方整備局が、みずからをこのたびの水害における救済者であるかのごとく描出しています。被災者でなくても腹立たしく、あまりにのずうずうしさに仰天してしまいます。

 この000633805.pdf、同局河川部お得意のプレゼンテーションソフト(おそらくマイクロソフト・パワーポイント)による電気紙芝居文書であることからわかるとおり、基本的データとか公式文書などではなく、広報用途の宣伝パンフレットです。

 「記者クラブ」の会員である報道企業各社はこのような文書類をその都度、もれなく「提供」(「記者発表」時の配布ないし、「記者クラブ室」=当該官庁の広報課の一室に設置してある企業ごとのポストへの「投げ込み」)をうけ、「レク」までしてもらって記事を作成するのです。庁舎の駐車場にも入り口近くに指定スペースが割り振られ、記者クラブ室に個別のブースまであてがわれたうえ広報課の職員に掃除や出前の食器の世話までしてもらい、こうしてニュースソースの一元管理を受けて発表当日にはテレビと新聞夕刊が、翌日には新聞朝刊が、ねらったとおりの番組・記事を広報するのです。地方紙は、時事通信社または共同通信社から出来上がった記事の「配信」を受けて、多くの場合それをそのまま紙面に掲載します。国民は、報道各社が「抜いた、抜かれた」で凌ぎを削っていると思っていますが(いない?)、ここでは「特ダネ」などありえず、一社だけ記事を逃す「特オチ」も絶対に起きません。

 20世紀末までの状況とは大きく異なり、中央官庁ならば発表文書は即日ウェブサイトにも掲載されるので(県庁などでは重要文書が何か月もたってから「公表」されるのですが)、かつてのように報道企業による情報独占は成り立ちませんが、このウェブサイトは膨大な情報が上述のとおり恣意的なツリー構造、というより樹状になっていればまだいいほうで、GOTO分を濫用したコンピュータ・プログラムのごときスパゲッティ状態のもとに脈絡もなく集積しているうえ、格納場所のめまぐるしい変更、アリバイだけ作っての速やかな削除などがおこなわれるので、見逃しや見失いは避けられません。探している当の目的物がわかっていれば「サイト内検索」やpdf文書の「全文検索」で難なくみつけることができますが、困るのは突然出てくる未知の情報の場合です。すでに知っているものについては改めて知る必要はないし、知らないものについては、知らないものが存在すること自体を知らないのだから、やはりそれを知ることはできないのです。人間はなにかを新たに認識することはできない、という古代ギリシャ以来の認識のパラドクスです。しかし、これもクラブに属していれば、その心配はないのです。親鳥がせっせと餌を運び、大きく開けた口にそれを与えてくれるのですから。雛鳥どうしなら競争も生じますが、クラブの中では相互扶助です。

 困るのは、特権ギルド団体である「記者クラブ」に入れてもらえない週刊誌紙やインターネット上の独立自営ジャーナリストの場合です。通知ももらえなければ「記者会見」会場にも入れてもらえませんから、最初から「独自取材」しなければならないのです。馴れ合いになりようもなく、余計な気を使わずに取材して記事をかけるのですから、これこそ報道の本道なのですが、先生が手取り足取り懇切丁寧に教えてくださるわけでもなく、余計なお世話のお友達がノートを貸してくれるわけでもないので、見逃しや誤解は不可避です。そうなるとサーベイランスで拾い出した広報担当に見咎められて、あげく「誤報」だと嫌味を言われるくらいは覚悟しなければなりません。このような場合には、堤防決壊場所の「三坂町」を「新石下」と取り違える致命的ミスに気付かず記者発表した当のご本人様が、お直々に電話をくださるのだそうです。

 当局子飼いの仲良しクラブの排他性は、報道企業でも有効です。地方支局の若手記者が住民による中央官庁への請願行動の取材に同行しようとしたところ、前夜になってストップがかかり請願場面のカメラ撮りは取りやめとなり、請願団による霞が関の本省内の「記者クラブ」での記者発表会場へも入れないことになりました。カメラなんぞを回した日にはせっかくよしなにやっている官庁様のご機嫌を損ね、クラブ員たる本社の先輩記者の顔に泥を塗ることになるわけです。地方支局の記者はやむを得ず請願団の一員のふりをして記者発表会場に紛れこんだのですが、結局は取材にはならずニュースも書けずにおわりました(伝聞ではありません。請願を受けたお役人は、請願を無視して直後に下したその件での行政処分が、2年後に行政不服審査により違法処分として取り消されたのですが、そんなことには何の関係もなくその後出向先の何の関係もない県で、ひょんなことから知事になりました)。

 当 naturalright.org は、やめようやめようとは思いつつ、報道企業の悪口となると止まらなくなるのですが、もちろん本心ではありません。とくに若手の記者には期待しているのです。問題は、能力もやる気もある若手の記者にきちんとした取材をさせない(さきほどの例が典型)、まともな記事を書かせない、歳をとるほどだんだん元気を失わせていく(ほかでも似たようなものですが)報道企業の腐敗した企業方針を支える(もとは能力もやる気もあったかもしれない)上中層部にあるのです。そういう会社は、だんだん優秀な若手が入社しなくなり、上から下まで一致団結して行政官庁の忠実な外部広報請負業務に専念するようになるのですが。

 

閑話休題

 

 このパンフレットの中に、「若宮戸」問題への言及もあります。これは、水害直後でまだ水も引かない9月中旬に、太田昭宏国土交通大臣(当時)や菅義偉内閣官房長官が調査を約束したことへの関東地方整備局としての回答のようで、これをもって最終回答とし、一件落着としたいのでしょう。翌日の新聞各紙は、「ソーラーパネル業者が〝自然堤防〟を掘削しなくても氾濫は起きた」という関東地方整備局の主張に沿った報道をおこない、「若宮戸」問題については報道企業としては今後一切追求しないことを宣言してしまいました。

 

 

 

 末尾にあるように、契約している共同通信社からの配信をそのまま載せたということです。「日本経済新聞」ともあろうものが、自らもさいたま市の関東地方整備局の「竹芝記者クラブ」の会員であるはずなのに、通信社からの配信でお茶を濁したわけです。関東地方整備局河川部の高橋伸輔調査官の「不明」失言がまたも出たわけで、ふつうならそれで沈静化の目論見は一瞬でご破算となり当然担当者は更迭となり、「若宮戸」が重大問題化してこんどこそ本当の第三者機関を設置しての本格的な真相究明が始まる、はずの場面なのですが、天下の「日経」がこの態度では一件落着です。治水の失敗という、国家の存立危機事態についての同社の無関心ぶりには恐れ入ります。

 

閑話

 

 国土交通省関東地方整備局の最大の任務は、利根川の維持管理であるわけですが、仮に利根川右岸が決壊し東京へ氾濫水が流出することになれば、だいぶ前の試算でも被害想定額は19兆円(人命の損傷は計算外)とされるのです。新聞会社も放送会社も、利根川水系の鬼怒川の治水に失敗し、40㎢の水没という空前の水害を起こしたあとも八ッ場ダムをつくることしか考えていない関東地方整備局に、利根川の治水全部を任せておいてはたして大丈夫なのかとは決して考えないようです。重要施設があるわけでもない地方の田園地帯の常総市の水害くらいなら、取材に行った記者が浸水で孤立した市役所庁舎から出られなくなって泣き言を並べるくらいで済みますが、利根川右岸決壊となると新聞発行の長期停止、放送途絶ではすみません。

 当今、富士箱根伊豆はなにやら不穏で、利根川も心許ない状態です。「背山面水」の東京にとって、鬼怒川の惨状は重要な転換点となるべき啓示的事象なのですが、ここでも福島第一原子力発電所の爆発事故を忘れて「オリンピック」で浮かれ騒ごうとしたものの、競技場どころかエンブレムひとつまともにつくれないのと同じことが、起きているのです。

 

閑話休題

 

 

国交省広報における若宮戸新情報

 

 広報パンフレットでの「若宮戸」への言及は3ページにわたりますが、まずページ全体で扱っている16ページと17ページを引用します(右下にページ数が入っています)。

 



じつは2か所だった若宮戸の氾濫地点

 

 たったこれだけかとあきれるような文書ですが、それでも9月17日の茶色のにょろにょろで終わりにしたかったところ、永久に封印されたであろう資料が、水害からわずか(!)1か月後に、小出しとはいえ出て来ただけでもたいへんな僥倖だと思うことにしましょう。

 それにしてもおどろくべき事実です

 メインの「ソーラーパネル」の件の前に、別の新情報です。今頃になって600m下流の左岸24.75km地点でも「溢水(いっすい)」が起きていたというのです。上のパンフレット16ページの航空写真とその場所の写真2枚を拡大します。①の地点がこれまでも知られていた「ソーラーパネル」の25.35km地点であり、緑の矢印のように氾濫したのですが、もうひとつ⑤の地点でも緑の矢印のように氾濫したというのです。

 

パンフレット16ページ左 航空写真の拡大

 

 この24.75km地点ともとからの25.35km地点の2か所に大型土嚢を「設置」したとして15ページに下の写真を載せています。


 9月10日からインターネット内で数日間だけ騒ぎたて、原子力発電に反対してソーラーパネル発電を推進したからこんな水害が起きたのだと支離滅裂なことを言っていた人たちの多くは、「若宮戸」と「三坂町」の航空写真を混同し、ひどい場合は1か所だと思い込んでいたのですが(たしかに似ているのです。それだけ「若宮戸」も激烈だったということなのですが)、なんとその「若宮戸」もじつは2か所で氾濫していたのを関東地方整備局は水害から1か月以上もたってから公表したのです。2か所の区別もつかないブロガーたちを嗤っていた当 naturalright.org も「若宮戸」に2つの「土嚢の堤防もどき」が作られていたことに気づかずコロリと騙されていたのです。

(三坂町での仮堤防完成を大々的に取り上げる9月24日の記者発表資料〔http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000632707.pdf pp.1, 4.〕には、「溢水」が起きていたことと、「土嚢の堤防もどき」をつくっていたことはほかの数十か所に紛れ込ませて書いてあったのですが、つい見逃すような小さな扱いでした。直下の家屋を破壊するような激烈なものであったことはいまだに秘密にしています。)

 

 その初登場、左岸24.75km地点で「溢水(いっすい)」が起きていた場所の写真2枚を拡大します。「⑤」とは、写真の順番ではなく地点を表わすものです。つまり⑤地点の「排水ビフォーアフター」です。なお、「排水」したといっても水はまだ残っています(そのあとになるとふたたび増水しています。降雨によるものでしょう)。いずれの写真にも奥の方で重機が工事をしている様子が写っていますが、このあと5日間で先ほどの15ページの写真の右側の「土嚢の堤防もどき」を完成させたことになります。ラッピングのクリストのお株を奪うような「土嚢の堤防もどき」です。

 


 

 「土嚢の堤防もどき」完成後に、当 naturalright.org が同じ場所に行って同じ構図で撮ったのが下の写真です(2015年10月26日)。ただし、「土嚢の堤防もどき」の左の方も見えるように広角で撮りました。樹木の形も同じですし、赤白の高圧線鉄塔は左岸にはこのひとつだけですからこの場所で間違いありません。(なんども騙されているので慎重です。)

 


 激烈な氾濫だった

 

 さて、いよいよ本題の、鬼怒川左岸25.35km地点、若宮戸地先の、ソーラーパネル業者による掘削現場の氾濫状況についてです。関東地方整備局は、いろいろ溜め込んである詳細なデータを渋々ながらすこしずつ出し始めました。

 次は、9月10日「午前6時過ぎ」、つまり氾濫が始まったとされる時刻の写真(パンフレット16ページ)を拡大したものです。

 

 「6時過ぎ」とわざと曖昧にしています。6時01分なのか、それともたとえば6時30分なのか不明です。7時だろうが8時だろうが「6時過ぎ」には違いないのです。デジタルカメラであればかならず撮影時刻が記録されているはずですから、わざとぼかしているのです。

 これまで6時ころに「溢水」がはじまったと言っていたのですが、写真で見るとすでにかなりの水の勢いです。土嚢を越えた氾濫水は右側のソーラーパネルが設置された平坦な区域までおおきく広がっています。その中央やや左寄りの数十個の土嚢すでに押し倒されたか、あるいは破れてしまっているようです。もともと低かったのか、あるいは川側の地形や水流の関係でこの部分に力が集中したのかは不明ですが、そこから氾濫水が大量に流入しています。白く泡立っていてすでに「落堀(おちぼり、おっぽり)」の形成も始まっているように見えます。

 「溢水」のはじまりは、本当はもっと前からなのではないでしょうか。今始まったばかり、のようにはとても見えません。9月17日に記者発表した「下館河川事務所から常総市役所への情報提供概要(速報版)」によれば、5時58分に「若宮戸地区で越水が始まります。」と市役所に電話(「ホットライン」)しているのです。越水が「始まります」というのはヘンな日本語ですが、いよいよこれから本格的に流れ出すように見えるという趣旨であって、すでに水は溢れ始めていたと解釈すべきでしょう。現地(若宮戸)から直接携帯電話をかけたのではなく、現地から鎌庭(かまにわ)出張所(常総市新石下)に連絡がはいり、そこから下館(しもだて)河川事務所(筑西市)に連絡が入り、今度は下館河川事務所から市役所に電話したということになると、5時58分よりかなり前に「始まります」の状態だったことになります。「三坂町」の決壊(12時50分ころ)についての「情報提供」が常総市役所に入ったのが、30分後の13時20分でした。この5時58分の「始まります」は、じつは30分くらい前、5時30分ころの状況だと思われます。

 

 もう一点指摘しておくと、この①の写真にはもっとも激しく氾濫したように思われる部分が写っていないのです。下図は、この項目の1ページめの冒頭で示したGoogleによる写真を加工し、激しく洗掘された部分の画像を抽出したものです。青の矢印が広報資料の①の写真の撮影方向です。赤の矢印2の箇所で土嚢が破られて流入が始まった時点で①の写真の画面右側に写っているソーラーパネルは、翌日の写真でみると流失しています。さらに激しく洗掘されているのが赤の矢印1の箇所です。上流から回り込むように流入した氾濫水が左側の砂丘を削って崖をつくり、右側のソーラーパネルを軒並み破壊しています(氾濫水がこのように上流側に旋回するのは一般的傾向です)。ソーラーパネルは大部分は「無傷」だったのですが、このように「1」と「2」の部分だけは激しく損傷しています。最も激しく流れ込んだと思われる「1」の部分は、おそらく時間的にも最も早く土嚢を越えて氾濫水の流入が始まったものと思われますが、その部分が写っている写真は公表されていません。とても撮影できるような状況でなかった可能性もありますが、いくらなんでも写真が1枚だけということはないでしょうから、他の写真も公表すべきです。

 

 

 さて、2015年10月26日に現地で、この①の写真と同じアングルでの撮影をこころみたのですが、水害後、国土交通省が地面に大量の砂を入れて平坦に均したうえ、「土嚢の堤防もどき」が設置されて様子がまったく変わっています。次にみる「段彩図」の「A-A'」の「A」のあたりだと思うのですが、大部分は「無傷」で残ったソーラーパネルも全部取りはずされてしまっていました(別ページで報告しますが、現地で発電所を再建するのです。下の写真の右下、「土嚢の堤防もどき」の脇に丁寧に積んであるのが見えます)「土嚢の堤防もどき」が邪魔していて、結局同じアングルを探すことはできませんでした。画面左上の樹木の梢と画面右奥の「十一面山」に見える特徴のある樹冠から、数mの誤差の範囲でだいたいこの場所だろうとおもわれるところからの写真です。

 画面左奥、川に近いところに積み上がっているのが「A社」のソーラーパネルの残骸です。遠くに見えるのは対岸の堤防と洪積台地(前ページ末尾の地形分類図によると「中位砂礫侵食段丘」)です。

 


よくわからない標高段彩図

 

 パンフレット17ページの標高を段彩で表現した地図を拡大したものです。

 衛星写真を加工したものでしょう。このような衛星写真をどの程度の間隔で撮影(入手)しているのか不明ですが、さまざまのデータの蓄積があることがここからもわかります。「T.P.」すなわち東京湾平均海面とありますから、河川管理用に国土交通省国土地理院(茨城県つくば市)に命令して作成させたものでしょう。それをこのように小出しにしているのですが、本来ならもっと早く、しかもこのような「サムネイル」程度のものでなくきちんとした形で公表すべきです。

 

 

 2枚の写真の解像度がかなり異なっており、色調も微妙に食い違っています。変化していないと思われる部分が両者の間でだいぶ異なった映像になっているのも不可解です。右の図で「B社」のソーラーパネルが妙にエッジが立って写っているのも変です。影のような異様に濃い色は何なのでしょう。今回あらたに言い出した「24.75k」地点の「溢水」について、水流を示しているらしい矢印が写真から食み出してしまっているなどの素人くさい扱いや加工がほどこされていて、資料の信憑性を大きく損ねています。重要なところに「A-A'」と邪魔な書き込みをして肝心の画像を隠してしまうなど、なんと無神経なのでしょう。(右写真のA'上の16ないし17mの部分は当初崖だと思ったのですが、氾濫水が運んだ砂のようですので、記述を訂正しました。)

 しかし根本的な問題は、この地図が一見、地表面の標高を表示しているような印象を与えますが、じつは「地表」と、樹木や人工物との区別がつかないことです。一般的にはそれで差し支えないのですが、1mとか2m、あるいはそれ以下の微小な地面の起伏が問題になる今回の事案にあって、これは致命的です。

 



土嚢の効果の過大評価

 

 下は、17ページの「洪水時の溢水状況」を拡大したものです。問題の地点の「断面形状」らしきものを描いているのですが、なんとcmきざみです。ということは、詳しい測量図があるということです。

 普通は等間隔で「側線」を設定して「横断測量」をおこなうべきところ(上の図は、海岸の測量に関するものですが、「横断測量」の例です。 http://web.pref.hyogo.lg.jp/whk12/documents/rep4-4.pdf)、関東地方整備局がやるとどうしてこれほど間隔に疎密があるのか理解に苦しみますが、一応11本の「側線」を設定して「横断測量」を実施したということでしょう。各側線の断面図は存在するのです。こういう抜き書き・加工を施すのではなく、その原データを示すべきです。

 さらに今回の災害についての説明だというのであれば、測量データにもとづいて砂丘(「いわゆる自然堤防」)の形状を等高線で表した平面図を作成して提示すべきです。さらには3D立体模型を3Dプリンタで出力して陳列する、くらいのことをすればよいのです。このようなお粗末な図を示されたところで、説得性がありません。誤魔化そうとするからこういう訳の分からないことをするのです。持って回ったことをして、あげくに茶色のにょろにょろをお絵描きソフトで描いたりしたのは、削った砂丘と積んだ土嚢のあまりの違いを世間に悟らせまいとする、子供じみた意図にもとづくものとしか考えられません。

 

 とはいえ、こうやってやきもきさせ、呆れさせ、そのうちウンザリさせて諦めさせるのが、関東地方整備局高橋伸輔調査官に限らず、行政機関全般の通弊なのですから、当方としては出てきた資料から実情を探るまでのことです。

 素人相手に「横断測量」「側線」などの専門用語=業界用語=隠語(ジャーゴン)で脅かして萎縮させ、手抜き工事をごまかすのは土建・建設業界の陳腐な常套手段です。説明している御本人が、ちょっとつっこまれると「わからない」「不明」になってしまう素人なのですから、そんなことでいちいち恐れ入ってはいられません。

 

 2段目の図(と説明文)によれば、この多少の起伏のあった河畔砂丘 Sand dune(「いわゆる自然堤防」)をソーラーパネルの業者が掘削して、(江戸川堀江の水面の高さを基準として)標高19.7mまで水平に地均ししたところに、国土交通省が高さ1.6m「程度」の大型土嚢を並べたということのようです。土嚢はただの大きな袋であって、四角四面のカッチリした形状ではなく、特に上面は巾着状になっていて平滑ではありません。「設置高」といったところで、数10cmの起伏はあるし、それが「1.6m」になるといったところでおおよその数値でしかありません。だから「程度」なのでしょうが、その高さキッカリまで洪水を押しとどめることができる、と言い切っているところがまったくデタラメです。

 堤防上に小さな土嚢を積むときは、横にしてお尻を川表に向け、巾着状の口を川裏側になるように置くのです。そうでないと巾着の口から水が入ってあっというまにダメになってしまうのです(社団法人関東建設弘済会さいたまセンター企画部『水防工法と水防活動体験』、2008年)。このように大きな土嚢の場合、巾着の口が上を向いているわけで、弱点が剥き出しです。そもそもこういう用途には向いていないのです。

 下は、福島第一原子力発電所から飛散した放射性物質によって汚染された汚染土の「除染」作業の際の土嚢です(2012年2月、茨城県立取手〔とりで〕第一高等学校)。色は違いますが、同じような大型土嚢です。業者は「トン袋」と呼ぶようですが、土を入れて実際に測定すると概ね700kgでした。(写真は、学校敷地中の芝生、グランド周縁・建物の周囲の土、側溝の泥などを剥ぎ取って、その土嚢を第2グランドに重ねて置いている場面です。このあと、ここともう一箇所の空き地に広大な穴を掘り、遮水シートでくるむようにして埋設しました。ちなみに、茨城県の中央部の石岡市からこの取手市、隣接する守谷〔もりや〕市を結ぶ三角形は、南側の千葉県我孫子〔あびこ〕市、柏市などと連続する高線量地帯で、福島県の浜通りほどではありませんが、中通りと同等の放射能汚染を受けたところです。)

 その下は、2014年の国交省による設置作業中に、若宮戸の住民が撮影した土嚢の列の写真です。2015年10月10日の「日刊スポーツ」に掲載されたものですhttp://www.nikkansports.com/ajaxlib/root/general/news/1550682.html)。手前が工事中の「B社」のソーラーパネルの設置台、奥が「A社」のソーラーパネル、その先が鬼怒川です。写真を見ると、1段目に2個、2段目に1個というように、つまり断面が「品」の字になるように積んだものを数珠つなぎにただ並べただけのようです。途中で画面から外れていますが電柱は高さ12m、フェンスは高さ1.8mでしょうから、2段目の土嚢の頭頂部は、資料のとおり概ね1.6mというところでしょう。すでに「A社」のソーラーパネルにつながる電柱や境界のフェンスなどがあったのですから、もともとの砂丘(「いわゆる自然堤防」、茶色のにょろにょろ)があったのはかなり手前(東側)だと思われます。こんなものに氾濫防止効果があると思う人はいないでしょう。たいへん貴重な写真です。

  

 

 それにしても、水を遮ろうというのに「設置高の平均値」などと言っているのですから呆れてしまいます。まずは平均ではなくて、一番低いところが問題なのです。測量データを適当にアレンジし、掘削前の砂丘(「いわゆる自然堤防」)の高さについては最も低いところが21.36mしかなかったのだから、掘削しなくても氾濫したのだと言って、高低差を問題にしていたのと矛盾する態度です。

 「平均値」で済ますようでは、中学生が勉強する「リービッヒの最小律」の桶の比喩が理解できないでしょう。

 

 

 基底部の幅ををかなり広くとり、ゆるやかな角度で盛り上げた堤防であっても、「三坂町」の決壊原因に関する国交省公式見解のとおり、越水すれば洗掘が起こって決壊にいたるわけです。「品の字に縦に2段に積み上げただけの土嚢に、ぎりぎりの高さまで水を堰き止める効力などあるはずがないのです。実際にそうなったように、間からは水が漏れ出てくるのはもちろん、水圧で簡単に押し除け押し倒され押し潰されて、最後には破れて中身が流出することになります。さらに、水位がもっと上がれば、氾濫水が相当の深さをもったまま土嚢などには目もくれずにその頭上をすんなりと通り過ぎていくのです。9月10日の数多のヘリコプターからの空撮画像を見ると、土嚢は壊れなかった場所でも完全に水中に没してしまっています。

 水害後に2か所につくった「土嚢の堤防もどき」は、遮水シートでカバーもしてあるうえ、断面は一応三角形になっているのですが、堤防でいうと切り立ちすぎていて水圧に耐える能力の低い「カミソリ堤」(厚みがなく切り立っているものという意味の隠語)そのものであり、じわじわくる水ならある程度は耐えるかもしれませんが、かなりの速度と質量で突進してくる洪水に対する効果のほどは心もとないものです。それでもあのふたつはまだいい方で、関東地方整備局が前年にこの25.35km地点に「品」の字に2段重ねで置いただけの土嚢など、気休めにもなりません。

 これは、実際にそうなったのを見て知っているからそう言えるような、後知恵による卑怯な非難などではありません。素人目にもあきらかな初歩的事実です。あの程度のもので洪水予防効果があるなら、手間暇かけてホンモノの堤防を作る必要はないのです(そうなれば国土交通省河川部は廃部です)。「品の字」に2段に積んだ土嚢など気休めにもならないことは国土交通省自身が一番よくわかっていて、9月9日の時点で、結果をすでに予測した上であの場所に張り付いて固唾をのんで見守りつつ、状況を逐一常総市役所へも連絡していたのです。


 関東地方整備局の主張は、

 

土嚢は、その高さY.P.+21.3m までは洪水をブロックした

最高水位のY.P.+22.0mの洪水はブロックできず、その差70cmの深さでの氾濫が起きた

 

というものです。しかし、「情報提供」や写真から明らかなとおり、(その時点での水位がどの程度だったは、のちほど推定しますが)

 

水位Y.P.+21.3mに達する前に、すでにブロックできず氾濫が起きていた

 

ことが明らかです。

 すなわち、10月13日の発表文書においては、2014年に関東地方整備局が積んだ土嚢の効果をいちじるしく過大評価しているといえます。

 とくに重要なのは、水位Y.P.+21.3mにいたる水位上昇段階で、その水位Y.P.+21.3mをブロックできなかったことだけではなく、水位低下段階においても、水位Y.P.+21.3mをブロックすることができなかったことです。水位上昇段階では水位Y.P.+21.3mにはおよばないまでも、ある程度は「溢水」を起こしながらすこしはブロックしていたかもしれませんが、6時00分「過ぎ」の写真からも見て取れる「品の字の土嚢」の倒壊・破壊・流失が進行し、水位低下段階においては、土嚢の効果はほぼ完全に消失していたということです。これが、このあと見る長時間にわたる水位の上昇とあいまって、著しく長時間にわたる(すくなくとも10時間以上と思われます)氾濫の継続による被害の極大化を招いたことです。

 以上は、国土交通省が発表したデータと、住民が撮影した写真(「日刊スポーツ」に掲載)から合理的に導き出すことのできる結論です。

 

 この結論の妥当性を証明するのが、氾濫後の9月12日午後に撮影された現地の写真です(2015年9月13日、日経テクノロジーオンライン日経BP社〕http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/091300309/?P=1 南から北を撮影。十一面山砂丘の断面が見えます。)(2枚目は、2015年12月10日に、同社の別の記事に掲載された写真です。http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/feature/15/302961/120800008/?SS=imgview&FD=1203494835 撮影日は同じ9月13日、撮影方向が今度は北から南です。慰霊塔と対岸の紅白鉄塔が見えます。13, Dec., 2015追加)。「品の字の土嚢」は完全に氾濫防止効果を喪失したことは明白です。

 この現状は国土交通省関東地方整備局も当然把握しているのですから、かれらは、「Y.P.+21.3mまでは洪水をブロックした」という主張を、それが事実でなく完全な虚偽であることを自ら知りながら、国民に対して提出したことになります。

 


水位上昇についての誤った認識

 

 下は、国交省から市役所への「情報提供」について、関東地方整備局が9月17日に発表した広報資料です。これについては、別項目で仔細に検討し、「若宮戸」については国交省は前述のとおり市役所に刻々状況を知らせ、水防活動や避難指示について具体的に、事実上指示していたのに対し、「三坂町」については、11時ころの越水開始は把握したものの洗掘が進んでいる状況がうまく伝わらず(伝わらなかっただけではなく、国交省下館河川事務所自身が把握していなかった可能性が高いのです)、12時50分ころ決壊した際には3つの地名(「新石下〔しんいしげ〕」「大房〔だいぼう〕」「三坂町」)が複雑に入り組む地点で「地先」名が誤って伝えられるなど、「避難指示の遅れ」を引き起こす事情がいくつも重なったことを明らかにしました。

 じつはその際、広報資料が使った水位変動のグラフが「川島」のものだったことについては、いっさい言及しませんでしたが、この「若宮戸」の氾濫について見る場合には決定的な意味があるので、あらためてここで検討することにします。

 

 グラフの右上に「川島水位観測所(45.65k)」とあります。

 なぜ「川島」なのでしょうか?

 関東地方整備局下館河川事務所が管轄する鬼怒川下流部には、次のとおり8か所の「水位流量観測所」があります(国土交通省「川の防災情報」のウェブサイト http://www.river.go.jp/ から各観測所のデータをコピーし表計算ソフトにペーストしたものです。このままの形の表が掲載されているわけではありません)。あちこちの橋梁や排水門、樋門(ひもん)にも水位表示板がついていますが、この8か所はリアルタイムに河川事務所に情報が送られ、今回のような洪水時には、氾濫の危険性を認識して対処するうえで重要な役割を果たすのです(それどころかインターネット上で、誰もがいつでもリアルタイムに、あるいは過去のデータを自由に見ることができるのです鬼怒川決壊前後数日間の水位変化のページをご覧ください。)

 

 右に位置関係を示しました。あいだに下妻(しもつま)市をはさんだ筑西(ちくせい)市にある「川島観測所」は、常総市最北端の「若宮戸」とは流路にして20.4km、その南の「三坂町」とはは25.65kmも離れているのです。流速を勘案して、どの程度の時間が経過すれば、その水位上昇ないし下降の傾向が下流に及ぶかを推測するうえでは、「川島」のデータも当然参照すべき数値でしょう。しかしそれまでです。氾濫地点の水位変化の趨勢20kmも離れた場所の水位変化グラフで表すこと自体、きわめて不合理なことです。

 

 あらかじめ、関東地方整備局が言いそうな言い訳を書いておきます。

 すなわち、鬼怒川下流部の4観測所のうち、「川島」と「鬼怒川水海道(みつかいどう)」では「水防団待機水位」「はん濫注意水位」「避難判断水位」「はん濫危険水位」が明示されているが、「平方」と「鎌庭(かまにわ)」には示されていないので、水位変化のグラフを示すうえで、その意味がよくわからないと思って、「平方」と「鎌庭」は使わなかった、そして「鬼怒川水海道」は下流側なので除外した、というものです。

 なるほど、上の「情報提供概要」の赤・青・黄のバーがなくなるとその水位がどの程度の危険性を意味するのかが判りにくくなります。しかし、これは関東地方整備局があらかじめ明示すべきものをしていないというだけの話です。「水位観測所」でありながら、それらの危険性のメルクマール(「水防団待機水位」「はん濫注意水位」「避難判断水位」「はん濫危険水位」)を明示しないこと自体がいかにも頓珍漢なのです。いずれ内部で運用している数値はあるはずですから(なかったらおかしい)、それをさっさと明示すればよいのです。こんな言い訳は到底なりたちません。

 

 氾濫・決壊地点での精密な水位測定データが存在しない場合にどの程度の水位で溢水・越水・決壊などが起きたかを調べるうえでは、もっとも近い地点での観測データをまずは参照すべきなのです。具体的にいえば、「三坂町」(21.0km)については、6.34km上流の「鎌庭観測所」(27.34kmと10.05km下流の「鬼怒川水海道」(10.95km)のデータを、「若宮戸」のソーラーパネルの地点(25.35kmと)については、1.99km上流の「鎌庭」(27.35km)と14.4km下流の「鬼怒川水海道」(10.95km)のデータです。

 さらに、ほかの重大な事情(たとえば下流側、利根川からの逆流など)でもない限りは、上流側のデータをまずは見るものでしょう。

 国交省としても、当日はそうしていたはずです。事後の広報といえども事情は同じであり、今、「若宮戸」や「三坂町」での当日の数cm、数10cmの水位変化が大問題になっている時に、直近の「鎌庭」ではなく、あえて20kmから25kmも離れた「川島」のデータだけを持ってくるのはなんらかの誘導の意図がない限りは、到底ありえない手法なのです。

(念のため付け加えておきますと、「下館河川事務所鎌庭出張所」は常総市新石下にあるのですが、この「鎌庭水位観測所」は名称どおり実際に下妻市鎌庭にあります。)

 

北から順に

 川島水位流量観測所 45.75km

 鎌庭水位流量観測所 27.65km

 若宮戸の氾濫地点(ソーラーパネル) 25.35km

 三坂町の決壊地点 21.0km

 鬼怒川水海道水位流量観測所 10.95km


「水位」は、観測所ごとに設定された「零点高」との差で表示されます。したがって、当然ですが観測所ごとに零点高はもちろん、計画高水位なども異なるので、或る観測所と別の観測所との水位の数値の相対的な大小を比較する意味はありませんから、その点はご注意ください。また、水位とは、水深のことではありませんので、この数日間のような場合は別として、しばしばマイナスともなります。

 以上は一般論ですが、「鎌庭」と「川島」では水位変化の趨勢に大きな違いがあり、そのどちらを主に参照するかで、このたびの氾濫の特徴を認識するうえで大きな差異が生ずるのです。

 左の表は、国土交通省が「水文データベース」(http://www1.river.go.jp/)で公表しているデータから、上の4観測所における氾濫前後30時間における、1時間ごとの水位データをコピーし、表計算ソフトに並べてペーストしたものです(1か所だけマイナス符号の誤記があったのは削除しました)。

 それぞれの観測所のデータの経時的変化の趨勢をごらんください。

 黄は計画高水位を超過している水位、橙は各地点のこの期間の最高水位です。(川島と鎌庭では計画高水位を超過しなかったのです。)

 青枠は「若宮戸」の氾濫開始時刻とされる時刻(2015/09/10 06:00)の水位、緑枠はそれ以降上昇した水位が、その水位以下に戻った時点の水位です。4つの観測所を見る限りでは、下流にいくほど高い水位が長時間にわたって続いていたことがわかります。鎌庭と水海道の中間にある「若宮戸」や「三坂町」は、この傾向を共有していたと想定できますから、長時間にわたる氾濫により大量の河川水が流入したことになります。

 水害の被害の大小は、氾濫時間の長短=氾濫水の多少にも依存しますから、この点を評価することは重要です。


 

 川島では、午前6時00分の水位と、最高水位を示した午前9時00分の水位との差は、49cmしかなく、6時間後の12時00分にはすで

に大きく水位が低下しています。

 ところが、鎌庭では午前6時00分の水位は、最高水位までまだ1.35mもあります(水海道はもっと極端で、午前6時00分からさらに3.09mも上昇したのです)。

 鎌庭では午前6時00分を過ぎてもどんどん水位が上昇しつづけ、10時00分から14時00分ころまでは高原状に高い水位が続きます。そして午前6時00分の水位まで低下したのは、じつに14時間後の20時00分だったのです。 (9月10日の午前6時にマーキングするのは、「便宜的」「恣意的」なものであり、そこだけに特段の意味があるわけではありませんが〔他の時刻でも良いという意味で、このようにして上昇下降の波形の特徴を明らかにするうえでは有効と考えます。)

 

(この傾向の原因としては、水海道観測所のある豊水橋〔ほうすいきょう〕付近は、洪積台地を貫流する狭窄部であること、さらに下流5km地点から下流は同様に洪積台地を人工的に開削した、氾濫原(高水敷)のほとんどない狭窄部が続いていること、豊水橋の直上で新八間堀川が合流すること、などが考えられますが、今後の課題といたします。下流ほど水位上昇が長時間にわたったことは、河川の一般的傾向なのだとして済ますことはできません。鬼怒川は宇都宮の東側郊外を流れる中流域では高水敷が広大、つまり両岸堤防の間隔が広いのですが、筑西市から常総市にかけての下流域では逆に両岸堤防の間隔が半分以下になるという、通例とは逆の構造をもつ河川であり、一般論は妥当しないのです。別にみることにしますが、宇都宮は仮に鬼怒川の右岸堤防が決壊したとしても、浸水地域はさほど広くはなく、市街地のほとんどは冠水することはない、と関東地方整備局は予想しています。常総市はきわめて特異な場所なのであり、一般的・抽象的・短絡的に「避難指示」問題を論じている報道企業やわけ知り顔の「専門家」たちは何もわかっていないのです。もちろんなかには、治水政策の失敗を隠蔽するために、わかっていてわざとそうしている者もいます。)

 

 9月17日の資料のように川島水位観測所のデータを参照しても、若宮戸における水位変動の趨勢をとらえることはできません。当面、若宮戸における水位変動データについては、現地でのさまざまの事実に基づくほか、鎌庭水位観測所のデータを参照して再現すべきです。ここで、現在手に入る乏しい資料によって、「若宮戸」における水位変化を推測してみます。

 

 

 ⑴ 鎌庭から水海道までの河床は同一傾斜が続くとみなしたうえで、鎌庭観測所と水海道観測所とのY.P. 高度差7.50m(17.414− 9.914m)を距離16.39km(27.34km − 10.95km)で除して、1kmあたりの高度低減を0.46mとみなし(だいたい2000分の1ということですからかなりの緩傾斜です)、若宮戸25.35km地点のY.P. 高度を16.504m と仮定します。

 

 ⑵ 氾濫当日の水位変化についてはこのさい余計な操作はせず、単純に1.99km上流の鎌庭の数値を持ってきてしまいます。そうすると、(少々乱暴な推測ですが)9月10日の、

6時00分の水位は、(若宮戸のY.P. +16.504m) + (鎌庭の水位 4.41m) = 20.91mとなります。同様にして、

7時00分 21.29m

8時00分 21.66m

9時00分 21.86m

10時00分 22.12m

11時00分 22.25m

12時00分 22.26m (最高水位)

13時00分 22.19m

14時00分 21.01m

15時00分 21.77m

16時00分 21.52m

17時00分 21.30m

18時00分 21.09m

19時00分 20.86m

20時00分 20.66m

となります。

 (なお、広報文書にいう「25.25k地点における痕跡水位」は、22mでした。)

 


 さて、国土交通省関東地方整備局の記者発表資料によれば、「品の字の土嚢」の効果は、次のようなものでした。

 

【国土交通省関東地方整備局の主張

 

  

(要約すると、掘削後の地面の高度はY.P.+19.7m で、ここに1.6m程度」の土嚢をおいたのだから、Y.P.+21.3mまでは氾濫水を堰き止めたけれども、Y.P.+22.0m の最高水位の時点で、上の方の70cmの深さの分だけの流入を許した、というものです。)

 

【国土交通省関東地方整備局の主張の評価

 

  上の「国土交通省関東地方整備局の主張」が正しいのであれば、若宮戸に国交省が「品の字」に積んだ土嚢は、6時00分、7時00分には完全に氾濫水をブロックしており、そのあとになってやっと「溢水」が始まるのでなければなりません。

 しかし、現実には、国土交通省関東地方整備局が提出した写真や「情報提供」(「ホットライン」)の内容などから総合的に判断すると、おそらく6時00分以前には越水が始まっており、6時00分「過ぎ」には激しい氾濫が始まっていたことは明らかです。

 すなわち、上で推測した6時00分の水位は、20.91mですから、21.3mのはるか下の水位であった時点で、激しい氾濫が起きていたということになります。したがってまた、国土交通省関東地方整備局は、最高水位22.0mの時点では、深さにして70cmの氾濫水の流入があったと主張していますが、それは著しい過小評価です。すくなくとも1.35m (22.26m - 20.91m)の深さでの流入が起きていたことは明らかです。

 実際には「品の字の土嚢」の倒壊・破壊・流失が進行するので、それをはるかに超えるものだった、すなわち掘削後の標高面Y.P.+19.7mから、最大深度2.56m(国交省の甘い想定の3倍以上)の氾濫水の長時間の流入が継続したと考えられますが、このページでの推測は以上のところまでといたします。

 

 なお、以上の検討によっても、最高水位を過ぎた後、氾濫がいつまで続いたのかを明らかにすることが水害の規模を確定する上で重要であることがわかります。

 この項目の1ページ目の冒頭に示した写真広報資料16ページの写真も同じ。http://www.ktr.mlit.go.jp/bousai/bousai00000091.html 下は部分拡大したものにより、撮影時刻の14時55分にはかなりの深さでの氾濫水の流入が続いていることがあきらかです。

 6時00分の水位を下回るのは、19時00分の少し前と推定できますから、13時間以上にわたって、氾濫が続いたものと思われます。(実際に氾濫がいつ終わったのかは、不明です。調査中)