自然堤防とは何か 若宮戸ソーラーパネル事件 2

 次が、前のページの最後に示した、若宮戸問題での国土交通省関東地方整備局(さいたま市)の記者発表資料ですhttp://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000632481.pdf。おもて紙(鑑)と本体部分の3ページです。関東地方整備局河川部と下部組織の下館河川事務所との連名になっていますが、「問い合わせ先」のとおり、関東地方整備局河川部じきじきの発表です。

 

 

 行政機関が具体的問題で直接的かつ即時的に見解表明するのは異例です。とにかく無視する、なんとしても無視する、へたに反論して尻尾を出すとたいへんなことになるので、何事もなかった風を装って無視する、というのが行政機関のモットーであり、この若宮戸問題にあっても、ほかの場面ではそのとおり実行しているのです(のちほど具体的に検討します)。ところが河川部の河川調査官の高橋伸輔(のぶすけ)が新聞による取材への対応に失敗したことで、この言い訳文書をださなければならない状況に立ち至ったのです。

 したがって記者発表する前に担当者を替えるべきだったのです。取材に対して拙劣な言葉遣いしかできず、ちょっと聞かれると〝そんなことはない〟とか〝わからない〟とか、あげく今はいえない〟など絶対に言ってはならないことを口にするようでは広報担当としての適格性を欠いています。一連の発言(このあと9月下旬の堤防の規格に関する取材に対するものが典型的でした)から判断するに、「河川調査官」という不思議な職名をもつ、「専門」知識を一切持ち合わせないことが明らかな職員が、広報全般を受け持ち、初手から失敗続きなのにそのまま当該業務を続けているのです。関東地方整備局の組織的弱体は覆い隠しようもありません。(それどころか、別のページで検討する予定ですが、決壊原因と対策を究明する「専門家」の会議〔「鬼怒川堤防調査委員会」の取り仕切りまでしているのです。)


 この紙芝居の内容の検討にはいります。たった3枚なのに問題点は山のようにあります。ひとつずつ見ていかなければなりません。まず、1枚目の「1. いわゆる自然堤防の状況」からです。このページではこの部分だけを検討します。


 

 冒頭から間違ったことが書いてあります。

 問題の箇所を「いわゆる自然堤防」と言っているところにすでトリックが仕込んであります。そもそも「当該地」として、何を、どの範囲を、指しているのかが曖昧です。そして、何だかわからない「当該地」が「実態的には堤防のような役割を果たしていた地形」だと断言しているのです。人を欺く文章というものは、全体としては至極当然なこと、妥当なこと、ホントウのこと、もっともなことを書いておいたうえで、その中にひっそりと騙しのネタを仕込んでおいて、望む通りの結論へと説得していくものなのですが、この紙芝居は冒頭から騙しのネタが登場します。

 このさき高橋調査官は、存在しない堤防が「自然堤防」というかたちであったことにし、それが「実態的には堤防のような役割を果たしていた」としたうえで、それがソーラーパネル業者(B社)によって掘削されたのに対し、国交省下館河川事務所が土嚢を積んで、掘削される前に「自然堤防」が果たしていた役割、すなわち「堤防のような役割」を果たすようにしたのだ、と言うのです。自然堤防=堤防、土嚢=堤防、というレトリックです。

 

 検討を始めます。

 ふたつめの「■」において、省略されている主語は「いわゆる自然堤防」です。それが、「昭和20年代は鬼怒川と市街地の間に広く分布していた」というのです。しかし、上述した通り、どの範囲を、何を、指しているのかがまったくわかりません。4枚の写真に県道、鉄道と駅、小学校をわざわざ白抜きで描き加えているのは、そのあたりが「市街地」だと言いたいからでしょうが、「鬼怒川と市街地の間」とは写真上のどこからどこまでなのでしょうか。東西だけでなく南北の範囲もわかりません。「実態的には堤防のような役割を果たしていた地形」である「いわゆる自然堤防」の東の境界は、県道や小学校のすぐ手前までなのでしょうか。それとも、波線の赤丸で囲った範囲なのでしょうか。西の境界だってはっきりしません。北や南はどこまでなのでしょうか。

 「自然堤防」が「分布」するというのもおかしな言語感覚ですが、昭和22年の写真に、当時あるはずのない「常総市立」玉小学校や、「県道357号線」を書くくらいなら、「実態的には堤防のような役割を果たしていた地形」である「いわゆる自然堤防」の範囲を、はっきり記入すればいいのに、そうしない(できない)のです。

 4枚の写真は、国土交通省の外局である国土地理院(茨城県つくば市)がずっと以前からウェブサイトで公表しているものですが、それ以外にはただの1枚の写真もないばかりか、平面図・断面図などもいっさいありません。具体的数値はどこにもなく、お絵描きソフトで描いた下手な図だけです。利発な小学生ならもっとまともな図を描けるでしょう。

  


「十一面山」の変遷

 

 しかし、ないものを出せ出せと言ったところで絶対に出てくる気遣いはありません。入り口のところでまずは敵の注意を引きつけ、消耗させ、諦めさせて、自分たちは2年ほどで「配置換え」でおさらばするつもりなのです。それならば、すでに出した尻尾に注目するまでのことです。

  国土地理院がウェブサイト(「地図・空中写真閲覧サービス」http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)上で公開している航空写真は、1200dpi(1インチあたり1200ドット)の高精細画像は有料ですが、400dpiのそこそこ明瞭な画像は自由に利用できます。しかし、高橋調査官と同じものを引用するのも芸がありませんので、ここでは、16種類の地形図・航空写真・土地利用図などを、一瞬で切り替え表示できる、沼津高等専門学校の画期的なウェブサイト(http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap4.html?data=2015kinugawa)を利用させていただくことにし、そこから4枚の地図と写真を示したいと思います。すなわち⑴  明治初頭(1880−86年)に製作された迅速測図(じんそくそくず)、⑵  1975(昭和50)年の航空写真、⑶  1985(昭和60)年の航空写真、⑷  2015(平成27)年9月11日すなわち氾濫翌日の航空写真です。

 1枚目の迅速測図の中央に大きく描かれているのが「十一面山」です。なお、「十一面」というのは、もちろん「十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)」のことです。地図の範囲には入っていませんが、すぐ南東の常総市本石下(もといしげ)字西原に「下妻板東十八番札所金椿山泉蔵院十一面観世音菩薩堂」があります(http://www2.plala.or.jp/subhananohoso/kannonjyu.html)。


⑴ 迅速測図(1880−86年)

⑵ 1975(昭和50)年の航空写真

⑶ 1985(昭和60)年の航空写真

⑷ 2015(平成27)年9月11日

 もうすこし広い範囲を表示したいところですが、ここでは氾濫地点周辺がよく見えるように、狭い範囲を切り取りました。

 迅速測図の緑の彩色は、屋敷林も含めて樹林を示しています。南北が画面から外れてしまっていますが、「十一面山」全体が樹林(「松」と書いてあります)に覆われていること、三角点らしきものがあり標高32.25mとあること(最高地点はそれより6mほど高く、38mだったという話もあるようですが今の所根拠がみつからないのと、迅速測図のこの記号は筑波山の例を見ても最高点の意味で描いているようなので、32.25mが最高点の標高と受け取ることにします。東側の「畑」のあたりは標高17mないし18mくらいですから比高15mほどだったことになります)、「十一面山」には川の流れに沿う、いく筋かの畝のようなものがあったこと、その「十一面山」は大きく崩されてしまったが、東の麓に沿って通っていた道は現在までそのままの形で保存されていること(道筋は「十一面山」の形にもとづくものですが、軽く雁行する部分は今回の激流で洗い流されてしまいました)、などなどいろいろなことが読み取れます。(どうか岐阜高等専門学校のウェブサイトをじっくりとご覧ください。)

 こうして、16種類全部を並べてみてもよいのですが、そこまでしなくても、

というのが事実に反することもわかります。

 最後の破壊、つまり氾濫前年の2014(平成26)年に強行された掘削は、その部分にかろうじて残っていた「十一面山」の山体を完全に取り去り、鬼怒川の河岸から若宮戸地区が直接見通せるようにしてしまったのです。直接見通せるということは、河川が増水すれば、河川水が直接流れ出すということです。(下の2枚は、2015年10月4日に対岸の堤防上から撮影したものです。右岸には一応堤防があります。直接見通せる状態だということがよくわかります。カバー付きの土嚢は「堤防」のつもりなのでしょう。)

 

自然堤防とは何か

 

 記者発表文書中に同じ(ような)図が2回登場しています。「いわゆる自然堤防」を削る前と後の2枚です。この〝掘削ビフォーアフター〟の「イメージ図」中の朦朧とした茶色のにょろにょろが「いわゆる自然堤防」だというのです。(右上は、茶色のにょろにょろ図を時計回りに90°回転させ北を上にしたもの、右下は、グーグルの写真から同じ範囲?をトリミングしたものです。河川区域の境界は川沿いの小道の少し東側でA社のソーラーパネル〔バラバラになっていますが〕の西縁です。)

 国土交通省は、とにかく真相を知られたくないものですから、大量に溜め込んである写真や実測図はただの1枚も出さないだけでなく、下手くそな絵をわざわざ作ったうえ、用語まで誤魔化しているのです。

 「いわゆる」をつけるのは、それを「自然堤防」と呼ぶのが適切ではないことを知っているからなのですが、かといって、どうしてそれが適切ではないか、どう呼ぶべきかを説明するとなると、どうしてもホントウのことを説明しなければならないわけで、そうなれば写真や実測図を使うことにならざるを得ず、言っていること全部がでたらめであることが露呈してしまうので、そんなことは絶対にしないのです。さりとて不正確な用語を使っておいてあとで間違いを指摘されるのもいやなので、ここは世間様が勝手に間違って使っている「自然堤防」をそのまま使わせていただいて世間様を誤解させたままにしておいたうえで、あとで誤用が露呈した時には、だから「いわゆる」をつけたんですと言い逃れて責任を世間様に転嫁できるように仕組んでおくのです。

 空前の大水害を引き起こしておいて、しかも詳細な写真や図面を全部隠しておいて「イメージ図」などとふざけたことを言っているのですが、このぼんやりにょろにょろしているものは、断じて自然堤防ではありません。「いわゆる」をつけてひとの所為にしようとしたあげくに、お絵描きソフトのスプレーツールを使って、胡散臭い「いわゆる自然堤防」という嘘の証拠を捏造して尻尾を出したのです。


  ところが、この尻尾を踏んづける人がいません。新聞記者の青年たちは、高校生の時に受験科目には熱心に取り組んだのでしょうが、「地理」を勉強しそこなった人が多いようです(「日本史」は必修科目ですが、「地理」と「世界史」はどちらかだけしか学習しない〔できない〕という選択科目なのです。履修しない高校生の方が多いかもしれません)。こんな子供騙しの絵にさえツッコミを入れることもできず、「自然の堤防」だとか、「堤防の役割をはたす」だとか、にょろにょろの高橋調査官の見え透いた朦朧体詐術に引っ掛かって翼賛記事を書いてしまうのです。

 

 以下このページでは、茶色のにょろにょろが自然堤防ではないことを示します。

 次は、国土交通省の「主要水系調査成果閲覧システム(http://nrb-www.mlit.go.jp/kokjo/inspect/landclassification/water/risui/index.html)に掲載されている「5万分の1都道府県土地分類基本調査」の「地形分類図 水海道」(1985年)です(http://nrb-www.mlit.go.jp/kokjo/tochimizu/F3/ZOOMA/0807/index.html)。まず全体図、つぎに画面右端の鬼怒川流域の拡大図と作成者名、凡例、そして若宮戸周辺の拡大図、最後に、問題の地点を通る線の断面図です。

 このスクリーンショットは解像度は高くありませんから、くわしくはどうか該当ウェブサイトをご覧ください。小貝川流域が切れてしまっていますが、それは東側の「土浦」で見ることができます。日本国中をあちこち、自由自在に拡大して見ることができます。すごいです。




 山吹色の「N」が、自然堤防 Natural levee です。鬼怒川の西岸にもすこしありますが、東岸には「自然堤防 Natural levee 」が連続的に形成されているのがよくわかります。この図の東隣りの「土浦」には小貝川(こかいがわ)が流れていますが、その小貝川が形成した自然堤防 Natural levee は、この「水海道」の画面右端にもすこし見えています。

 小貝川が形成した自然堤防 Natural levee と鬼怒川が形成した自然堤防 Natural levee との間には、「谷底平野(たにぞこへいや、こくていへいや)および氾濫原 Valley plain and flood plain 」が広がっています。いわゆる「後背湿地 Back swamp」(後背低地)です。耕地整理がほどこされた整然たる区画の水田が広がり、中央を南北に縦断する八間堀川(はちけんぼりがわ)が排水の役目をはたしています。

 断面図が描かれた線沿いでは、後背湿地 Back swampが標高16mくらいで、自然堤防 Natural levee は標高17mないし18mくらいです。

 「自然堤防」というと、人工の堤防のように狭く細く長いものを想像してしまいますが、まったく違います。

 堤防という全体集合のなかに人間がつくる堤防 levee という部分集合と、自然堤防 Natural levee という部分集合があるのではありません。洪水時などに河川の流路沿いまたは周辺に砂やシルトが堆積してできた微高地」(国土地理院 http://www.gsi.go.jp/bousaichiri/lc_configuration.htmlである自然堤防と、人工の堤防は同一次元で並列的に比較するようなものではありません。対になる概念でもありません。どちらも河川には関係ありますが、この二つは相互に無関係のまったく別のものです。一方が他方の「役割を果たす」などということは、絶対にありません。

 

 問題の若宮戸地区はどうでしょうか。ここは鬼怒川下流域でももっとも自然堤防 Natural levee が発達しているところだったのです。高橋調査官は「いわゆる自然堤防」が「鬼怒川と市街地の間」に分布〟していたなどと言っていますが、大間違いです。「市街地」や学校、耕地がこの広大な自然堤防上に分布〟しているのです。そして今は「県道357号線」となった国道294号線と、関東鉄道常総線がそれらの「市街地」を結んでいるのです。

 

 「自然堤防」は英語の Natural levee の訳語、しかも完全な直訳です。しかし、堤防でないものに「堤防」の語をあてるのは適切ではないのだから、別の語をあてるべきだと考えた人がいました。昭和のはじめごろ、東京帝国大学の東木龍七は、「河岸擬似三角州」の語を用いたのですが、それは普及せず、結局は戦後にいたって Natural levee の直訳の「自然堤防」が定着しました。というのが、籠瀬良明による説明です(籠瀬良明『自然堤防の諸類型 −河岸平野と水害−』、1990年、古今書院、pp. 1-2.)。

 ただし、話はもうすこし込み入っているようです。英単語 levee の語源はフランス語の lever(「持ち上げる」)の過去分詞 levée であり、18世紀ごろには「洪水の結果、自然に沈泥がたまった土手」を指したようなのです。人工の artificial ものを意味する levee が、20世紀初頭に自然のnatural という修飾語をつけて、それとは別のものを指すようになるのですが、じつはもともとの意味はその新しいコトバ natural levee が指すものの方だったということのようです。

 

 以上のとおり、「地形分類図 水海道」を見ることで、茶色のにょろにょろは自然堤防ではないことがあきらかになりました。

 高橋調査官が示した記者発表資料は、開口一番、自然堤防 Natural levee でないものを「いわゆる自然堤防」だと宣言し、茶色のにょろにょろの絵までつけたのですが、まったくのでたらめでした。初歩的な誤謬といいたいところですが、過失ではなく故意によるものですから、ただのマチガイなのではなく意図したゴマカシなのです。

 

 

「十一面山」は何か

 

 さてそうなると、若宮戸の「十一面山」はいったい何だったのでしょうか。

 

 上の「地形分類図 水海道」を見ると、まず鬼怒川の高水敷(河川敷)が「河原 Dry river bed」(Sr)です。その東の「十一面山」は「河畔砂丘 Sand dune」(Sd)です。そして一部が「地形改変地 Cut and fill land」となっています。

 「十一面山」は、鬼怒川の水が運搬してきた砂が河道(低水路と高水敷)に堆積し、それが風によって吹き寄せられて砂丘を形成したものです。そしてそこが松林となっているのが、⑴明治初頭の迅速測図が示している「十一面山」です。

 たしかに、この砂丘は広い自然堤防の一部に形成された地形ではあるのですが、これを、しかもここだけを自然堤防 Natural levee だとすることはできません。「いわゆる」をつけてもダメです。

 「十一面山」は、東側から徐々に砂の採取によって平坦にされて住宅地や「地形改変地」となり、もとの三分の一ほどの幅になってしまいました。しかし、川にそってまだ南北に砂丘が続いていたのです。それが、⑵1975(昭和50)年と、⑶1985(昭和60)年の写真の段階です。

 ⑶の写真と同じ、1985(昭和60)年の「地形分類図 水海道」の断面図は、水平方向に対して高さを極度に誇張してかいてありますが、鬼怒川の東岸の、かたつむりのツノのようにぴょーんと跳ね上がっているのが、だいぶ幅は狭くなってしまいましたがまだ残っていた河畔砂丘の「十一面山」です。かつての「38m」ほどではありませんが、標高27mか28mくらいはありそうです。

 1枚の地図で3本だけ設定されて欄外に断面図が描かれたのですが、よりによってこの場所が選ばれていたとは、なんという偶然かと思わないでもありませんが、つまるところ、大規模な「河畔砂丘」はこの若宮戸にだけあるので、典型例として選ばれたようです。(まさか、調査員の野口真先生は、この場所と三坂町での氾濫により勤務先の茨城県立水海道第二高等学校が浸水することになることを、30年前に見越してこの断面図を描いたわけではないでしょうから。)

 そして2014年にはその「十一面山」の中央部、つまり鬼怒川左岸の25.35km地点を中心に、南北約200mにわたって最後に残っていた砂丘が掘削されて完全に平坦にされてしまったのです。

 2015(平成27)年9月10日の午前6時ころ、その平坦な部分から氾濫水がなんの抵抗もなく流れ出して、「地形分類図 水海道」の若宮戸、原宿、原新田、本石下などがある自然堤防 Natural levee を一挙に冠水させたうえ、左岸幹線用水路と八間堀川の流れる後背湿地(後背低地)まで激流となって流れ下ったのです。それにしても、右岸の洪積台地より圧倒的に標高の高い、まさしく鬼怒川下流域の最高峰だった「十一面山」の跡地において、いちはやく、しかも「溢水」などというものではない猛烈な氾濫が起きたのです。なんということでしょうか。

 

茶色のにょろにょろは何か

 

 それでは、あの茶色のにょろにょろは、いったい何だったのでしょうか。お絵かきソフトのスプレーツールをマウスでにょろにょろした時に、たぶんこの地図を見ていたのでしょう。

 


 

 これは、国土地理院が25,000分の1地形図に、微細な標高の変化を等高線ではなくカラーで表現して書き加えたものです(http://saigai.gsi.go.jp/1/H27_0910ame/pdf/0913_%E5%87%A1%E4%BE%8B_%E5%B8%B8%E7%B7%8F&%E7%9F%B3%E4%B8%8B_%EF%BC%91%E4%B8%87_ZL16_A2.pdf 部分的に切り取ってあるので画面上は25,000分の1ではありません)。

 自然堤防 Natural levee は、後背湿地の最低点からの比高50cmないし1m以上のものをいい、多くは1〜2mです。日本における最高は四万十川の四万十市川登の7.3m、次が北上川の一関市草ケ沢の7mだそうです(籠瀬、前掲書、p. 28.)。25,000分の1地形図の主曲線の間隔は10mですから、5mないし2.5mの補助曲線をいれたとしても、せいぜい比高が数mの自然堤防 Natural levee は全く表現できません。仮に25cmとか50cmごとに等高線を入れると、こんどはよほど大縮尺にしないと、(等高線以外の表示も含めて)線が混み合って判読不可能になります。そこで、このような彩色方式が用いられるのですが、自然堤防 Natural levee や後背湿地、さらに鬼怒川右岸の洪積台地や谷底平野などがじつによくわかります。(右岸の「国生〔こっしょう」は、長塚節〔ながつかたかし〕の生家のあるかつての国生村、すなわち小説『土』の舞台です。)

 問題の若宮戸の「十一面山」の(名残の)起伏も表現されています。赤いバツ印が邪魔ですが、ソーラーパネル業者が掘削する直前の砂丘の様子がうかがい知れます。これを高橋調査官は「いわゆる自然堤防」だと、デタラメを言ったのですが、なるほどその形状は、お絵描きソフトで描いた茶色のにょろにょろに似ています。

 

 ということで、記者発表文書の分析は、冒頭の「いわゆる自然堤防」のところだけがやっと終わりました。「いわゆる自然堤防」論の誤謬を明らかにし、ついでに稚拙な挿絵のコピー元も指摘したところで、ページブレークといたします。つづいて本題の、削った砂丘と積んだ土嚢の件、そして国土交通省の違法行為を明らかにする法的問題です。