「堤防自体は全域にわたり同レベルにできていた」3

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2585458.html

http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/ebe47677ae76d22cea64f855161891a2


2, Oct., MMXV

 ここまで平成24(2012)年度から30年計画で進行中の国土交通省の「鬼怒川河川維持管理計画」、とりわけ「当面7年」で施行する優先部分の改修計画について見てきました。鬼怒川水害が発生した2015年というのは、あと26年たてば「30年に一度」の豪雨に耐えられるようになるはずの時だったのです。4000haが浸水するという激烈な水害は「50年に一度」の未曾有の豪雨によるやむをえない自然災害だとする、それこそ洪水のようなキャンペーンが繰り広げられてきたのですが、国交省の文書が、それが見え透いたデマゴギーに過ぎないことをすでにあらかじめ明らかにしていたのです。

 30年後に「30年に一度」に耐えられるようになるというのは、ほとんど冗談かと思うような施策というほかありませんが、それでは現状はどうなのでしょうか?

 不思議なことに、その「鬼怒川河川維持管理計画」http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/gaiyo10/h23ijikanri%20kinu.pdfには、現状がどの程度なのかはどこにも書いてないのです。じつは、同文書にはこの目標の数値「30年に一度」も書いてなかったのです。「1/30」の文言があるのは前々ページで見た内部文書(といっても秘密文書というのではなく、内部での業績評価のための資料のようです)の「鬼怒川 直轄河川改修事業」(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000051861.pdfなのですが、そこにも現状はどの程度なのかは書いてありません。

 ところが、これを「決壊」当日に記事にした記者がいるのです。

 

 決壊地点は「10年に1度」にも対応できない場所だったと、国交省がみずから発表するはずはありません。9月10日の「決壊」後、数十通出された記者発表資料にもひとことも書いてありません。記者が質問して聞き出し、午後12時50分の「決壊」から6時間あまりで記事にしたのです。立派なものです。

 ところで、国交省はここでも嘘を言っているのです。前々ページで示した、平成26年度と27年度の三坂町の築堤工事に関する国土交通省関東地方整備局下館河川事務所の広報は次のとおりでした(資料の写真中の書き込みも国交省のものです。当 website が記入したものではありません)。


 

 三坂町の「決壊」地点は、21.0km地点をはさんだ200mの区間です(下の写真:国土交通省関東地方整備局第1回鬼怒川堤防調査委員会資料、2015年9月28日、http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000632889.pdf 写真内の赤色の図示も資料にあるものです。当websiteで書き加えたものではありません)。

 用地買収に着手していたのは、「決壊部分」ではなく、その上流側です。しかも隣接すらしていなくて、200mくらい離れているように見えます。「決壊部分は、10年に1度起きると想定される規模の洪水に対応できないとして、かさあげなどの改修が計画され」までは本当でしょうが、そのあとの「昨年度から用地買収に着手していた」というのは、事実ではありません。国交省は、どうせわからないだろうと思って、決壊部分」の改良には着手していたのだと見え透いた嘘をついたのです。

 

 

 国土交通省水管理・国土保全局、あるいは出先機関の関東地方整備局はいつもこの調子なのです。ここまで、「堤防自体は全域にわたり同レベルにできていた」の項目だけでも3ページを費やして延々と見てきたのですが、国交省の文書の作為的な曖昧さには手を焼きます。用語はほとんど隠語のようで意味をとりにくく、図は小縮尺で見にくい上、まるで素人がお絵描きソフトで書いたような粗略なものです。もちろん元になるデータや正確で詳細な図面はあるに決まっています。外に出す時だけ、お絵描きソフトでわざと小さく不正確に下手くそに描くのです。児戯にもひとしい拙劣な広報ですが、これでは小学生でも満足しないでしょう。

 なにより、肝心のところの数値が抜けているのです。上の、「1/30」は、日付の「1月30日」ではなく、分数の「30分の1」なのでしょうが、これだけではなんのことかわかりません。それでも、計画達成して30年に一度の洪水に耐えられる旨示しているのがわかりますから、あるだけマシなのです。この「1/30」は、評価担当者に対して計画の素晴らしさを強調したくてうっかりミスで書いてしまったのかも知れません。それでも現状は「何年に一度」のレベルなのかはしっかりと隠されていたのです。ところが、よりによって大災害をおこしてしまった当日に、不意打ちで記者に質問されて動転したのか、うっかりポロリと本当のことを言ってしまっただけなのです。

 

 わざと数字を抜くという手法は「図」でも駆使されます。上で引用した「決壊地点」近くの「三坂町」の工事予定の図ではどういうわけかそれさえ抜けているのですが、ほかの地点のページには、「整備イメージ」として堤防の断面図が描かれていました。右に「中妻町」のページを例示します。左下スミにあるのが堤防の断面図(「整備イメージ」)で、それを拡大したのが下図ですhttp://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000621158.pdf



Francis D. K. Ching; Mark Jazombek; Vikramadtiya Prakash, A Global History of Architecture, 2007, New Jersey, p. 39.

 この堤防の断面図を見ると、エジプトのピラミッドを思い出してしまいます。エジプト史上最初のピラミッドは、紀元前27世紀のジョゼル王の「階段ピラミッド」ですが、ピラミッド以前の王墓建築である「マスタバ」の上に、覆いかぶせるように階段状のピラミッドとして建造されたのです。しかも、さらにそれを覆うようにしてより大きな構造体を建造したのです。その断面図がこれです。もちろん断面形状が似ている(?)というだけの話で、そんなことはこの際どうでもよいことなのですが、説明図のあり方を考えるうえではたいへん参考になります。

 ジョゼル王のピラミッドの説明図には、当然スケール(ものさし)が描かれています。これがなければどの程度の大きさなのか見当がつかないのですから、建築学や建築史の本では、この本のようにたとえそれが素人相手のものであれ、平面図や立面図には必ず、このスケールがあるのです。

 ところが国交省の堤防断面図には、このスケールがはいっていません。もちろん、堤防本体の断面図にも、高さも幅も記入されていません。「堤防高さ及び幅が不足している堤防の整備を行います」といいながら、現状が高さ何m・幅何mであり、それを高さ何m・幅何mに「嵩(かさ)上げ及び拡幅」するのかについて、図にも文章にも一切かかないのです。付随的な事項なので省略したなどということはありえません。高さ・幅という寸法が主題なのにそれをわざとかかないのです。「イメージ」というよくある誤った用語法(image とは本来は視覚的映像のことであるのに、曖昧性のつよい摸像という意味で用いる)を駆使していることからもその作為はあきらかです。うっかりしていたとか、そこまで書く必要ないかと思っていました、などということは絶対にありません。


 ここには、決定的な理由があるのですが、それを明らかにしたのが9月25日の「読売」の記事です。

 これは2015年9月25日の読売の東京本社版(13S)の地方面(31ページ、「茨城 首都近郊」)の記事です。インターネットの読売のウェブサイトにもそのまま掲載されました(http://www.yomiuri.co.jp/local/ibaraki/news/20150924-OYTNT50429.html)。

 内容にはいるまえに、記事から受けた印象を述べておきます。

 「若宮戸(わかみやど)」の「ソーラーパネル」の方はなんとなくくすぶっていてはいるものの、肝心要の「三坂町」の方は、〝水害防止のためにできるだけ急いだのですがとか、順番に工事していたのですがなにせ予算がたりなくて〟などと御託をならべて誤魔化すのに成功して、「50年に一度の豪雨」だから仕方ないと援護射撃してくれたテレビのお陰もあり、どうやら国家の治水責任をきびしく追及するような動向でもないようで、ほっと安堵の胸をなでおろしていた国交省も、この取材にはぐうの音もなかったことでしょう。

 「地面から見た堤防の妥当な高さは不明」だとか「天端幅を含め基準を満たしていなかったことだけが原因とは考えていない」などと、言ってはならないことまで口走っています。よほど周章狼狽したのでしょう。政令の定める基準を満たしていないのに、開き直って、それ「だけが原因とは考えていない」とはよくも言ったものです。おおかた「50年に一度の豪雨」が原因だとでも言うのでしょう。「若宮戸」問題でも、業者による砂丘掘削を座視して案の定氾濫を引き起こし、人命と資産に甚大な打撃を与えたことについて大臣以下国交省はまったく反省する様子を見せないのですが、この「三坂町」での「決壊」についても、全然反省のそぶりもないのです。この底知れぬ無責任さ、救い難い頽廃は、この担当者ひとりの問題ではなく組織全体の実態なのですが、まさに想像を絶するものです。今は避難生活に苦しみ、あるいは戻ったあとの生活再建に忙殺されていて、こうした実状をたどるどころではない被災者の皆さんが、いずれこのことを知った時にどうお感じになるかと考えると、暗澹たる気分になります。

 記事が浮かび上がらせた堤防の政令違反の件について見ていきます。

 記者は、次の事実をあらかじめ調べたうえで、国交省の担当者に独自取材をおこなったのです。当然、記者クラブ相手の気楽な記者発表の場での質問でもないでしょう。「読売新聞の国土交通省関東地方整備局への取材で分かった」というのはそういう意味です。

 

⑴ 「利根川水系河川整備基本方針」により、鬼怒川の「計画高水水量」は、1秒あたり5000〜5400㎥と定められている。

⑵ 「河川管理施設等構造令」により、「計画高水水量」が1秒あたり5000㎥以上の場合、堤防の天端は6m以上でなければならないと定められている。

⑶ 決壊地点の堤防は「河川管理施設等構造令」の定めを満たしていなかった。

 

 まず、「天端(てんば)」「計画高水(こうすい/たかみず)」「計画高水水量」など用語の意味について、国土交通省国土技術政策総合研究所ウェブサイトの「用語集」で確認しておきます(堤防の「天端」については、http://www.nilim.go.jp/lab/rcg/newhp/yougo/words/067/067.html、「計画高水」「計画高水水量」については、http://www.nilim.go.jp/lab/rcg/newhp/yougo/words/032/032.html 「たかみず」は、「こうすい」が「こうずい」と紛らわしいので区別するための言い換えです)。

 

 広報資料には決して書かないくらいですから、国交省の職員が自分からすすんで、決壊地点の堤防は「河川管理施設等構造令」の規定を満たしていなかったなどと説明するはずはありません。国土交通省(東京・霞が関)の記者クラブ(「国土交通記者会」)とか、関東地方整備局(さいたま市)の記者クラブ(「竹芝記者クラブ」)に所属していて、従来利根川水系の問題、たとえば「八ツ場(やんば)ダム」問題を取り扱ってきて河川問題を熟知している記者が書いたのかも知れません。それでも立派なものだと思いますが、そうではなく、茨城県内の読売新聞の支局の記者が書いたのであれば、いよいよたいしたものです。天晴れです。新聞記者おそるべし。

 「利根川水系河川整備基本方針」(http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/tonegawa_index.htmlの規定を見ましょう。その前に、鬼怒川の話をしているのに、なぜ利根川なのかというと、要するに鬼怒川は、下図のとおり利根川水系の一部なのです(「基本高水等に関する資料」、p. 3. http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/tone-2.pdf)。

 地図中の鬼怒川の最下流部の「水海道」とは、石下(いしげ)町と合併して常総市になった、元の水海道(みつかいどう)市中心市街地の西の「豊水橋(ほうすいきょう)」近くの、水位計のある地点名です。この東側、小貝川との間の常総市の市域40㎢が今回の水害被災地です。


 

 いまや利根川水系の一部となり、要するに利根川の一支流となってしまった鬼怒川は、もともとは、利根川とはまったく別個の河川でした。江戸湾(東京湾)に注ぐ江戸川と別れて鬼怒川と合流するまでの利根川の現在の河道は、江戸時代にあらたに開削されたもので、それまでは今の江戸川が利根川下流部の河道だったのです。いっぽう、鬼怒川は小貝川と合流して河口のある銚子まで流れるまったく別の河川でした。江戸幕府が、江戸の開発と水害防止のため利根川の大量の水を追いやって鬼怒川の河道に流し込み、銚子まで迂回させることにしたのです(銚子の河口からこれらの河道を通って江戸にいたる舟運路の形成という副産物もあったようです)。こうして、利根川を本川とし、それに渡良瀬(わたらせ)川、鬼怒川、小貝(こかい)川が合流するシステムがつくられたました。

 それまでは江戸川を流れ降り、60kmで海(東京湾)に到達したのに、そちらへの分流は極端に狭められたために、過半の水量は銚子まで120kmの緩勾配(単純にいえば傾斜が半分になったのです)を延々と流れなければならないことになったのです。しかも直前に合流してくる渡良瀬川はもともとだとしても、鬼怒川という押しも押されもせぬ大河川からの水も加わってのことです。どだい無理なことだったのです。江戸=東京の水害被害が低減するいっぽうで、渡良瀬川流域と鬼怒川・小貝川流域の水害常襲地帯化がもたらされました。この首都優先システムの矛盾の弥縫策として、足尾(あしお)鉱毒をきっかけとする谷中(やなか)村廃村=遊水池化、あるいは茨城県守谷(もりや)市の大八洲(おおやしま)開拓地の菅生(すがお)調整池化などが断行されました。地方農村が東京の繁栄のための捨て石にされたのです。このたびの2015年の鬼怒川水害も、その一環といえるのですが、これらの事情については(以上の記述は大雑把すぎますので改めて)別項で扱うことにします。

 こうした次第で、渡良瀬川・鬼怒川・小貝川の流量が、一括して利根川水系の流量の割り振りとして定められるのです。下に利根川水系全体の流量図と鬼怒川の流量図を示します(前記資料、pp. 25, 27. 鬼怒川の図は反時計回りに90度回転していて、上が東です)。これが上の記事のまとめの「⑴ 「利根川水系河川整備基本方針」により、鬼怒川の「計画高水水量」は、1秒あたり5000〜5400㎥と定められている。」にあたります。(「ア 利根川」の説明文には驚くべきことが書いてあり、「流量図」の水量の足し算はどう考えても辻褄があわず、訳のわからないものなのですが、今は触れません。)

 

(以下引用)

(引用終わり)

  

 次に、「河川管理施設等構造令」(昭和51年7月20日政令第197号)の該当箇所を見てみましょう。第3章が「堤防」です。第17条から第32条まで全16条ありますが、そのうち、第17条と第18条第1項、第21条を引用します。

 

(以下引用)

(引用終わり)

 

 国交省が定めた鬼怒川の計画高水水量は毎秒5000ないし5400㎥ですから、第21条の表の4項のとおり、堤防の天端(てんば)の幅は6m以上でなければならないのです。「決壊」した三坂町の堤防の天端幅は「約4m」だったようですから、政令の定める基準を大幅に下回っていたことになります。

 「とするものとする」というのは、努力目標とか、可能なら準拠すべき目安なのではありません。「河川管理施設等構造令」は、国会が制定した「法律」(この場合は「河川法」)にもとづき、内閣が制定する「政令」です。国土交通省が制定することができる「省令」の上位にあります。常総市を流れる鬼怒川下流域の堤防の多くが政令違反の違法状態だったことを、国土交通省はひとことも言わずに来たし、国策に迎合する「専門家」や関係業界の人たちも当然知っていて口をつぐんでいるのですが、今回、読売の記者がその事実をあきらかにしたのです。紙面では県版ページ(「茨城 首都近郊」)だけに掲載したのがもったいないほどの、決定的な意味をもつ記事でした。

 

 これにて一件落着と言いたいところですが、しかし、問題はたくさん残っています。ひとつは「堤防の高さ」の問題です。

 

計画高水位は標高で示されるが、同局(国交省関東地方整備局)は、構造令に基づいた、地面から見た堤防の妥当な高さは不明としている。」というのは、目を疑うような内容です。鬼怒川の堤防について「堤防高さ及び幅が不足している」から7年なり30年かけて工事するのだとしている当の国交省が、「妥当な高さは不明」と言っているのです。信じられない妄言です。読売の記事もその点についてはそれ以上追求しきれていないように(こういう証言を記録しただけでもスクープですが)、じつはこの水位と堤防の高さの問題はたいへん複雑なようなのです。もうすこし勉強してから論ずることとします。

 

  という次第で、この項目はここで一旦閉じることといたします。