堤防決壊メカニズム 3

 

16, Jan., 2016

 

鬼怒川水害の真相」で越水破堤論の破綻を確認しました。そのうえで三坂町の破堤原因についての仮説を提起するのがこの「堤防決壊メカニズム」です。2ページのつづきです。 

 

 「決壊」した左岸堤防総延長190m(曖昧ですが、発表では仮堤防延長が約「200m」とされています)を、上流側から順に、次の5区間に区分しました(長さは概ねのものです)

 

B区間(35m):「破堤」に至らなかった上流側区間

C区間(15m):「越水」は起きたがそれが原因ではなく、D区間に続く下流側破堤断面の洗掘によって「破堤」した区間

D区間(35m):「越水」していなかったが、先に下流側E区間が「破堤」したことによりできた破堤断面の洗掘によって「破堤」した区間

E区間(20m):最初に「破堤」した区間

F区間(85m):「越水」していなかったが、先に上流側E区間が「破堤」したことによりできた破堤断面の洗掘によって「破堤」した区間

 

 前のページではD区間とF区間について検討しました。このページでは、つづいてC区間とB区間について検討します。最後に残るのが、難物E区間(20m)ですが、それは次のページで見ることにします。

 

 

 

 

C区間  「越水」ではなく既破断面の洗掘による破堤の波及的進行

 

 国土交通省関東地方整備局のポンチ絵(第2回鬼怒川堤防調査委員会資料、3ページ)で「越水」による「決壊」(「破堤」のこと)の典型例として描出されているプロセスが起きていたように見えるのが、C区間です。ただしそれは、川裏側法面の洗掘により天端から垂直に滝のように氾濫水が流下したところまでのようです。

 

 

 すでにみたD区間、F区間と同様に、数少ない写真を時間の経過に従ってみてゆきます。なんども見なれた写真の使い回しで恐縮ですが、C区間に関するコメントは赤にしてあります。

 14番と16番の「滝」には思わず目を奪われますが、さらに重要なのはその後です。21番から24番に特に注目してください。

 

 

2(不明1b)

天端まで50cmくらいというところでしょうか。8時ころで越水の始まる11時の水位にあと60cmくらいですから、8時を少し過ぎた頃でしょう。

奥の右端はB区間のケヤキです。

かろうじて写っているC区間はその手前です。

5(11:11b)

一番最初に三坂町での越水を発見した国土交通省の大型ポンプ車(内水排水ポンプ車)からの写真3枚のうちの1枚です。 

左のケヤキまでのB区間、その先のC区間で天端が冠水し、川裏側法面へ越水が始まっています。しかし、まだ激しくはないようです。

D区間は越水していません。F区間あたりに人がいる手前、E区間で越水しています。

6(11:11c)

同じく大型ポンプ車からの写真です。

手前のC区間で越水しています。越水深はまだ深くはないようです。

D区間は天端は冠水していますが、かろうじて越水していません。その先E区間はC区間と同等かそれ以上に越水しているように見えます。

人影はF区間の上流端でしょう。

 

土嚢積みで対処すべき状況ですが、人手が足りないようです。

7(12:00a)

 B区間と、少々区別がつき難いのですが、ケヤキの先のC区間の越水が進行しています。6から50分近く経過していますが、やや越水が激しくなったようです。

その先D区間はまったく越水していません。その先E区間は越水しています。

8(12:00b)

 7から数m進んで撮影された写真です。

ケヤキの手前のB区間と、ケヤキの先のC区間で越水しています。

D区間は越水していません。

1212:05頃b

ケヤキと赤い腰壁の倉庫のあるB区間、それに連続するその先のC区間の越水です。

D区間に人影があります。手前のB区間とC区間、先のE区間の越水は人が歩行するのはかなり困難でしょうから、堤防の法面を登ってきたのかもしれません。

1312:05頃c

手前が越水しているC区間です。草がところどころ頭を出しています。法面の侵食はまだ始まっていないようです。天端の舗装はまだあります。

その先、越水していないのがD区間、激しく越水しているのがE区間です。

E区間も天端の舗装はまだ存在するようです。黒っぽい服の人がいるのはE区間の下流側もしくはF区間だと思われます。傘は、さらに向こうにいる人でしょう。

14 不明2a

(11:30から12:00とのことですが30分程度後と思われます。)

C区間を川裏側正面、民家の1階窓からカメラを出して捉えたものです。13からは大きく状況が変化しています。

越水して川裏側法面が洗掘され、滝のように氾濫水が流下しています。

16 不明3a

(11:40から12:20とのことですが30分程度後と思われます。)

14の10分ないし20分後、今度は2階の西側窓からの撮影です。視点が3mほど上がっています。右上の大樹はB区間下流端のケヤキです。

C区間の川裏側法面の洗掘が一層進み、まだ残っている天端からほぼ垂直に滝のように氾濫水が流下しています。

川表側、高水敷の樹木がまだ残っています。

17 不明3b (11:40から12:20とのことですが30分程度後と思われます。)

 右は越水しているC区間、左は越水していないD区間です。

21 13:27a

手前は、越水が終わったC区間です。E区間が破堤したことで水位が変わったのでしょう。

天端から垂直に川裏側法面が洗掘された様子がわかります。

その先のD区間は、E区間から洗掘が急速に進んできていますが、かろうじて川裏側法面と天端が残っています。

その先は、完全に決壊したE区間、その向こうはF区間です。

23 13:34

左はB区間下流端のケヤキです。川裏側法面の洗掘も進んでいますが、ケヤキの立っている法尻は残っているのです。

C区間の天端の崩落が進行しています。C区間は、ほぼ破堤しつくす寸前です。

24 13:45

 23より前のようにも見えますが、アングルのせいのようです。

C区間の最後の天端が崩落し、C区間の破堤は完了しました。

続いてB区間の天端の崩落がはじまる段階のようです。

 

これでC区間の破堤は完了し、完全に消滅しました。以下、その後の状況の概要です。

 

25 14:16

 24から31分経過していますが、B区間の端のケヤキのところで天端の崩落が一時的に鈍化しているようです(天端の左端に同じ枝のようなものが落ちています)。

一方で、川表側の堀面の侵食が進行しています。

26(14:46)

一応E区間の「決壊」(破堤?)時刻とされる12:50から2時間近く経過しています。

F区間端の河道側に開き気味の破堤断面が見えます。

「決壊下流側の樹木あり」と書き込みがありますが、この樹木はF区間上流端堤内のものと思われます。その陰が、F区間のちょうど中間点に唯一残ったガソリンスタンドになります。

水流の形状から、流失した堤体下に落堀ができているのがよくわかります。

手前はB区間の端ですが、その前の30分と比較して、川表側の法面の侵食速度があがったように見えます。

29(16:19)

D区間は完全に流失しました。

左に写り込んでいるのがB区間端のケヤキです。

すでに破堤したD区間からC区間の部分では氾濫水が乱流しもとの堤体下に落堀を作っているようです。

はっきりはわかりませんが、乱流の様子からみて、E区間では落堀は堤内側に形成されているように見えます。

「樹木が流出」し、破堤しなかったG区間の堤内の氾濫後も残った家屋が見えています。F区間では下流側へと急速に洗掘されています。

それに対し、B区間の洗掘はあまり進んでいないようです。

 

 慌てて眺めると、うっかり「越水による破堤」の典型的パターンだと言いたくなるC区間です。川裏側法面が流出して、天端から滝のように垂直に氾濫水が流下しているので、ついうっかりと、次に天端が崩落し、氾濫水が激しく流入して残った堤体を基底部まで洗掘し尽くしたに違いないと思い込みたくなります。

 しかし、じっくり見ると全く違うことがわかります。C区間は、そのようにして「破堤」したのではないのです。

 E区間の破堤後、現れた上流側と下流側のふたつの破断面から、下流側のF区間へと進む洗掘と、同様に上流側のD区間へと進む洗掘が同時におきます。そのうち、上流側への洗掘によってまずD区間が「破堤」しおわると、つづく上流側のC区間へと連続的に洗掘が続いて、最終的にC区間の堤体が流失したのです。すなわち、E区間の破堤と、C区間の破堤が、2か所で同時進行したのではなく、C区間はE区間の破堤による堤防の延長方向への洗掘が進んできたことにより「破堤」したのです。

 

 E区間の破堤直後に、おそらくそれが原因で水位が急激に下がったようです(写真21以降。ただし、それは河川全体の水位の急激な低下というより、破堤地点の複雑な水流の変化によるものだと思われます)。それにより、C区間の「越水」が停止したようです。ということは、もしE区間の破堤がなければ、C区間が独自に破堤する可能性はあったのかもしれません。

 逆に言えば、先にC区間が「破堤」していれば、そこから上流側のB区間へ、同時に下流側のD区間を経てE区間が破堤していく、という可能性もあったといえます。こうしてみると、なぜC区間より先に、E区間が「破堤」したのかというところに、焦点が当たってきたように思われます。しかし、先走らず、まずはこのC区間と、隣接するB区間について見た後に検討しなければなりません。

 

 可能性はともかく、事実は写真のとおりです。C区間の「越水」は中断し、C区間の「破堤」は「越水」によって完了するのではなく、隣接区間から順に進行してきた破断面の洗掘によって、代替的に進行したのです。

 C区間は、途中までは「越水破堤論」の典型例のような進展を見せていましたが、結局のところ「越水による破堤」ではなく、横からの破断面の洗掘による「破堤」を遂げたことになります。その前に川裏側法面がほぼ完全に流失していたという点は異なりますが、「破堤」原因は前ページで見たD区間・F区間と同じなのです。ところが、C区間自体が完全に喪失してしまったために、誰もがそのような事実を見逃してしまい、まったく考慮していないのです。「越水」したのも事実、「破堤」したのも事実、しかしながら「越水による破堤」ではなかったのです。

 

 土木学会が2015年12月15日に開催した「速報会」で、埼玉大学の田中規夫教授が、この三坂町の破堤と、八間堀川の大生小学校西での破堤などをとりあげ、両者ともに、間に「島」(三坂町でいうとD区間)を挟んでその上下2か所で破堤がおきた典型的パターンだとしています。しかし、八間堀川では、間の「島」がそのまま残っていますし、その「島」を挟んだ両側が「独自」に破堤しているのです。一方、この三坂町の堤防は、結局C区間が独自には破堤していないのであり、この2つの事例は同じパターンだとは必ずしも言えないように思われます。(http://committees.jsce.or.jp/report/system/files/08田中.pdf https://www.youtube.com/watch?v=iMp9UmIFMAY)。

 

 

B区間  長時間にわたって「越水」していたのに破堤しなかった事例

 

 C区間が「越水による破堤」と誤解されやすいのと対照的に、B区間はあわや「破堤」寸前までいっているのですが、かろうじて法崩れ(のりくずれ)、天端の崩落という「決壊」段階で終結していますので、間違えるはずもありません。経過を見てゆきます。

 

2(不明1b)

越水が始まったのが最初に確認された11時の3時間程度前だと思われます。

中ほどにF区間上流端から30mほどのところにあるダンプカー用の斜路が見えます。その先が最初に「破堤」したE区間です。

右端奥は、B区間下流端に今も残っているケヤキです。

4(11:11a)

 最初に三坂町での越水を発見した国土交通省の大型ポンプ車(内水排水ポンプ車)からの写真3枚のうちの1枚です。

B区間で、天端が斜めに冠水し、川裏側法面へ越水しています。

左奥が今も残っているケヤキです。

河川側にはこのあと流失する高水敷に生えている樹木が見えています。

5(11:11b)

同じく大型ポンプ車(内水排水ポンプ車)からの写真です。 

ケヤキまでのB区間で、天端が冠水し、そこから川裏側法面へ越水しています。

その先のC区間は、天端が冠水している程度です。D区間は越水していません。F区間上流端あたりに人がいます。その手前、E区間ではかんり越水しているように見えます。

7(12:00a)

5、6から50分近く経過し、 B、C区間の越水がやや強くなったように見えます。

その先D区間はまったく越水していないようです。川表・川裏の草が見えています。

その先E区間は越水しています。

8(12:00b)

 7から少し下流側に進んだ地点からの写真です。

ケヤキの手前のB区間と、ケヤキの先のC区間で越水しています。

越水していないD区間の先、E区間でも越水が進行していますが、まだ破堤にはいたっていません。

9(12:04a)

B区間下流端のケヤキの位置の天端からやや斜めに真下の川裏側を見下ろした写真です。右がケヤキ、赤い腰壁が氾濫後も残った倉庫の建物です。激しく越水しています。

これだけを見ると川裏側法尻(のりじり)で洗掘が進み、落堀ができつつあるように見えますが、後日見ると砂やゴミが大量に溜まっているだけで、落堀はまったくできていませんでした。たしかに天端は流失して、川裏側の堤体も大きく喪失しているのですが、ケヤキはそのまま残り、建物もベニヤの薄壁が大きく変形したものの、そのまま残っています。

11(12:05頃a)

9、10より前のようにも見えますが、 別の人による直後の撮影だとされます。B区間とC区間の越水の様子です。

赤い腰壁の真上あたりは激しく越水しています。上の10がその様子のようです。

越水していないD区間を挟んで、少し見えているのがE区間の越水です。

1212:05頃b

11より少し前進し、天端の河道側から撮影したものです。

B区間のうち、手前は天端右の草が見えていますが、その先、ケヤキまでとその先のC区間での越水は、深く激しいように見えます。

D区間に11では見えなかった人が突然現れます。B区間、C区間、E区間の越水状況では人が歩行するのはかなり困難でしょう。堤防の法面を登ってきたのかもしれません。

16 不明3a

(11:40から12:20とのことですが30分程度後と思われます。)

右上の大きな木がB区間下流端のケヤキです。

すぐ下ではC区間の川裏側法面の洗掘が進み、天端からほぼ垂直に氾濫水が流下しています。

23 13:34

E区間が破堤したとされる12時50分から44分後です。

左はB区間下流端のケヤキです。川裏側法面の洗掘も進んでいますが、ケヤキの立っている法尻は残っています。

D区間はすでに流失し、C区間は天端の崩落が進行して、破堤しつくす寸前です。

24 13:45

 23の11分後です。

C区間の最後の天端が崩落し、C区間の破堤は完了しました。

続いてB区間の「決壊」(天端の崩落や川表側法面の洗掘など)がはじまる段階のようです。

25 14:16

 24から31分経過していますが、B区間の端のケヤキのところで天端の崩落が一時的に鈍化しているようです(天端の左端に同じ枝のようなものが落ちています)。

一方で、川表側の堀面の侵食が進行しています。

26(14:46)

一応E区間の「決壊」(破堤?)時刻とされる12:50から2時間近く経過しています。

21から25でも遠くに小さく見えていますが、F区間端の河道側に開き気味の破堤断面が見えます。

 

手前はB区間の端ですが、25と比べると、川表側の法面の侵食がかなり進行しています。

27(15:40a)

F区間の堤防断面は次の28でよく見えます。

手前左はB区間下流端のケヤキ、右の樹木は、この位置の堤外に何本かあったうちの最後の1本のようです。

わかりにくいのですが、手前の川表法面から左奥のケヤキまでは、ある程度の距離があるようで、法面が斜めに大きく洗掘されているようです。断面はケヤキよりも手前のようです。

28(15:40b)

上の27のトリミングのようにも見えますが、少し寄ってほぼ同時刻に撮影された別の写真です。

河道に開き気味の、垂直に切り立ったF区間の破断面がよく見えます。

手前はB区間下流端のケヤキです。B区間は、C区間側から上流側へと、洗掘が進んでいるのがよくわかります。

川表側から洗掘が進み、天端が崩落し、次に残った川裏側法面へと洗掘が進んでいるようです。

29(16:19)

左に写り込んでいるのがB区間端のケヤキです。氾濫水が乱流し落堀を作っているようですが、F区間が急激に洗掘されているのに対し、B区間の洗掘はあまり進んでいないようです。

「樹木が流出」し、破堤しなかったG区間の堤内の家屋が見えています。

 

 

 

B区間は長時間にわたって「越水」していたのになぜ破堤しなかったのか?

 

 さきほどの9番の写真です。

 川裏側法尻(のりじり)で洗掘が進み、落堀ができつつあるように見えますが、後日見ると下の写真のとおり、砂や瓦礫が大量に溜まっているだけで、落堀はまったくできていません。それどころか、ケヤキはそのまま残り、建物もベニヤの薄壁が大きく変形したものの、そのまま残っています(1枚目は2015年10月27日、以降はケヤキが落葉した後の、12月15日)。

 

 二重に設置されたフェンス(グレーのものとオレンジのもの)の下は、仮堤防建設時の土盛ですが、工場の壁際の砂などは、氾濫水が運んできたもののようです。剥落した屋根材やさまざまの瓦礫は氾濫時のものであり、まさか復旧工事の際に投棄されたとは思えませんから、その下の砂は当然氾濫によるものと考えるべきでしょう。

 「越水破堤論」を徹底的に刷り込まれた私たちは、あれだけ激しく何時間も越水していたのにどうして「破堤」しなかったのかと、不思議に思うのです。しかしここで、いろいろな人がよくやるように、思いつきであれこれのたいした根拠もない「事実」をあげて自分だけ納得してもしかたがありません(もっとも、それは破堤の原因であって、破堤しなかった原因ではありませんが

 ケヤキの大木が堤防を守ったなどと言ってみたところで無意味でしょう。F区間について見たように、堤内側の大木(F区間についての写真26)がいとも簡単に流されているのですから、このB区間のケヤキが残ったことの説明はつきませんし、ましてやこのケヤキが堤防を破堤から救ったなどということはありえないでしょう(大木で破堤が防げるとなれば、どんどん植林すればよいのですが、一般的には樹木は堤体を変形させたり、とくに枯死したあとに空洞をつくるので有害とされているようです)。

 本 naturalrigh.org が、うかつにもこのB区間が「越水」していて「決壊」(川表側法面の洗掘、天端の崩落)したけれども「破堤」していなかった事実にに気づいたのは、上の写真を撮影した10月末でした。じつは、早いうちから国土交通省関東地方整備局が公表していた写真にこのケヤキと赤い腰壁の倉庫は写っていたのですからもっと早く気づくべきだったのです。

 

 次の写真は9月13日の「国土交通省鬼怒川堤防調査委員会」による現地調査の場面ですhttp://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/kikaku/data/photo/sonota/20150913_3/P1070937.JPG。上流側から破堤地点の高水敷側に昇り降りするのに通っただけで、どうやらこの川裏側を覗いたりはしなかったようです。覗いていれば不思議に思ったのかもしれません。

 なお、じつはこの時はこの「国土交通省鬼怒川堤防調査委員会」の「専門家」の先生たちとは一応別組織という形で、山田正先生をはじめとする土木学会の面々も一緒に調査をおこなっていたのです。その成果のひとつが、さきほどもC区間を見た最後に触れた2015年12月15日の「2015年関東・東北豪雨災害関東グループ 速報会」(http://committees.jsce.or.jp/report/node/95)なのですが、「国土交通省鬼怒川堤防調査委員会」同様、ここでも「越水」したのに「破堤」しなかった件については、特段の言及はありませんでした。

 国土交通省関東地方整備局は、漏水や法崩れが起きた場所については、別途発表しています(何十箇所もあります)。しかし、「越水」だけした地点については特段の発表をしていないようです。ほかにも多数の「越水」地点があるとなれば、まるで「越水」すれば必ず「破堤」するかのような単純な思い込み、つまり「越水破堤論」がこれほど容易に流布される事態にはならなかったでしょう。ほかの越水地点やこのB区間についてのさらなる検討は、とりあえず残ったE区間について一応検討したうえで、おこなうこととします。

 

 

 

 

 (以下、近日中)