堤防決壊メカニズム 2

 9, Jan., 2016

 

鬼怒川水害の真相」で越水破堤論の破綻を確認しました。そのうえで三坂町の破堤原因についての仮説を提起するのがこの「堤防決壊メカニズム」です。1ページのつづきです。 

 

 40㎢の市街地・耕地が浸水し、すくなくとも1万棟以上の建物が被災し(少なめにみて1棟あたり1千万円として、これだけで1千億円の損害)、死傷者のほか多数の孤立者が出る近年にない大災害となったにもかかわらず、このたびの鬼怒川水害においては、氾濫の過程を撮影した映像がほとんど入手できないのです。堤防決壊の詳しい状況がよくわからない、このため原因がはっきりと確定しない、という非常に困った状況です。

 若宮戸25.35km地点(ソーラーパネル地点)については、事前に(前年の十一面山砂丘掘削工事の時点で。すくなくとも豪雨が続いた前日までには)氾濫が予想できたのですから、国土交通省職員らが現場に張り付いて一部始終を目撃し、かなりの映像を撮影したに違いないのですが、公表されたのはわずか1枚の、撮影時刻をごまかした静止画1枚だけです。

 若宮戸24.75km地点については、当 naturalright.org も長いことまったく気づかなかったのですが、ずっと隠蔽工作をしてきた国土交通省自身も、じつは水害発生後しばらくの間そこから氾濫したことすら知らなかったようなのです。9月10日未明、住民は避難してあたり一帯無人のうえ、国土交通省はノーマークです。家族を避難させたうえでひとり残って警戒していた住民が、自宅裏の24.75km地点からの突然の氾濫に遭遇し、すでに迫っていた25.35km地点からの氾濫水をも避けてかろうじて脱出したのです別ページを参照)。この方が唯一の目撃者です。数万トンの土砂を抉って巨大な落堀(おちぼり、おっぽり)を作り、建物を何棟も粉砕して道路の向かい側まで吹き飛ばすような激烈な氾濫だったのに、国土交通省職員は若宮戸25.35km地点(ソーラーパネル地点)に気を取られ、若宮戸24.75km地点の氾濫をただのひとりも目撃していないのです。それどころか、若宮戸25.35km地点(ソーラーパネル地点)からの氾濫被害との区別もつかず、単独で起きた事故であればそれだけでも数日間はテレビと新聞が大騒ぎするような大事件であったのに、(住民以外は)日本中が何日間も気づかないという信じがたい経過をたどったのです。当日の写真は一枚もありません。

 それに比べれば、三坂町は写真が数枚あるだけまだマシなのです。

 

閑話

 テレビ会社が三坂町の破堤前の越水状況を撮影した映像(一部は放映しています)をお蔵入りさせてしまっているのは許しがたいことですが、福島第一原子力発電所の爆発映像さえ隠してしまうというのが、我が国報道会社の基本的経営方針なのです。国民がテレビ放送を録画したものを Youtube などで公表すると、著作権侵害の違法行為の共犯だとしてYoutube に圧力をかけて〔正確にいえば、お願いをして〕画像を削除させ〔削除していただき〕、アカウント削除という簡便な最終手段で投稿者を電子的に抹殺 delete する、これが近年の報道企業による言論統制手法です。政府が出てくるまでもありません。これにくらべたら、オーウェルの『1984年』が夢想した手法などは原始的で非現実的な児戯にすぎません。捏造した情報を紙に手書きして圧縮空気式のパイプで送るなど、1948年当時ですら笑止千万の貧弱な手法でしたが、当今は文字列はもちろんのこと、音声や画像であってもコンピュータによって全部の保存・認識・抽出・「利用」がおこなわれているのです。

 「ツイッター」だとか「フェイスブック」「ライン」「インスタグラム」などでほとんど意味のない馴れ合いや中傷合戦で無邪気に遊んでいる人たちは、たんに時間とエネルギーを空費しているだけではありません。「自分の」コンテンツの事後確認すら困難であり(=「自己コントロール」不可能)、まして「アカウントの削除」などしようものなら、自分のものだと思っているものが完全に自分の手を離れてしまうだけの話で、運営会社はそれら全部を永久保存して、「作成者」本人への通知や承認獲得などなしに、それらを利用(善用・悪用)したり各国政府を含む第三者に譲渡・販売できる(現にしている)ことを忘れているだけの話です(規約など読まないから最初から知らないのでしょう)。ブログやウェブサイトも大同小異ではありますが(ブログはウェサイトのログ〔記録〕から派生したもので、「マイクロブログ」と称する「ツイッター」や一応実名主義のフェイスブックもその変型物です)、何千何万の通話(事実上の放送)内容をタイムスタンプつきでリアルタイムに登録先に自動的に撒き散らす点で、質的に異なるのです。巧妙な画面構造設計もあって、感覚的には個人間で私的にやりとりしているつもりになってしまい、電子メールですら書くのを遠慮したほうがよいことを平気で拡散 broad-cast (放送)しているのです。それらのものに手を出すのは、大事なものと引き換えに金銭的利益を束の間手にする商売人や、将来のあらゆる不利益から自由な先のない老人だけにすべきなのです。

閑話休題

 

 三坂町の写真が乏しい本質的要因は、やはり若宮戸にあるのです。土嚢を下段に2個、その上段に1個重ねる「品の字」積みは、紙のお札を貼った「封印」も同然で何の効果もないのは承知のうえですから、そこには数人の決死隊を送り込み本隊は右岸の旧国生(こっしょう)村の堤防上から投光器を煌々と照らして固唾を飲んで最悪の瞬間を見届けたのでしょう(というのは勝手な想像ですが、「溢水」した左岸25.35km地点には、本来なら濁流に押し流された国土交通省車両の残骸が多数あるはずなのに1台も見当たらないのですから、案外当たっているかもしれません。常総市役所では災害救援に駆けつけた自衛隊車両が何台も水没したというのに、国土交通省は軍隊より自衛能力が高いようです〔この場合の〈自衛〉とは国民を守るという意味ではなくて、〈自分〉を守るという意味ですが〕。それでなくても「全域にわたり同レベルにできていた鬼怒川下流東岸と西岸合わせて200kmの全部に目が届くはずもないうえ、何が起きてももう手遅れで拱手傍観するのみなのに、人手と注意力を若宮戸で使い尽くしたのです

 


  あの三坂町についても、越水が始まっていたのをたまたま見つけてもそこに常駐するわけにもいかなかったのです。天端への土嚢積みとパイピングの噴出口に「月の輪」づくりをすれば、あるいは破堤を防げた可能性も少しはあっただろうに、市役所・消防署・消防団・警察・自衛隊・国土交通省下館河川事務所がほとんど若宮戸からの氾濫に気をとられ、それどころでなかったのです。新石下(いしげ)にある鎌庭(かまにわ)出張所も同じでしょう。あとは破堤まで委託先企業の巡回車が2台やってくるだけで、破堤の瞬間を見ていたのは「電柱おじさん」ほか数名の住民だけでした。しかも、たまたま通りかかった委託企業の従業員による越水進行の報告はどこにも伝わらず、決死の覚悟で撮影した写真は10月5日の第2回「鬼怒川堤防調査委員会」まで、忘れられてどこかにしまいこまれていたのです。

 その第2回委員会では、このほか住民が撮影した動画が公表されたのですが、これこそ奇跡的というほかない画期的映像です。ここから何カットか切り出したものを含めとりあえず入手できる限りのものを、前ページの最後に撮影時刻順に全部配列しました。右上に再掲しました(クリックで拡大します)。 

 これらの写真を漫然と見たのでは判断を誤りますから、地点別に振り分けたうえで時間的経過を追って決壊がどのように進行していったかを見ていくことにします。この29枚がそれぞれどの地点を撮影したものかを識別して配列するのです。

 

 この業界では、どの地点から撮影したかを全体図中に示す、というのが一般的手法のようですが、これはまったくよろしくない方法です。たとえば若宮戸の2か所の「溢水」についての国土交通省の広報文書のページですhttp://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000633805.pdf)。

 

 

 図中の白抜きの丸囲み数字が撮影地点(カメラのある場所)、白抜きの矢印がレンズが向いている被写体の方向です(③では抜けています)。ただしきわめて不正確です。現地に行ったことのない人が作成するからこういうことになるのです。国土地理院のウェブサイトがそうなのですが、航空写真でこれをやられるとまったく頓珍漢なことになります。飛行機・ヘリコプターから真下でなく斜め下を撮影した場合には、当然ながら撮影地点(カメラのある場所)と、映像となった場所は、まったく別の場所になります。それはよいのですが、地図上の同じ地点から撮影しても、飛行機の高度やレンズの焦点距離・向きによってまったく別のものが撮れるのです。サムネイルもないので何百枚もあるものをいちいちクリックしなければ、けっきょくのところ何が写っているかわからないのです。

 三坂町の決壊地点の写真についても、国土交通省関東地方整備局の資料では一部について、この丸囲み数字と矢印の方式で示しています。どこが写っているのかがよくわからないものもあるのですが、前年のグーグルの衛星写真や、事後の現地の写真などと照合して、上の29枚のいちいちについて、どこから撮影したかではなく、被写体となった地点別に並べることにします。ただし、ほぼ水平にカメラを構えれば1枚の中に多くの地点が写り込むわけですから、とにかくちょっとでも写り込んでいれば、その全部の地点に重複して配列することにします。

  

 

地点によってまったく異なる侵食の進行状況

 

 さて、この場合の「地点」をどのように設定するかが問題です。論点先取的になってしまうのですが、途中経過ならびに最終結果の状況の違いによって、AからGまでの7区間に区分することにします。このうち「決壊」した区間はBからFまでの5区間です。その外側の決壊しなかった区間は上流側をA、下流側をGとします。なお、ここで「決壊」という場合、前ページで確認した通り「破堤」だけでなく「侵食」や「法崩れ(のりくずれ)」を含みます。それでいうと、B区間は「決壊」(川表川法面の洗掘と天端の崩落)していますが、川裏側法面がかろうじて残っているので「破堤」はしていません。

 

 縦軸を時間、横軸を空間として、29枚を配列すると次のようになります。表の左の3列までは、すでに示した全部の一覧で、4列めに簡単な「絵解き」、そしてそこからが降順ですがAからGまでの7区間を配列し、該当する写真(前述のとおり、すこしでも写っていれば)を割り当てます。そのあとで、いよいよ区間ごとに拡大して検討することにします。くどいのは重々承知しておりますが、こうでもしなければ「越水破堤論」から一歩も出ることはできませんから、詳細は後で見ることにして、とりあえず一瞥ください。(クリックで拡大します。)

 

 

 

F区間 既破断面の洗掘による破堤の波及的進行 最後の破堤区間

 

 最初に破堤したのはE区間です。最初に破堤した部分の破堤・決壊のメカニズムの分析はもっとも重要なのですが、当然ながらそこがもっとも難解なのです。まずは、一番容易に破堤の過程が観察でき、容易に原因が認識できそうな区間からみていくことにします。すなわち、すでに破堤した部分に隣接し、その破堤したところから順次破堤が波及・拡大していく部分です。

 このあたりは、「土質工学」の「専門家」や国土交通省の技官らのあいだでだけ通用する業界専門用語がありそうな気もしますが、今はそういうジャーゴン(隠語)は気にせず、誰にでも通用する日常言語で表現することにします。

 

 一番最後に破堤が進行したF区間からみていきます。破堤進行中に日暮れとなり、最終的には9月11日の朝になって約90m先まで破堤していたのがわかった区間です。(投光器やストロボを使って撮った写真はあるはずですが、一切公表されていません。)

 

1(不明1a)

住民が携帯電話機で撮影したものです。

F区間の下流端近くと思われます。子供連れですから、まだ氾濫のおそれまでは感じていないようです。

このあたりは上三坂ですが、中三坂上・中三坂下に批判指示が出たのが10時30分(伝わった時刻という意味ではありませんが)です。この写真はおそらくその前でしょう。

2(不明1b)

上の1からパンして上流側を写したところです。天端まで50cm足らずというところでしょうか。

8時ころで越水の始まる11時の水位にあと60cmくらいですから、8時を少し過ぎた頃でしょう。

奥の右端はB区間のケヤキです。

中ほどにF区間上流端から30mほどのところにあるダンプカー用の斜路が見えます。その先が最初に「破堤」したE区間です。

奥の右端はB区間のケヤキです。

26(14:46)

一応E区間の「決壊」(破堤?)時刻とされる12:50から2時間近く経過しています。

21から25でも遠くに小さく見えていますが、F区間の上流端の破堤断面がよく見えるのはこの写真です。角度は河道側に開き気味です。

「決壊下流側の樹木あり」と書き込みがありますが、この樹木はF区間上流端堤内のものと思われます。その陰が、F区間のちょうど中間点に唯一残ったガソリンスタンドになります。

水流の形状から、流失した堤体下に落堀ができているのがよくわかります。

27(15:40a)

F区間の堤防断面は次の28でよく見えます。

手前左はB区間下流端のケヤキ、右の樹木は、堤外のこの位置に何本かあったうちの最後の1本のようです。

28(15:40b)

上の27のトリミングのようにも見えますが、少し寄って撮影された別の写真です。

河道側に開き気味の、垂直に切り立ったF区間の破断面がよく見えます。

(手前左はB区間下流端のケヤキです。B区間は、C区間側から上流側へと、川表側から川裏側方向に洗掘が進んでいるのがよくわかります。天端が崩落しつつあります。)

 

 

 最初に決壊したのはE区間で、そこから下流側のF区間が順に下流方向へ破堤していったようです。同様に、いささか写真が不足していますが上流側のD区間もE区間から上流方向へ破堤していったようです(これは次にみます)。

  このように、なんらかの原因で破堤して破断面が現れると、そこを激しい水流が洗うようになり、堤体を構成する土がどんどん削り取られていくようです。簡略に示すと下図のようになります(さんざん貶しておいて、いざ自分で描くとポンチ絵レベルですが)。実際には、破堤が進行する際の破断面は、延長方向に対して直角になるのではなく、河道側に開くような角度がつくようです。この三坂町でもそうでした。

 写真でわかるように、11時ころの越水が始まっていた頃にくらべ、破堤以後は水位はかなり低下し、破堤していない区間の天端は完全に水面から上にでています。こうして、堤防天端からの越流水により川裏側法面の洗掘が進むのではなく、すでにできた堤体破断面を横から水流がつき崩していくのです。水面下で堤体が崩されると、水面上の堤体が落下する、最後に天端の舗装がポロリと折れるように落ちるのです。

 これが、3類型のポンチ絵に描かれていない、決壊(破堤)のメカニズムです。

 


 

D区間 既破断面の洗掘による破堤の波及的進行 

 

 次は、最初に破堤したE区間の上流側に隣接する約30mのD区間です。越水していたわけでもなく、隣接部分が破堤して現れた破断面が洗掘されることで、破堤が進行したようです。

 

 

2(不明1b)

8時ころに、越水が始まっていた11時の水位にあと60cmくらいですから、その前後と思われます。

坂路が見えているのがF区間の上流寄り、右端奥はB区間のケヤキです。

その中間がD区間です。

6(11:11c)

 一番最初に三坂町での越水を発見した国土交通省の大型ポンプ車(内水排水ポンプ車)からの写真3枚のうちの1枚です。

手前、車両のいるC区間で越水しています。

D区間は天端は冠水していますが、川裏側法面へは、かろうじて越流していません。その先E区間はC区間と同等かそれ以上に越水しているように見えます。人影があるのはF区間の上流端のようです。

7(12:00a)

 B、C区間の越水が進行しています。

その先D区間は越水していません

その先E区間は越水しています。

8(12:00b)

 7から数m進んで撮影された写真です。

ケヤキの手前のB区間と、ケヤキの先のC区間で越水しています。

D区間は越水していません。

1312:05頃c

 手前が越水しているC区間、越水していないのがD区間、その先で激しく越水しているのがE区間です。

人がいるのはF区間の上流端です。

C区間、E区間ともに天端の舗装はまだ存在するようです。

17 不明3b

(11:40から12:20とのことですが30分程度後と思われます。堤内の流失しなかった住宅の2階からの映像です。)

 右上隅に見えているのがB区間下流端のケヤキです。

右側の堤防は越水しているC区間、左側は越水していないD区間

堤外に見えるのが、この後流失する樹木で、向こう岸には篠山水門があります(後で検討するCCTV映像はここからのものです)。

18 不明3c

(11:40から12:20とのことですが30分程度後と思われます。17のやや下流側)

越水していていないD区間

19 不明3d (11:40から12:20とのことですが30分程度後と思われます。18の下流側)

越水していないD区間の左、柱のすぐ右にE区間がすこし見えています。

20 不明3e

(11:40から12:20とのことですが30分程度後と思われます。)

 右端に少し見えるD区間の先のE区間は、すでに破堤しています(発表された時刻〔12:50〕より前かも知れません)。

21 13:27a

 手前から、水位が下がって越水が終わったが天端から垂直に川裏側法面が洗掘されてしまったC区間、下流側のE区間から洗掘が進んできたが、かろうじて川裏側法面が残っているD区間、完全に決壊したE区間、その向こうはF区間です。

C区間が破堤し、そこに現れた破断面からD区間の破堤が上流側から進行した、というのではないようです。

22 13:27b

21のアングル違い。

手前は、E区間側から洗掘が進み、流失寸前のD区間

完全に破堤したE区間の向こうは洗掘が始まったF区間です。

23 13:34

左の堤内側法尻に見えるのが、B区間端のケヤキ。

C区間の天端が崩落しています。

D区間はすでに完全に流失しました。

24 13:45

 23より前のようにも見えますが、アングルのせいのようです。

C区間の天端が完全に崩落し、続いてB区間の天端の崩落がはじまっています。

D区間は完全に流失しました。

25 14:16

 B区間の端のケヤキのところまで天端の崩落が進行したようです。川表側の堀面の侵食がだいぶ進行しています。

D区間は完全に流失しました。

26(14:46)

一応E区間の「決壊」(破堤?)時刻とされる12:50から2時間近く経過しています。

F区間端の河道側に開き気味の破堤断面が見えます。

D区間は完全に流失しました。

水流の形状から、流失した堤体下に落堀ができているのがよくわかります。

手前はB区間の端ですが、川表側の法面の侵食がかなり進行しています。

27(15:40a)

D区間は完全に流失しました。

手前左はB区間下流端のケヤキ、右の樹木は、この位置の堤外に何本かあったうちの最後の1本のようです。

わかりにくいのですが、手前の川表法面から左奥のケヤキまでは、ある程度の距離があるようで、法面が斜めに大きく洗掘されているようです。

28(15:40b)

D区間は完全に流失しました。

河道側に開き気味の、垂直に切り立ったF区間の破断面がよく見えます。

手前左上隅はB区間下流端のケヤキです。B区間は、C区間側から上流側へと、洗掘が進んでいるのがよくわかります。天端が崩落しつつあります。

川表側から洗掘が進み、天端が崩落し、次に残った川裏側法面へと洗掘が進んでいるようです。

29(16:19)

D区間は完全に流失しました。

左に写り込んでいるのがB区間端のケヤキです。

すでに破堤したD区間からC区間の部分では氾濫水が乱流しもとの堤体下に落堀を作っているようです。

はっきりはわかりませんが、乱流の様子からみて、E区間では落堀は堤内側に形成されているように見えます。

「樹木が流出」し、破堤しなかったG区間の堤内の家屋が見えています。F区間では下流側へと急速に洗掘されています。

それに対し、B区間の洗掘はあまり進んでいないようです。

 

 

 

 決壊したE区間から下流側のF区間断面が洗掘され破堤していったのと同様に、E区間から上流側のD区間断面へと洗掘が進み、D区間が下流側から上流側へと洗掘されて破堤していったことがわかります。断定するには写真が足りませんが、どうやらC区間が破堤してそこから下流側のD区間断面へと洗掘が進んだのではないようです。

 それどころか、C区間は川裏側法面が完全に洗掘され天端だけが残る状況になったところで、越水が止まり、それ以上の洗掘は起こらなかったようです。それではC区間の破堤はどうして起きたかというと、破堤したE区間から上流側へ洗掘が進んでまずD区間が破堤し、ついでC区間の破堤へと進んだようなのです。しかし、あまり先走らずに、BCE区間を見た上で判断することにします。