八間堀川問題 9 問題の整理

 

14, Mar., 2016

 

(1水海道市街地浸水の諸類型

 

 「八間堀川(はちけんぼりがわ)」という場合、鬼怒川に合流するよう現在の水海道市街地を横断して追加的に開削された「新八間堀川」区間(下図の紫)を本流とみなしたうえで、その「新八間堀川」区間を含めた全体がそう呼ばれているのです。この項目でもそのように用いてきたのですが、このページでは、「分岐点」から小貝川までの元の河道を「八間堀川本川」(下図の緑)と、鬼怒川までの新しい河道を「新八間堀川」と、呼び分けたうえで、「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」について検討することにします。

 

 この図は、本項目5ページで、沖新田(おきしんでん)町・川崎町以南における八間堀川の右岸側から河道および左岸側への氾濫水の流入についての仮説を図示したものに、「分岐点」以降の八間堀川本川(緑)と新八間堀川区間(紫)を彩色したものです(背景画像は Google earth の「3D表示」です。2015年9月20日前後に撮影されたもので、ストリートビュー方式の実写映像による再構成画像だと思われます。CGによる人工的合成画像ではありません。以下の3枚も同じです)。

 北方から俯瞰したもので、図の上が南です。赤が上記「分岐点」までの八間堀川、黄は国道294号線です。

 青矢印は氾濫水の進行方向の概略を、橙矢印は赤の八間堀川の右岸堤防から河道に流入した地点を示します。上大橋(かみおおはし)の北東(図では左下)入り隅の川崎排水機場の破堤地点の上流側(図の橙矢印1)と下流側(同2)、大橋(おおはし)の上流側(同3)、さらにそこと相平橋の間(同4、5)などで、右岸を南下した氾濫水が、八間堀川の右岸堤防を越えて河道へと流入しています。川崎排水機場脇の破堤と大橋・上大橋の2か所の破堤は、通常の堤防決壊現象なのではなく、この右岸側から流入した大量の氾濫水による左岸堤防の破壊という前例のない事象と考えるべきでしょう(5ページで提起した仮説)。

 さらに、「水海道ロードパーク」手前(同6)、相野谷(あいのや)町の国道294号線とのクロス部分(同7)、そして水海道市街地北部の常総線鉄橋手前(同8)、桜橋下流側(同9)において、右岸を南下してきた氾濫水が、相次いで八間堀川右岸堤防を越えて河道に激しく流入しています。これらの地点で左岸堤防が破壊されなかったのは、川表(かわおもて)側法面(のりめん)に施されたコンクリートの護岸工のためだと思われます。とりわけ橙矢印7地点の左岸堤防から左岸堤内地への「越水」は大規模で激烈であり、左岸川裏(かわうら)側法面は激しく損傷しています(5ページに写真)。

 

 「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」は断片的に主張されるのみで、まとまって記述されることはありません。せいぜいセンテンスが2つか3つ、もっとも短い場合には「人災だ」の一言です。このワンワード「人災」は、当初は若宮戸の25.35km地点のソーラーパネル業者による砂丘(ほとんどの場合「自然堤防」と誤って呼ばれます)の掘削と国土交通省関東地方整備局下館河川事務所によるその黙認放置が引き起こした氾濫被害を指すコトバだったのですが、もっぱら「八間堀川による水害」を指すスローガンになっているようです。しかも、狭隘な視野のうえに立って過剰な敵意を剥き出しにして繰り返される糾弾行為のなかで速射される短文や単語に過ぎず、提唱者たちは自分が何を言っているのか自分でもわからなくなっている状態です。

 ここで提唱者たちにかわって、2015年9月10日の水海道市街地の浸水被害について整理整頓しておくことにいたします。

 

  水海道市街地のうち新八間堀川南岸側における浸水は、次の3類型によるものでした。すなわち、

南1 八間堀川排水機場の運転停止直後の、新八間堀川の2か所の樋管(排水口)から市街地への逆流による浸水

(14時ごろ、最大浸水深は20cmないし30cm。樋管閉鎖により夕方までに終息)

南2 八間堀川左岸を流下してきた氾濫水による大規模な浸水(21時ごろ、市街地で1mないし2m)

南3 「旧八間堀川締切樋管」から八間堀川本川に分流した鬼怒川起源の氾濫水の越水による浸水

(水海道市街地の東方の、きぬ医師会病院わきで15時30分ころに始まりました)

 

 そして、水海道市街地のうち新八間堀川北岸側における浸水は、次の2類型によるものでした。すなわち、

北1 八間堀川排水機場の運転停止直後の、新八間堀川の4か所の樋管(排水口)から市街地への逆流による浸水

(14時ごろ、最大浸水深は20cmないし30cm。樋管閉鎖により夕方までに終息

北2 八間堀川右岸を流下してきた氾濫水による大規模な浸水

(南2より早い時刻だったようです。市街地で1mないし2m)

 

  これらのうち、南2と北2については、本項目の6ページで見てまいりましたので、このページでは残余のものについて見てまいります。まず、南1と北1です。

 

 

 

(2)10日14時以降の新八間堀川樋管から市街地への逆流(南1と北1)

 

 9月10日13時の八間堀川排水機場の運転停止時に、新八間堀川に開口する排水口(樋管)をただちに閉鎖しなかったために沿岸市街地が浸水したとされている件、すなわち上の「南1」と「北1」について、事実関係を整理しておくことにします。

 「樋管(ひかん)」とは、堤防を切断し開渠(かいきょ)となっている「水門」に対して、堤防を暗渠(あんきょ)でくぐる排水口のことで、左岸(南岸)堤防に2か所、右岸(北岸)堤防に4か所あります。下は、1枚目は北からの俯瞰図、2枚目は南からの俯瞰図です。

 

 

 じつをいうと、これら樋管については全部で6か所とされているだけであり、それ以上具体的な指摘はないのですが、おそらくは今ここで示した左岸側の2か所、右岸側の4か所のことを言っているのだと思われます。番号はここで仮に付したものです。

 さらに、これら樋管を閉めなかったことによる被害がどのようなものであったについては、浸水の範囲、水深等、すなわち全域にわたる事態の時間的経過についてはほとんど情報がありません(「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」の立場からセンセーショナルで断片的な宣伝がおこなわれるのみで、客観的情報としてはいまだに提供されていないようです)。しかしながら、この逆流による被害(南1と北1)だけを受けて、南2と北2による浸水被害を受けなかった場所は一切ないことだけは確かなようです。

 この件についての東京新聞の県版記事を引用します。 2015年10月24日の記事は樋管の管理についてあらかじめ定めていなかったことを指摘したもので、2016年1月15日の記事はその後常総市が樋管の管理方針を定めたという内容です。単発的な記事ですからやむを得ないということでしょうが、「市南部の新八間堀川が逆流して市街地が浸水した問題」というきわめて不適切な記述がされていて、南1・北1と、南2・北2とが区別されず、へたをすると水海道市街地の浸水被害(南2・北2)がこの樋管閉鎖の遅れに起因するものであるかのようなとんでもない事実誤認を誘発するものとなっています。7ページで例示したヤフー・ニュース中の意味不明の記述はこの延長線上にあるようです。




 東京新聞茨城支局とつくば通信局は、鬼怒川水害の全体像についての最低限の調査をおこなう余裕もなく、最低限の認識を欠いたまま不用意に風説「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」に飛びついて記事化したため、早速行き詰って結局独自取材をやめ、自治体議会の「特別委員会」を取材して「裏取り」などもせずにそれをそのまま単なる傍聴記として紙面に載せてしまっています。この若い記者は他県に出かけてまで鬼怒川水害について「講演」をおこなっているようです(http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201602/CK2016022002000160.html)。呼んだ大学はともかく会社は何をやっているのかと、いささか心配にもなりますが、余計なお世話でしょう。

 

 

(3)10日午後の八間堀川本川から南部市街地への越水(南3)

 

 「旧八間堀川締切樋管」から「八間堀排水樋管」までの八間堀川本川からの氾濫についての、きぬ医師会病院による報告が公表されています(http://www.bousai.go.jp/fusuigai/suigaiworking/pdf/dai3kai/siryo8.pdf)。2016年1月19日の内閣府の「水害時の避難・応急対策検討ワーキンググループ」の第3回会合において報告されたものです(http://www.bousai.go.jp/fusuigai/suigaiworking/index.html)。

 鬼怒川水害については、インターネット上に公表されている限りでも多くの専門家等による調査研究がおこなわれています。しかし、浸水した全域について、その浸水開始とピークの時刻について、あるいは同じことですが浸水深の変化について総覧する報告はまだ現れていないようです。いまのところ目にするのは、かならずしも網羅的とは言えない諸地点の最大浸水深の図示だけであったり、おおまかに氾濫水の先端部の進行速度などに言及する断片的報告に尽きます。氾濫水の進行状況、そして浸水開始から最大浸水深そして浸水深の低下にいたる時間的経過を、全浸水域にわたって網羅的に解明しようとしたものは未だに公表されていません。国土交通省が、そもそもこういう情報収集をしているのか否かもわかりません。国土交通省に関係する研究機関がいくつかあるのですが、先に見た事例などを見る限りではそのような研究をはじめたどうかさえわからない状況です。

 東京理科大学の二瓶泰雄教授と大槻順朗助教らによって氾濫水の流動に関する研究がおこなわれているようです。土木学会における発表(http://committees.jsce.or.jp/report/taxonomy/term/48https://www.youtube.com/watch?v=5TaEAuzdA9I)や日本放送協会によるニュース番組(https://www.youtube.com/watch?v=1BV5Ri6l-ng)は断片的なものに過ぎず全貌がよくわからないのですが、基本的にはシミュレーションであって現地調査・聞き取りによる氾濫水の運動、すなわち浸水開始から終了にいたる事実解明とは趣旨がことなるようです。2015年12月時点のシミュレーション結果を画面で見る限り、わかっている事実との不一致も散見されます。「複雑系」をなす事象にあっては、入力する初期条件の小さな差異が出力される結果の大きな違いとなって現れるのですが、限られた実験施設の中の「単純」に見える動きであっても完全な予測は困難、場合によっては不可能であるのに、すくなくとも40㎢にわたる広大な領域について、(それ以外の初期条件はこの際考慮する必要はないでしょうが)地表面の状況に関するすべての条件を入力しうるはずもない中で、どのように研究が進められどのような成果が公表されるのか、おおいに期待して待ちたいと思います。

 きぬ医師会病院の報告は、一か所に限定されているとはいえ、焦点ともなっている「八間堀川」(本川)の氾濫(南3)の状況を含め、浸水の開始からピークそして浸水深低下までの時間的経過と各時点での水位が明確に示されています。重要な写真が多数撮影されており、このたびの鬼怒川水害についての最も注目すべき一次資料のひとつといえます。このような記録ないし記憶は個人・団体とわず他にも多数あるはずですが、このような形で公表されたことはたいへん意義深いものがあります。多数の入院患者の全員避難という困難な業務を遂行するなかで、このような記録を作成して公表されたことに対し、深甚なる敬意を表したいと思います。

 次は、当 naturalright.org が国土地理院の「地理院地図」に地名を追記したもので、その下がきぬ医師会病院の報告書の中のタイムテーブルです。

 

 このタイムテーブルの中段左に掲載されている越水状況の写真です。病院本館の2階から西側を撮影したものと思われます。同病院のウェブサイト(www.kinunet.or.jp/20150910/photo/)にも掲載されているものです。どこが河道で、どれが堤防なのかわかりにくいので右のサムネイルに説明をいれておきます。

 その下も、本館の玄関前で撮影され、報告書に掲載されている写真です。午後3時30分に敷地西側の八間堀川(本川)の越水が始まったことがはっきりと書かれています。


  下は、最初の写真の同じ桜の樹を(病院建物内に立ち入るのは遠慮して)地上から撮ったものです。

  フェンスが病院の敷地境界で、その向こうが石洗橋直下で分流した八間堀川本川の左岸堤防です。天端(てんば=堤防の上辺)の高さは、堤内側の病院敷地面からおおむね1m弱です。国土地理院の「地理院地図」によるとこの付近の標高は12.3mくらいですから、堤防の高さは13.3m程度と思われます。


 

  桜並木は、右岸堤防天端の河道側、左岸堤防天端の河道側、それと左岸堤防の堤内側法面下、の3列です。


 

 下左も「きぬ医師会病院」ウェブサイトに掲載されている9月10日の写真です。右奥に見えているのが、病院本館北側の茨城県きぬ看護専門学校、左奥に斜めに見えているのは八間堀川本川左岸堤防です。これも夕方まだ明るいうちです。撮影時刻がはっきりしませんから断定するのは尚早ですが、10日夕方の時点では八間堀川本川の越水による、本館北側の駐車場付近の浸水深は、深い所で15cm前後と思われます(右は同じ場所で2016年3月3日に撮影)。

 病院敷地の標高(T.P.)は、12.3mから12.8m前後です(Y.P. はこれに0.84mを加えたものです。T.P. と Y.P. については8ページ参照)。看護専門学校付近は病院本館棟周辺より30cm以上低くなっています(上の、時間的経過を記した資料の右下に浸水深が書かれています。これは「南3」によるものですが、看護専門学校の浸水深は病院より40cm深くなっています)。


 右は、同じく報告書とウェブサイトに掲載されている写真です。病院本館東側に駐車した職員の自家用車のようです。奥は北側の看護専門学校です。9月11日に撮影されたとのことです。時刻は不明ですが、この日は朝のうちだけ曇天で日中は快晴だったことから、早朝のように思われます。この時点での浸水深は1.2m程度と思われます(青のホンダ・フィットが全高1.5m、その向こうの白の日産・エルグランド?が全高1.8m)。

 病院職員は、患者を置いて自分の車で避難するわけにはいかないのです。


 水海道市街地が若宮戸と三坂町から氾濫し、八間堀川左岸を南下してきた氾濫水によって浸水するのは、日没後暗くなってからで、南部ではおそらく21時前後と思われます。

(なお、水海道市街地のうち新八間堀川の南側を浸水させた氾濫水には、川崎町と平町〔へいまち〕の破堤地点、さらに相野谷〔あいのや〕町の水海道ロードパーク付近で右岸から河道をまたいで左岸に流入した氾濫水も含まれていますが、八間堀川左岸を南下してきた氾濫水との前後関係や、それぞれの水量などは不明です。もっとも、氾濫水はすべてが若宮戸と三坂町からのものですから、全部が八間堀川右岸側に起源があります。その一部〔南東部の広大な水田地帯を浸水させたのですから、こちらの方が多いかもしれません〕がいずれかの地点で八間堀川を越えて左岸を南下してきたのです。本項目2ページから5ページを参照)

 水海道市街地のうち新八間堀川の北側については、八間堀川本川からの越水については考えなくてよいので比較的わかりやすいのですが、南側についてはこのように八間堀川本川からの越水と八間堀川左岸を南下してきた氾濫水という、ふたつの要因を考慮にいれなければならないので、注意が必要です。

 この二つを混同し、それどころか八間堀川本川からの越水だけが(ただし、新八間堀川への排水樋管からの逆流〔南1〕を除く)、水海道市街地南側の浸水の原因であるという決定的錯誤に陥っているのが、「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」(の1類型)なのです。

 水海道市街地南側では、新八間堀川への排水樋管があるのは2か所ですが、いずれも八間堀川本川より西側です。ですから、14時ころに起きた新八間堀川からの逆流(南1)は、八間堀川本川の西側だけでしょう。この氾濫水がまさか八間堀川本川をまたいで東側に及んだということは考えられません。きぬ医師会病院の報告書にもそのような事象は書かれていません。「南1」は、八間堀川本川の西側だけの事象だったとみてよいでしょう。

 いっぽう、15時30分ころからの八間堀川本川の越水(南3)は、八間堀川本川左岸=東側だけで起きたのか、それとも八間堀川本川右岸=西側でも同時におきたのかは不明です。そもそも、この左岸での越水の範囲もまったくわかりません。八間堀川排水機場の運転停止によって新八間堀川の水位は急激に上昇し、当然八間堀川本川の水位も上昇したわけですから(8ページ参照)、八間堀川本川両岸の広い範囲で越水が起きたと考えるのが妥当でしょう。すると、西側では14時ころに20cmないし30cm程度の氾濫があり(南1)、ひきつづいて(東岸と同時だったとして)15時30分ころに八間堀川本川からの越水氾濫(南3)が起きたということになります。排水樋管からの逆流(南1)は、側溝やマンホールからの逆流であるのに対し、八間堀川本川からの氾濫は市街地の地面上を流れるものですから一応は区別がつくように思われますが、地表面を氾濫水が覆ってしまえばもはや区別することはできないでしょう。排水樋管からの逆流(南1)はゲートの閉鎖によりおさまったのですが、あとからはじまった八間堀川本川からの氾濫(南3)は終わることはなく、21時ころからの大量の氾濫水の到達による浸水(南2)へと、いわば連続的に移行して行ったことになります。

 元をたどれば若宮戸と三坂町から流入した鬼怒川の水であり、通った道筋が異なるだけです。この常総市南部において、南東側では小貝川右岸堤防により、西側では鬼怒川左岸の局所的な洪積台地により、南側ではつくばみらい市の洪積台地によりそれ以上の流下が妨げられて、以後は次々に押し寄せる氾濫水により浸水深がどんどん深くなっていったのです。八間堀川左岸を流下してきた氾濫水によって八間堀川本川の全体が呑み込まれ、河道だけでなく両岸の堤防も天端まで水没した時点で、「八間堀川本川から水海道市街地への越水」(南3)は終わったのです。そしてそこから、水海道市街地の本格的な浸水(南2)が始まったのです。

 下はグーグル・クライシス・レスポンスの衛星写真(2015年9月11日午前10時ころ)ですが、八間堀川は河道はもちろん両岸堤防が完全に水没しており、水面から出ているのは両岸の桜並木だけです。桜並木がなければ、そこに川があったことはまったくわからない状況です。

 八間堀川本川からの越水によって水海道市街地(新八間堀川左岸)が2mも浸水するということは、到底ありえない現象です。八間堀川本川からの越水によって、八間堀川本川それ自体が水没する、などということも絶対にありません。「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」のうち、川境町と平町のあわせて3か所の破堤による八間堀川からの氾濫水が原因だとするパターンについては6ページまででその不可能性を示しましたが、もうひとつのパターンである八間堀川本川からの越水が原因だとするものについても、以上のとおりですから事実誤認であることはあきらかです。

 



 蛇足ながら、越水がはじまった9月10日15時30分頃の、この地点の八間堀川本川の水位について、推定してみます。有効数字の桁数が一致しない上、堤防天端の高さは測定ポールを用いたごく大雑把な目測であるなど、およそ厳密性に欠ける計算なので気が引けますが、きぬ医師会病院の報告にいう越水開始時刻の「15時30分」が、既知の水位データと合致するかどうか確認しようと思います。

 下は、8ページで示した八間堀川と鬼怒川の水位変化の表です。毎正時のデータから、15時30分の鬼怒川との合流地点すなわち八間堀水門における水位を推定します。15時の13.66mと16時の14.01mの中間値は、Y.P.で13.84mとなります。これを地形図などの東京湾中等潮位(T.P.)に換算すると13.0mとなります。


 八間堀水門とそこから7km上流の三坂新田水位観測所との水位差は、10日午後では1kmあたり30cm±10cm程度ですので、これを勘案すると八間堀水門から1km上流の「旧八間堀川締切樋管」では13.3m程度となります。そして、八間堀川本川の傾斜は度外視して、きぬ医師会病院の南側駐車場脇での水位はそのまま13.3m程度と推定します。

 国土地理院の「地理院地図」で表示される現地の標高は12.3mで、堤防天端の比高は1m弱でした(右上写真)。

 以上、杜撰な推定で恐縮ですが(そうはいっても何mもの食い違いはないでしょう)、「15時30分」の越水開始という情報は、ほかの既知のデータとも矛盾しないといえます。


  なお、きぬ医師会病院の報告書は、もちろん「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」とは無縁です。そこに書かれているのは、すべて客観的事実です。報告書は、西側を流れる八間堀川本川からの越水だけによって病院の建物が床上1m30cm、地盤の低い看護学校では床上1m70cmも浸水した(時盤面からの浸水深は、これに基礎高が加わります)と言っているわけではありません。

 

 「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」のうち、八間堀川本川からの越水だけが、新八間堀川左岸水海道市街地の浸水の原因であるとする説の例を挙げておきます。

 次の茨城新聞の記事の2段落目を見ると、「同病院は鬼怒川支流の八間堀川に近く、床上約1・3メートルまで泥水が押し寄せ」た、などと誤解に満ちた記述がされています。

 

 

 

 編集や校閲という工程を経ているはずの新聞でさえこの調子です。「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」という先入観にいったん囚われてしまうと、八間堀川本川の越水による浸水(南3)と、左岸を流下してきた氾濫水による浸水(南2)との区別はまったく不可能になり、如何なる事実を目にしても当の先入観を訂正する動機付けにはならないようです。

  この項目の1ページで、常総線水海道駅前のホテルの従業員の方が公開されている「ホテル物語」というブログの記事を引用させていただきました。その後、同ブログに水害に関する記事が1件追加されました(2016年2月9日、http://plaza.rakuten.co.jp/fatmama/diary/201602090000/)。

 

ホテルのスタッフの健康診断は、毎年秋にきぬ医師会病院という市内の病院で実施しています。昨年も予約してあったのですが、9月の洪水で、きぬ医師会病院は大きな被害を受け、健診センターが使用不能となり、健康診断を実施できない状況になってしまいました。病院のすぐそばを決壊した八間掘川が流れているので、それはそれは大きな被害になってしまったのです。(中略)

最近風邪をひいて、きぬ医師会病院は今どうなっているんだろう、そろそろ診察は平常に戻ったのかしらとホームページを見てみたら、「被災から復興へ」というページができていて、「2015年9月10日~11日の鬼怒川決壊による被災~復興までの記録」と題して、100枚以上の写真が時系列で掲載されていました。凄まじい被害の状況に、あらためて驚きます。 すぐ横を流れる八間掘川の越水の様子も撮れていて、ずいぶんたくさんの写真があることにも驚きました。

あの日、私も、屋上まで行って、どこまで水が来ているか、街の様子はどうなのか、写真に残したかったのですが、エレベーターが使用できない状況のなかで、階段を使って屋上まで行く余裕がなかったのでした。(以下略)

 

 きぬ医師会病院の浸水は、敷地に隣接する八間堀川本川の氾濫によるものと認識しているようです。悪いことに、病院から撮影した八間堀川本川の越水の写真を見てかえってその信念を強化してしまっているようです。ブログ公開者がみずから述懐するように、もし9階建ビルの屋上から一帯を眺める余裕があれば、その誤解は一瞬で氷解したかもしれないのですが、当時の状況ではそれは無理だったに違いありません。新聞、「専門家」、そしてそれに便乗する国土交通省の広報担当者(10ページ参照)らは、この度の水害の被害者に対して風説 rumor を垂れ流すことで、このようにあやまった認識を定着普及させてしまったのです。まことに罪深いことと言わざるをえません。

 次は、おなじく茨城新聞の記事です。上の記事の前日です。茨城新聞は、連日、「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」を宣伝しています。

 

 

 この記者は茨城県立水海道第二高等学校へ直接出向いたに違いありません。だとすれば、そこが新八間堀川の右岸=北側であり、いかにしても「近くを流れる八間堀川からあふれた水が押し寄せ」(南3?)るはずのないところであることは、わかったはずなのです。いちど思い込むと、何があっても、何をみても、その誤解から逃れることは難しいようです。

 あるいは、ここで「近くを流れる八間堀川」と言っているのは八間堀川本川ではなく、新八間堀川のことなのかもしれません。しかし、そう思うのであれば、ハンドボールの報告会だけ取材して帰ってくるのではなく、9月10日に記事中の古山(ふるやま)秀樹校長の職務命令を受けて宿直した同校の2名の教職員に当日の状況を聞くべきだったのです。そうすれば、10日午後の新八間堀川からの逆流による浸水(北1)は水海道第二高等学校付近では10cmにも満たないないものであったこと、それがいったん引いた後、夜になって若宮戸と三坂から南下してきた氾濫水が学校を浸水させ(北2)、二人の通勤用自家用車をも水没させたことを聞けたはずなのです。