八間堀川問題 2 水没する八間堀川

 20, Jan., 2016

 

何かが川に落ちて水没した、あるいは河川からの氾濫水によって何かが水没したというのではありません。

八間堀川(はちけんぼりがわ)が、水没したのです。

 

 

河川が水没する? 自然堤防と後背湿地

 

 鬼怒川と小貝川の沿岸部は概ね自然堤防 natural levee と呼ばれる、比高(後背湿地との標高差)数10cmからせいぜい2ないし3mの微高地となっています。

 

 なお、沿岸の一部には風による砂の堆積で、10数mの比高の河畔砂丘 sand dune が形成されることがあります。冬の北西季節風(「日光おろし」)が、高水敷(「河川敷」)に溜まった砂を吹き上げて作る丘ですから、東岸にできます。現在ごく一部だけ残っているのがあの若宮戸(わかみやど)砂丘、別名「十一面山(じゅういちめんやま)」砂丘です。自然堤防と河畔砂丘は別ものだというのは、中学生や高校生が学校で習うことです。同じだと思い込んでいて議論したのでは話は大混乱してしまいます。自然堤防と若宮戸砂丘を混同するようでは、次に出てくる、「自然堤防上の集落」など、チンプカンプンです。この点をまったくわきまえないでご高説をたれるような「専門家」や「報道」関係者は、信用するに足りません。無知なうえに誤りを指摘されても傲慢にも絶対に認めないのです。どういう「立場」にしろ、常総市民のためにはなりません。

  

 東の小貝川右岸(西岸)の自然堤防と、西の鬼怒川左岸(東岸)の自然堤防に挟まれた地域は、後背湿地(こうはいしっち 後背低地、谷底〔たにぞこ、こくてい〕平野)と呼ばれます。近代以前は自然堤防上には集落や畑がつくられ、後背湿地は文字どおり沼や湿地となっていたり、開拓により水田がつくられました。ただし、あとで見る三坂新田(みさかしんでん)や沖新田(おきしんでん)のように、あらたに開拓された水田(それが「新田」。三坂新田集落は三坂町を母集落とする娘集落でしょう。まるでギリシャ・ポリスの植民市建設のようです。「沖」は沖積世の「沖」と同じく、新しいという意味だと思います)のただなかに集落が形成されることもありました。昭和期以降、とくに戦後になると、水田をつぶして後背湿地に住宅や事業所が続々と建設されるようになります。なお、自然堤防にあった畑の一部は、河川水ではなく井戸水(地下水)による稲作地すなわち陸田となっています。ところどころに地下水汲み上げ用のポンプ小屋があるのがそうです。

 次は、国土地理院の「治水地形分類図」(初版〔1976〜1978年〕)です(「地理院地図」で常総市を表示し、 http://maps.gsi.go.jp/#14/36.118984/139.993286 〔他の地域でもかまいませんが〕地図画面左上のフローティング・メニュー〔邪魔なら移動できます〕で、「表示できる情報>地図・空中写真>治水地形分類図」を選びます)。

 薄茶が自然堤防、が後背湿地です(「詳細」で凡例が表示されます、橙横縞は洪積台地〔こうせきだいち〕です)。なお、「更新版」でも記号で区別できますが、あえて古い方の「初版」を選ぶと、若宮戸砂丘が色違いでわかりやすく表示されます(下の画面左上の鬼怒川左岸〔東岸〕の)。若宮戸砂丘の東、小保川(おぼかわ)あたりまで広がるのが若宮戸の自然堤防です。ぐっとせまくなって南側の市街地が本石下(もといしげ)の自然堤防、そこから大きく扇形にひろがるのが新石下(しんいしげ)の自然堤防です(扇状地 fan というわけではありません)。後背湿地の水田地帯を挟んだ南東側、小貝川のくるりと曲がった旧河道(青白横縞)の湾曲部が形成した自然堤防が曲田(まがった)です(画面右下隅。地名の由来が容易に想像できます)。その真西、鬼怒川と鬼怒川旧河道の間の自然堤防が三坂町です。直近で「溢水」ないし破堤した若宮戸と三坂町は浸水し、本石下と新石下の比高の低い周縁部も浸水しましたが、本石下と新石下のうち鬼怒川沿岸の比高の高い自然堤防は浸水しませんでした。曲田の自然堤防は完全に浸水を免れました。

 

 

 さて、その後背湿地のもっとも標高の低いところ、つまり東西の自然堤防にはさまれた後背湿地の中心線あたりになりますが、そこを北側の下妻(しもつま)市(深田恭子の『下妻物語』の下妻です)から、旧石下(いしげ)町をへて旧水海道(みつかいどう)市、つまり両者合わせて常総市となった鬼怒川東岸=小貝川西岸を縦断するのが、八間堀川(はちけんぼりがわ)です。来歴に深入りして薀蓄を(あわてて仕入れてきて)垂れるのはやめておきますが、基本的には後背湿地の排水のためにつくられた人工的な河川です(それをいうと、鬼怒川と小貝川の現在の流路もほとんどすべてが人工的なものなのですが)。水利権が設定されていて少しだけ取水もおこなわれているようですが、ほどんどの水田への水の供給は幾多の用水路が受け持ち、八間堀川基本的に排水を受け持つ、ということのようです。

 したがって、当然ながら八間堀川は南北に長く続く後背湿地のほぼ中心の、もっとも標高の低いところを北から南へながれているわけです。終端は水海道(みつかいどう)の市街地の東側をまっすぐ南下して小貝川に合流するのですが、新たな水路が開削されて市街地に入る直前で西に向いて豊水橋(ほうすいきょう 西岸の豊岡〔とよおか〕と水海道から一文字ずつ)のすぐ上流のところで鬼怒川に合流するようになっています。小貝川に合流する古い河道は狭いままで、いっぽう分流点から鬼怒川までは広い(それでも鬼怒川などとは比べものになりませんが)河道が1.1km続き、「新八間堀川」と呼ばれます。ただし、一般的にはその部分も含めて、八間堀川というようです。

 なお、かつてはその名のとおり「八間」(1間は1.81m)の川幅だったのでしょうが、現在は場所によりますがそれよりは広くなり、下流部で約27メートルの「十五間堀川」?になっています。もとが完全な人工的河川ですから、(たびたび付け替えもおこなわれて)ほぼ直線であるうえ、堤防の外(河道の側)に広い高水敷(いわゆる河川敷、氾濫原)が広がっているわけでもありません。したがって増水すれば、まず低水路(河川水が流れるところ)から河川敷いっぱいに広がり、だんだん水位が上がって堤防の天端(てんば 台形の堤防断面の上辺)に近づき、そのうえで越水や破堤にいたる、という大河川のようなプロセスをたどることはありえません。いきなり水がいっぱいになります。しかも小さな川ですから、流せる水の量はさほど多くはありません。

 下が、管理者の茨城県土木部河川課が作成した現行の計画流量図です。最上流で30㎥、最大となる最下流の鬼怒川への合流地点でも75㎥に過ぎません。これから見る常総市最北部では50㎥、問題の大生(おおの)小学校前の破堤地点でもやっと70㎥ですhttp://www.pref.ibaraki.jp/doboku/kasen/keikaku/kasen/documents/tone-huzu.pdf 2016年に改定される予定です)そうはいっても、以上はすべて1秒あたりの数値ですから、1時間あたりでは合流点で27万㎥(つまり27万トン)です。1時間で、たて100m、よこ100m、深さ27mのプールが一杯になります(そんなプールはありませんが。よく「東京ドーム」何杯分とかいう喩えで説明される程度の量です。もともと「容器」でない野球場を喩えにしたうえ、そもそも「東京ドーム」の大きさがどれほどなのかあらかじめ示されていないのですから、あまり意味のある喩えではありませんが)。27万㎥と言われても、いったい多いのか少ないのかピンと来ないのですが、八間堀川との合流地点の鬼怒川の計画流量は毎秒5000㎥、1時間で1800万㎥ですから、おおざっぱにいうと、八間堀川は鬼怒川より2桁小さい河川なのです。

 

 

 

 

謬論 = 八間堀川唯一原因説

 

 鬼怒川と小貝川にはさまれた自然堤防と後背湿地の排水については、この小河川八間堀川がほぼ一手に引き受けているのです。そこへ、若宮戸2か所と三坂町から大量の水が溢れて来たとしたら、いったいどうなるでしょうか?

 

 こうなります。

 

 

 GoogleCrisisResponseによる衛星写真 www.google.org/crisisresponse/japan/archive? 

メニューのたどり方については、reference4B 参照

 

 若宮戸と三坂町から氾濫した鬼怒川の水が鬼怒川東岸の常総市のほぼ全域、40㎢を浸水させたことは明白な事実です。こんなことはいまさら問題になるようなことではありません。

 

 ところが、常総市南部の水海道地区の水害は、鬼怒川の氾濫によるものではなく八間堀川の氾濫だけが原因だとする考える人たちが少しいるようです。そこでやめておけばよいものを、社会的責任をになっていると思っている「報道」機関が積極的に流布し、「専門家」や地域のオピニンリーダーを自認する人たちがそれに唱和し、水害の被害に呻吟する人たちに向けて誤った認識を振り撒いているのです。一般市民の被害者は、日々の生活それじたいが苦労の連続であり、水害の原因について調べたり河川問題を探求する余裕などないでしょう。そこにつけこむように、誰に頼まれたのでもなく勝手に請け負った社会的責任に意味もなく発起し、狭い世界で培ったささやかな社会的影響力を行使して、児戯にも等しい思いつきに捉われてなんの根拠もない空疎な見解をふれ回っているのです。

 前ページで引用した「ブログ」を公表している方のことを言っているのではありません。この方は水害の被災者であり、ブログは日々の事柄についてのものであり、水害について他人や社会全体に自説を教え込もうとしているわけではありません。このように自宅や仕事場(すくなからぬ人たちがその両方)で被災して塗炭の苦しみに喘いで人たちに、誤った見解を囀り聞かせ(twitter)、軽率な思いつきを記録し(web log)、蜘蛛の糸のような錯誤で絡め取ろうとして(world wide web)、荒唐無稽なくせにもっともらしく聞こえる言説を弄している人が問題なのです。「自然堤防」問題もそうですが、幸運にも水害の被害者でない人たちが、幸せがありあまり外部から軽率に首を突っ込んで謬論を広げているのです(勝手に入り込んできて、乗ってきた自動車を水没させたり、びしょ濡れになって27時間絶食したり、命をおとしかけて住民に助けられるなど、「被害者」になった報道企業従業員は大勢いるようですが)

 

 「水海道市街地水没八間堀川唯一原因論」の合唱隊は、いずれたいした材料もなしに声を張り上げているのですが、間違ったことを言ってもそのことを恥ずる気遣いはまったくないようです。常総市にはじめて足を踏み入れたその日に被害住民を前に講演をおこなった人(本項目7ページと8ページに再度登場していただきます)もいたのには仰天しましたが、「毎日新聞」以外は八間堀川の水位データすら調べていないように思われます。流量ひとつとっても2桁も違っているものを同一次元に並べてしまう早トチリさんたちに、その無根拠ぶりを指摘したところで詮無いことです。最後はどうせ、「唯一の原因だとは言っていない」とか言い出すに決まっています。

 いくら暇人でも、そういう針小棒大の謬説の検討に時間を割くのはいかがなものかと思わないでもありませんが、これまで若宮戸と三坂町の氾濫地点の問題ばかり見てきて、氾濫水の移動についてはほとんど検討してこなかったことでもあり、「水海道市街地水没八間堀川唯一原因論」について妥当な解釈を提示するのを機会 chance として、氾濫の拡大状況についてこれまであまり注目されてこなかった具体的な事実を調べようと思います。浸水深の分布状況とかその時間的変化についての検討はずいぶん進んでいるようですが、具体的な氾濫水の移動メカニズムについては、肝心の場所での目撃証言の不足などもあってあまり手がつけられていないようですから、一石を投じたい(砂つぶ一つ程度ですが)、と考えております。

 

 

  

 

鬼怒川の氾濫水で水没した八間堀川を上流からたどる

 

 以下このページでは、常総市北部の若宮戸付近から新石下南部付近までをみてゆくことにします。

 次の写真は常総市北端に隣接する下妻市南端で氾濫水が右岸側から八間堀川に流入している様子です。暗い水の色が、そこから土砂混じりの氾濫水の明るい色に急に変わります。若宮戸のすでに掘削された砂丘地帯から「溢水」し、玉(たま)小学校や菅原天満宮のある自然堤防地帯を流下して、後背湿地(後背低地、谷底平野)へと到達した氾濫水が、八間堀川沿岸土地改良区伊古立(いごたつ)排水機場(下妻市市原2912-2)の排水門から八間堀川に流入しているものです。

 ただし、これは撮影された9月11日午前の時点でのものです(影の角度から判断して午前10時ころです〔次のページで根拠を示します〕)。東岸の耕地に区画毎に南側の畦道に堰きとめられた漂流物が残っていることから氾濫水が標高の低い常総市南部方面へと流下してゆき、浸水域が徐々に南に移動しているのがわかります。もっと早い時刻にはこれより上流部(北側)でこのような流入現象が起きていたものと思われます。

画面上方が北です。グーグル・クライシス・レスポンス GoogleCrisisResponse による衛星写真です。なんども引用し、これからもそうさせていただく、飛行機からの高精細な俯瞰画像とは別のものです。衛星写真は全域がカバーされていて、自由に拡大縮小しつつスクロールできますので、是非ごらんください。国土地理院による数日分の貼り合わせ航空写真による全域写真もあり、それはそれとして有用ですが、この9月11日のグーグルのデータは最初に参照されるべきものです。 www.google.org/crisisresponse/japan/archive?hl=ja トップページ最上部のタブのうち「過去の対応」を選択し、切り替わった画面右上のフローティングメニューから「レイヤ」タブ中を選び、「2015年9月 大雨による被害」をチェックします。少々分かりにくいです。reference4B に手順をご説明いたしました。

 

 

 伊古立排水機場から2.4kmほど下った新石下(しんいしげ 本石下〔もといしげ〕に対する地名 2005年の水海道〔みつかいどう〕市との合併により常総市となった旧結城〔ゆうき〕郡石下町の中心市街地)の東側の後背湿地のど真ん中です。現在架け替え工事中の橋の部分です。八間堀川の堤防の拡幅ならびに嵩上げ、それだけでなく河道を拡幅するために、それに先立って道路の橋の架け替えをしているようです。

 途中は見ていませんがが、このあたりでは若宮戸からの氾濫水が八間堀川を完全に水没させています。堤防の天端がかろうじて透けて見えていますが、ところどころでは水が完全につながっています。どちらからどちらへ溢れるとか、あるいはい河川水が「越水」するとか、そういう段階ではなく、後背湿地最深部の八間堀川がまるごと水没しているのです。一つ前の写真では氾濫水が八間堀川に流れ込んでいる段階でしたが、もうそんな状態ではなく西側堤内と堤外(河道)と東側堤内がおなじ水位になっています。

 そのうえで氾濫水の色の微妙な違いや浮遊物に注目して細かく見ると、西岸側から東岸側へと氾濫水がゆっくり流れているように見えます。特に橋のすぐ北の河道の色の違いと、左岸で南東側にたなびく浮遊物の様子に注目して下さい。

(同じくGoogleCrisisResponseによる衛星写真 www.google.org/crisisresponse/japan/archive? )

 

 

 次の俯瞰写真は、新石下の東側です。画面左が北、右が南です。中央が「豊田(とよだ)城」(常総市新石下・市民交流センター)です。同じくよくテレビに写っていたスーパーマーケット「アピタ」(水害により撤退予定)は北北西側で画面から外れています。

 画面上から4分の1ほどのところを左から右へ、新石下市街地の東の水田地帯を縦断しているのが八間堀川です。写っている範囲で概ね1kmです。完全に水没し、ところどころにある橋梁だけが水面から出ています。上のグーグルの写真より後の撮影ですが、堤防全部がほぼ水没し、なんとなく透かして見えるという程度です。堤防そのものが見えているのではなく、水の色や挙動の差異でそれと判るのです。左の方で水面から飛び出しているのが、上の衛星写真の橋です。東岸の豊田球場はフェンスと樹木だけ見えています。画面右に斜めに見えているのが県道24号線(上方で小貝川を渡り、つくば市にいたります)で、新石下地区から八間堀川の橋(新東橋)までは水面上に出ています。

 この写真でも、前の写真でみた浮遊物のたなびく様子が見えます。なぜかというと県道24号線によって堰き止められた氾濫水が、八間堀川左岸の豊田球場南東付近で、標高の低い南へと「越水」(というのでしょうか?)しているのです。画面右下あたりの自然堤防の周縁部でも同じく氾濫水が南下しています。もっと手前は自然堤防で標高が高く、今回は浸水していません。この2か所が、若宮戸からの氾濫水の南への流下口です。

 三坂町での破堤から2時間以上経過しています。三坂町から氾濫水が北上することは標高差からもありえないでしょうが、この写真からも、それが裏付けられます。若宮戸から新石下付近までの浸水は、若宮戸の2か所の「溢水」が原因だとみて間違いないでしょう。

国土交通省のヘリコプター「きんき」からの撮影。9月10日14時58分〔ファイル番号 _W9R7722〕 2015年9月には国土交通省関東地方整備局がウェブサイト http://www.ktr.mlit.go.jp/index.htm で数百枚公表していましたが、現在はその一部の60枚だけ公表しています http://www.ktr.mlit.go.jp/bousai/bousai00000095.html

 

 

 次は、同じく新石下を、より上空から引いて写したものです。数多くの客と従業員が孤立した「アピタ」が左の方にあります。新石下市街のうち手前の鬼怒川に近い自然堤防上にある部分浸水していません。画面奥には小貝川と東岸のつくば市の洪積台地が見えています。国土交通省のヘリコプター「きんき」からの撮影。9月10日15時06分 _W9R7723)

 

 上の写真は上空から見ているうえ、11日朝で当然浸水のピークを過ぎていることもあり、氾濫水の勢いを見てとることはできません。右は、画面左で体育館の緑色の屋根がみえている石下中学校脇の交差点で、東から西方向を見たところです(共同通信社「KYODO NEWS」https://www.youtube.com/watch?v=pjFlkZHapkw)。県道24号線近くで八間堀川に合流する排水路わきが洗掘され、信号機が倒壊しています。


 

 

 こうして八間堀川の東岸と西岸から、もちろん八間堀川の河道も通って若宮戸からの氾濫水は南下するのですが、県道24号線を越えた後で、進路を西寄りにすこし移します。まるで三坂町から南下を始めた氾濫水と合流するために、そちらへと近寄って行ったかのようですが、もちろんそんなことはありません。曲田(まがった)の自然堤防によって、行く手を阻まれて、西側に進路を変えて南へ下ってゆくのです。

 解像度が低い(公表にあたってあえて落としたのか?)のと、水面下の耕地の色調の差異もあってきわめてわかりにくいのですが、画面左下隅、八間堀川右岸堤防から左下方向(南西方向)へ、浮遊物がたなびいているのが見えます。左岸堤内から堤外(河道側)へも流入しているものと思われます。

 さきに示した地図で、右下の赤が住居表示でいう「曲田」です。次は、9月11日午前9時28分の写真ですから、今までのものよりだいぶ前のものです。若宮戸での「溢水」からおそらく3時間以上経過していますが、三坂町では越水(おそくとも午前11時ころ開始)も始まっていない時刻です。この地域を襲う氾濫水はおもに若宮戸由来と思われ、このあと水位はさらに上がるようなのですが、この曲田集落では結局、このたびの水害で浸水したのは最近建てた一軒だけです。道路がわずかに冠水したり耕地が水没したものの、住宅はすべて被害を免れました。合併前の石下町の南東端の集落で、小貝川旧河道の蛇行に由来する名称だと思いますが、これこそ自然堤防 natural levee 上に立地して水害を免れてきた集落なのです。このあとみることになる三坂新田や沖新田、さらに常総市南東部では、2mから3m以上も浸水したのと比べると、その違いには驚きます。じつは三坂町も同様で、あの場所で破堤さえしなければ、流失した県道357号線沿いの家々は、床下浸水すらしない場所なのです。(こういう次第ですから、自然堤防 natural levee 、堤防 bank 〔leveeとも〕 、砂丘 sand dune 、「土嚢 sandbag の2段積み」の区別もつかない「専門家」や新聞は、河川や水害について何も知らずにご大層なことを言っているのだということがわかります。本当に困った人たちです。)

国土交通省のヘリコプター「きんき」からの撮影。9月10日9時28分 _W9R7723)

 

 

 次の写真は、南から北方向を俯瞰したものです。画面中央を横断するのが建設中の圏央道(首都圏中央連絡自動車道)で、すこし蛇行する国道294号線とのインターチェンジの喇叭が見えています。中央やや上が三坂町の破堤の様子です。遠くからでも激しく波立っているのがわかります。

 その右上が新石下市街地で、北側から若宮戸の氾濫水が新石下の自然堤防をおおきく回り込んで、八間堀川を最低標高地点とする後背湿地を手前へと流下し、さきほどの曲田の自然堤防で西側に少し幅寄せされ、一部は八間堀川を斜め横断して三坂町からの氾濫水と一体化しつつあるところです。

 撮影は同じく国土交通省のヘリコプターで、9月10日の15時08分です。若宮戸の「溢水」開始から9時間以上経っていますが、新石下を回り込むことで距離も伸びるし傾斜も緩やかになるため、まだ圏央道直下までしか来ていません。たまたま7時間くらいあとに破堤した三坂町の氾濫水と並ぶことになりました。14時現在の浸水区域を速報した国土地理院の手描きの地図が発表されるのはこの少し後です。

 このあとこの氾濫水が鬼怒川東岸全域を浸水させることを予想した人はごく一部の聡明な人だけです。その人は、「ハザードマップ」を見たからわかったのではありません。常総市の地形をよく知ったうえで、中学生でも知っている自然堤防と後背湿地についての知識、それと方円の器に従うという、小学生でも知っている水の特性から、合理的に推理したからなのです。到達範囲と浸水深は氾濫水の総量によって異なるのですが(氾濫量が少なければ浸水範囲は狭く、浸水深も浅くなります)、テレビが現を抜かした「電柱おじさん」と「ヘーベルハウス」の場面を見て、相当の規模だと直観したのだそうです(隣のまちに勤務するその方が、いずれ水没が確実なわが家に戻ってできることをしたいと願い出たところ、勤務先の所属長はそれを断固として許さず、午後4時まで拘束した件については、いずれご報告することにします)。

 

 俺も予想していた、と言っている人はたいてい嘘つきです。そうでなければ、わかっていたのに他に人たちに教えもしないで黙って見ていた卑怯者です。ちなみに暗愚なる当 naturalright.org は、浸水はこの範囲でおさまるものだと根拠もなく思い込んでいて、翌朝になって常総市役所水没のニュースに驚いたのでした。

 

 

 後背湿地を流下する氾濫水の突端は歩く速度よりもゆっくりと前進したようですが、道路の盛り土などすこしでも標高のたかい障害物があるとそこでいったん堰き止められます。さきほどの新石下付近で、八間堀川右岸を流下した氾濫水が県道24号線で堰き止められたのがその一例です。標高差が大きい場合にはそこは行き止まりになって別の場所から流下することになりますが、あとからどんどん水が押し寄せてきて水位が上がれば、いずれはどこかの地点では「越水」(というのでしょうか?)してさらに南下前進することになります。ある地点で氾濫水が滞留するかそれとも流れ広がっていくかは、水の総量と土地の形状の兼ね合い次第です。

 堤防が氾濫水を堰きとめることもあります。ただし氾濫水が堤内(ていない 河道の反対側。町や耕地になっている方)です。堤防の内と外の攻守が入れ替わっているのです。これは南北方向ではなくて、八間堀川の堤防を挟んだ東西方向の鬩ぎ合いです。新石下東方でも曲田西方でもこの現象が起きていました。西から東に向かうことも東から西に向かうこともあります。このあと、6ページまで、三坂新田、沖(おき)新田、平町(へいまち)、そして決定的証拠の残っている新井木(あらいぎ)、同じく決定的証拠と信用性の極めて高い証言が得られた新八間堀川沿岸の水海道橋本(はしもと)町(ここでは南北方向です)について具体的に見てゆくことにします。

 

 氾濫水は盛り土などがあるたびに堰き止められてしばらく前進を中断するので、必然的に平均的な前進速度は遅くなります。三坂町から水海道の市街地までは約10kmですが、12時50分ころとされる破堤から(ただし「越水」開始はすくなくとも11時以前)、市役所付近への到達まで8ないし9時間程度かかっています。少々迂回していることを考慮しても、平均速度は毎時1km程度です。若宮戸からの氾濫水は三坂町より7時間以上前に流出したのですが、上で見たように午後3時の時点で圏央道のラインで横にならび、一体のものとして標高差にしたがって南流していくことになったのです。

 なお、先端部の平均速度が遅いからといって緩やかな流れだというわけではありません。障害物を「越水」する地点ではしばしば激しい流れとなって、建造物を破壊したり落堀(おちぼり、おっぽり)をつくったりします。その状況は次ページ以降で水害後の現地の写真でみてゆくことにします。そしていったん浸水すると、みるみる深くなり、行き止まるまではかなりの流速となるようです。(なお、深さ30cmの流水でも歩くのは困難となり、転倒して溺死する危険性もあります。溝や穴が見えないこともあり、呑み込まれれば救出は困難です。)

 

 この写真のもう一つの注目点は、右中段で途切れてしまっていますが、圏央道をくぐった八間堀川が満々と水を湛えていることです。堤内の後背湿地を流下しつつある圏央道以南にはまだ氾濫水は到達してません。当然ながら河道を流れる水は、途中に咳やダムでもない限り、河道でないところを流下する氾濫水よりはるかに早く流下します。水海道市街地での夕方の小氾濫はこの八間堀川を流下した氾濫水によるもののようです。

 

 鬼怒川につながる水門の開閉状況や、併置されている排水門における排水ポンプの作動状況、鬼怒川と八間堀川のそれぞれの水位などけっして単純でない要因が多々ありますから、詳細は本項目8ページで検討することにします。例の「八間堀川唯一原因説」の提唱者たちはそのようなことにはあまり拘泥せず、ひどい場合には全部無視して平気でいるのです。八間堀川に関連する夕方の内水氾濫と、八間堀川の河道ではなく後背湿地の全面を呑み込みながら到達した氾濫水による午後9時以降の大規模浸水との区別もしないで、八間堀川が水害の原因だ、常総市役所による人災だ、と主張しているのです。だいぶ混迷しているようです

 

 「八間堀川問題」についての事実の検証を上流側からはじめて、このページでは若宮戸から新石下、曲田までを瞥見しました。このあと、次の3ページで三坂新田・沖新田の大規模浸水状況を検証することにします。