八間堀川問題 1 風説「唯一原因説」

 17, Jan., 2016

 

常総市南部の水海道地区市街地の浸水は、鬼怒川の氾濫によるものではなく、市街地を流れる八間堀川の氾濫によるものだという驚くべき謬論が流布しています。その誤りをあきらかにするうえでは、氾濫水の総量、氾濫水の移動プロセスの全体を見る必要があります。八間堀川水害原因説は、しょせんはただの勘違いですから論ずる価値もないのですが、氾濫水の移動メカニズムをさぐることできわめて興味深い事実があきらかになるのです。

 

この1ページは前書きです。すぐに内容にはいりたい方は、  

 

氾濫水の移動メカニズムに関する具体的検討は2ページ以降で ☞

 

八間堀川堤防の破堤についての仮説はページで ☞


 

専門家」による「唯一原因説」の根拠欠如ぶりについては、7ページ以降で ☞




 水海道地区の水害原因にかんする「八間堀川唯一原因説」

 

 2015年9月10日におきた鬼怒川水害においては、水害にかんする社会的認識をめぐるさまざまの事象が生起しています。社会的な事件が起きると、そのことによって社会が打撃をうけるだけでなく、事件をめぐっておかしな議論が横行していつのまにかそれが定着してしまい、真相どころか基本的な事実さえ曖昧化してしまうのです。これは、現代日本社会における顕著な精神的頽落現象ともいうべきもので、なにも鬼怒川水害問題に限ったことではありません。

 

 たとえば2011年3月11日以降の福島第一原子力発電所の事故をめぐって、爆発のその瞬間からさまざまの虚偽の解説や根拠のない断定が広報され続けたことを想起してみましょう。地震の翌日、爆発した1号炉建屋から噴き上がる白煙をNHKがライブ放送した際、スタジオにいた大学教授が「爆破弁を操作して圧力を逃した」などと稀代の虚言を吐いたり、たいした情報があがってくるわけでもない首相官邸の一室で書類や飲食物が散乱するテーブルを囲んでいたところから、身仕舞をただす暇もなく記者発表室に現れた「政府高官」がなんらの合議も経ていないのに、「ただちに健康に影響があるのではない」というこれまた稀代の妄言を恥じることなく垂れ流したことが記憶に新しいところです。被爆地長崎で、長年被爆医療にたずさわってきた医師が、いちはやく福島県に雇われて「何の心配もない」と広報してまわったのを手始めに、さまざまの原子力発電や放射線影響に関する専門機関専門家が陸続と登場して、何の根拠もなく安全を請け合って安心感を振りまいたのでした。その挙句が、オリンピック招致のための、「0.3㎢でブロックされている」という内閣総理大臣の国際的虚言でした(言った本人も意味がわからなかったらしく、後日おこなった現地視察の際、「あの0.3㎢って、どこ?」と聞いたそうです)。

 

 鬼怒川水害においては、氾濫直後の重大な時期に報道機関は「電柱おじさん」や「ヘーベルハウス」のスペクタクル映像の拡散にもっぱら専念して、氾濫水の南下についてはその具体的映像を流すことも予想される到達範囲と到達時刻を知らせることもしませんでした(放射能拡散を一目瞭然にする地図をつくった火山学者の早川由紀夫教授が、浸水域拡大を報道・警告しなかった報道企業、とくに日本放送協会をきびしく批判しています)。広報を怠った国土交通省の責任は重大ですが、「記者発表」にだけ依存して、独自の取材力量をほぼ完全に喪失していることに気づきもしない報道企業の経営姿勢が招いた当然かつ痛恨の帰結なのです。

 氾濫当日から始まった「ソーラーパネル」をめぐる中途半端な報道が一段落し(このようなことで騒いでみせる人たちの飽きっぽさは、尋常ではありません)、こんどは「避難指示の遅れ」問題での常総市役所叩きと、「ハザードマップがあったのに見ていなかったのか」という後出しジャンケンが得意な「専門家」や報道企業群によるたいそう偉そうなお説教が始まりました。

 そうしたなか、若宮戸(わかみやど)問題では、国土交通省だけでなくそれを批判する自称「専門家」や「報道」関係者までが「自然堤防の意味や「河川区域」の趣旨もわきまえない支離滅裂な応酬を繰り広げ、三坂町(みさかまち)の破堤(はてい)については、早々に破綻したはずの「越水による決壊(破堤)」という単純な見立てを報道企業が余計なお世話で流布し定着させてしまうなど、時間が経てば経つほど事実関係が曖昧になり、議論がどんどん錯綜していったのです。

 

 若宮戸や三坂町についての議論の混迷ぶりも困りものですが、このたびの水害における事実誤認の最たるものが、これからこの項目で取り扱う「八間堀川(はちけんぼりがわ)」をめぐる件です。

 近くに住んでいる暇人である当 naturalright.org は、時々「川パト」に出かけるのですが、水海道(みつかいどう)地区(常総市のうちほぼ南半分にあたる合併前の旧水海道市のうち、鬼怒川左岸〔東岸〕の中心市街地は「水海道何々町」と名付けられ、市役所などがあります)で、「人災だ」という声を聞いたことがあります。しかしそれは若宮戸や三坂町での国土交通省関東地方整備局の行為(もしくは不作為)についてのものなのではなく、「八間堀川の氾濫」は国土交通省だけでなく河川管理者の茨城県知事(茨城県土木部河川課)や地元自治体の常総市役所に原因があるという趣旨での「人災」発言なのです。

 常総市南部の水害の原因は八間堀川の氾濫にあるという驚くべき主張は、地元の報道企業(地方紙1社と、全国紙2社の地元支局・通信局)が思いつきで始めたもののようです。記事内容を見ても特段の取材に基づくものでもなく、生来の飽きっぽさからそのうち沈静化するだろうと思っていたのですが、少なからぬ追随者が登場してこれに付和雷同し拡散に努めているようで、いつまでも燻っています。

 この荒唐無稽な珍説「水海道水害八間堀川唯一原因説」について、いささか手間暇かかりますが事実にもとづいて検討・批判することにいたします。

 最初に、関東鉄道常総線の水海道駅近くのホテルに勤務する方がインターネット上に公開している「ブログ」から、2015年9月26日の記事を引用します。この日の記事のタイトルは「八間堀川も決壊したのです (2)」というものですhttp://plaza.rakuten.co.jp/fatmama/ なお、「(1)」は見当たりません)。

 

「鬼怒川の堤防が決壊した場所は、ここからは遠いと思っていた」

「離れているから大丈夫だと思っていた」

と多くの方がおっしゃいます。

昨日お見えになった方も、

「え~っ! ここまで来たの?」

「どうしてこんなところまで?」

と驚かれていました。

 

そうなんです。

 

同じ常総市内ではありますが、

決壊した鬼怒川の堤防は、水海道の市街からは、車で15分も20分もかかる場所なのです。

なので、離れた上流の堤防が決壊したと聞いて、

あの日、巷では、「この辺りは助かった」という声が囁かれていました。

 

ところが、市内には鬼怒川の支流で、市街地を流れ小貝川まで流れる小さな八間堀(はちけん

ぼり)という川がありまして、その八間掘川が決壊。

つまり、正確に言うと、鬼怒川の堤防が決壊して流れ出た鬼怒川の水が市街地まで来た、

のではなく、八間掘川が決壊して、その水が市街地全体を包み込んだのです。

 

というわけで、

八間掘川にほど近い市役所も郵便局も病院も学校も水没。

市の中心部が大きな被害を受けたのです。

テレビでは、鬼怒川の堤防が決壊した映像ばかりが流され、八間掘川の映像が流されることが

ないので、市街地の被害についてはご存じない方が多いのですが、

ホテルのスタッフは9名が被災していて、ホテルは少ない人数で営業していますし、

市内の友人たちも程度の差はありますが、ほとんどが被災しています。

また、街の中の多くの商店や事業所が甚大な被害を受け、まだまだ再開できない状況が続いて

います。

  

写真はホテル前の道路、川のようになって波を打ちながら東から西へと流れていきました

3.11を彷彿させる風景でした。

 

 

 なお、この記事に寄せられた「コメント」2件のうちのひとつはつぎのとおりです。

 

Re:八間堀川も決壊したのです(09/26)

大生小学校脇の八間堀川左岸(相平橋西辺)も決壊したようです。十花町とか平町の浸水は酷いものだったと言う。大生小学校は未だ開校してないようです。 (September 29, 2015 09:37:55 PM)

 

 

 

八間堀川が破堤しなければ水海道地区は浸水しなかった、という認識

 

 「ブログ」の記事の冒頭近くにこうあります。

 

同じ常総市内ではありますが、決壊した鬼怒川の堤防は、水海道の市街からは、車で15分も20分もかかる場所なのです。なので、離れた上流の堤防が決壊したと聞いて、あの日、巷では、「この辺りは助かった」という声が囁かれていました。

 

 「ハザードマップがあったのに見ていなかったのか」と、あとになってしたり顔でご高説を垂れる自称専門家や報道会社などからみると、典型的な楽観論というところでしょう。しかし、9月10日の午後9時頃までは、旧水海道市の中心市街地だった常総市水海道地区(町名には、この「水海道」が残されました)に、若宮戸や三坂町からの氾濫水がいずれ到達することをあらかじめ警告した機関はどこにもないのです。

 

 「ハザードマップ」の件については、改めて別ページで詳述しますが(近日予定)、複数地点(明記されていませんが、おそらく数十か所)での破堤によって予想されるそれぞれの最大浸水深を全部合算したものであって(それぞれの地点の最大浸水深を表示するということのようで、単純に足すわけではありません)、特定地点の破堤が数km離れたところにどのような影響を与えるかを読み取ることは不可能です。たとえば水海道地区のうち新八間堀川南岸地区の場合には、豊水橋(ほうすいきょう)付近左岸の破堤による浸水深が表現されているのであって、若宮戸や三坂町での破堤の場合に水海道地区までその氾濫水が到達するか否かが表記されているわけではありません。また、さまざまの箇所で破堤した場合といっても、その氾濫水の量の多寡によって当然浸水深だけでなく浸水範囲も異なるのです。たまたま今回は一応「ハザードマップ」の通りになったというだけであって(厳密にいうとそう見えるというだけであって、前提条件が異なるのですから一致するわけはありません。ほとんどの報道やコメントは間違ったことを平気で言い放ったのです)、「溢水(いっすい)」や「決壊」の程度によっては、浸水範囲・浸水深がはるかに小さかった可能性もあったのです。

 

 なお、この件もいずれ検討しなければなりませんが、若宮戸からの氾濫については、当日、国土交通省は明らかに過小に広報していました(現在もそれはかわりません)。少なめに見積もっても若宮戸は全氾濫量の2割程度に及ぶようですが、ことによると3ないし4割が若宮戸の2か所(25.35kmのソーラーパネル地点と、24.75km地点)からの「溢水」によるものかもしれません。ところが9月10日の朝7時の時点のテレビ報道は、画面では本石下(もといしげ)付近の県道357号線(旧国道294号線)でのひどい氾濫浸水状況を映し出しているのに、言葉では「越水」という耳慣れないけれども軽い印象を与える用語でたいしたことのないかのような言い方にとどまる、極めてちぐはぐなものでした。このため、避難指示の出ていた県道24号線以北の新石下地区の人たちの多くが、通常通り出勤・登校してしまい、勤務先・登校先で大規模な出水を知らされることになったのです。ある住人の方は、念のため同居していた高齢者を区域外の親類宅へあずけたうえで出勤し、10時30分頃に勤務先で氾濫被害を知らされてそのまま避難生活にはいったそうです。自宅は床下浸水(ただし、和室の床・畳と浴室が損壊)の被害をこうむり、庭先で飼い犬が震えて待ったいたとのことです。当然、他地区から新石下地区に出勤・登校した人も大勢いて、ある知人の方はやはり正午前に常総市南部の自宅へ帰ることになりましたが、脱出しようにも国道294号線は激しい渋滞で、そこへ向かう道路は車がまったく進まない状態になり、裏道をたどってほうほうの体で自宅へ戻ったとのことです(その夜、自宅は2m以上浸水したのです)。

 

 幾度も指摘していますが、「災害救援」のために派遣された陸上自衛隊の車両が、常総市役所の駐車場で何台も水没したのです。さらにいうと、国土交通省自身も、浸水範囲・浸水深がこれほどのものになるとは予想していなかった可能性も高いのです(他人を欺こうとするものは、不可避的に自らをも欺く、ということの実例です)。この点については再度検討することとし、ここでは本題にもどることにします。近代的装備と情報力を誇る軍事組織でさえ予想できなかったことを、地元の役場やまして一般市民が知っていて当然だとは到底いえないでしょう。ですから、本 naturalright.org としても、上に引用した「ブログ」の著者をいささかでも責めたり、軽蔑したりしているのではありません。むしろ、当日の市民の受け止め方について、きわめて客観的に記録してあることに注目したいと思います。後ほど見ることにしますが、たいした根拠もないことを自信たっぷりに断言したり軽率に断罪してみせる凡百の新聞記者や「ツイートする人たち」より、よほど優れているのです。そのような人々を「水海道水害八間堀川唯一原因説」の提唱者たちは欺いているのです。

 

 


 

 左の地図の上のバルーンが三坂町の破堤地点(水海道駅前から直線距離で9.5km、若宮戸は三坂町のさらに北4kmほどです)、下のバルーンと右の拡大図の下のバルーンが「ブログ」の作者の勤務先です。ブログ記事の写真はその南面道路のものだと思われます。右の図の上のバルーンは、コメントに出てくる大生(おおの)小学校前の八間堀川左岸堤防の破堤地点です。 

 市街地から新八間堀川への排水口(樋門 ひもん)のゲートを閉じるのが遅れたために、新八間堀川から鬼怒川への排水停止(9日午後1時ころ)によって上昇した新八間堀川の水が市街地に逆流して20ないし30cm程度の冠水が起きたものの、間もなく樋門を閉じることでいったん浸水がおさまったのです(説明がおくれましたが、右上地図の「きぬ医師会病院」付近で分流し小貝川へ注ぐ狭小な八間堀川本流と別れて、鬼怒川へまっすぐ向かう河道を「新八間堀川」と言います。ただし、両者を一括して「八間堀川」と呼ぶのが通例ですから、以下でも適宜呼称します)。

 ところが、夜の9時頃になって、水海道市街地は夕方の小規模な出水とはまったく異なる大規模な氾濫に見舞われることになります(市役所の浸水が午後9時ころからのようです。八間堀川北岸はもっと早かったようですし、さきほどのブログの写真は明るいうちのようにも見え(照明か?)、時刻も不明です。この項目では浸水時刻については今のところわからないものとして、断定的言及はおこなわないこととします)。右上の地図の左下隅にあるのが、例の「高台にある高校」つまり茨城県立水海道第一高校で、ここだけが常総市鬼怒川左岸唯一の洪積台地(こうせきだいち)になっていて浸水を免れますが、水海道市街地から南隣の「つくばみらい市」の一部まで、一気に浸水したのです。水海道地区のうち市街地を東から西に流れる新八間堀川北岸には八間堀川西岸を南下してきた氾濫水が、市役所や「きぬ医師会病院」(そして「ブログ」主の勤務先のホテル)のある新八間堀川南岸には、八間堀川東岸を南下してきた氾濫水が、東から西へと回り込むようにしてそれぞれ流れ込んだのです(南下する氾濫水は同一水面をなした一体のものであって、八間堀川でキッチリと分かれていたわけではありませんが)。小貝川の堤防と、つくばみらい市以南の洪積台地に行く手を阻まれた数千万立方メートルの氾濫水は、その後の新八間堀川から鬼怒川への水門開放や、消防や国土交通省の内水排水ポンプ車の作業によって鬼怒川と小貝川に排水されるまで、数日間これらの地域にとどまることになります(航空写真はグーグル・クライシス・レスボンス http://www.google.org/crisisresponse/japan/archive?hl=ja 閲覧方法については、reference4B の説明をご覧ください)。

 

 

 

 

 常総市南部の水海道地区市街地や、南東部の平町(へいまち)や十花町(じゅっかまち)を含む水田地帯を数日間にわたって水没させた水は、そのすべてが、若宮戸の2か所と三坂町、あわせて3か所から氾濫し、緩やかに傾斜する鬼怒川東岸の後背湿地(谷底平野)を、左右(東西)の自然堤防地形の一部をも浸しながら数時間かけて南下してきたものでした。ところが、この「ブログ」を書いた人は、次のように述べるのです。

 

正確に言うと、鬼怒川の堤防が決壊して流れ出た鬼怒川の水が市街地まで来た、のではなく、八間掘川が決壊して、その水が市街地全体を包み込んだのです。

 

 まさに言葉通りです。鬼怒川からの氾濫とは別に、八間堀川の決壊(破堤のこと)という事象があり、それこそが、しかもそれだけが水海道地区全体の浸水の原因だったというのです。また、記事についた「コメント」は、すべて伝聞によるものですが、水海道市街地の北東部の「十花町とか平町」の「酷い」浸水をあげたうえで(ここまでは事実)、それらが鬼怒川の破堤とはまったく無関係の独立した事象である八間堀川の破堤によるものだ、という認識を示しています。

 

 常総市南部を浸した氾濫水の起源と軌跡についての以上の naturalright.org の説明では、「八間堀川唯一原因説」を提唱する人たちは当然、納得しないでしょう。以下のページにおいて、事実をあげて立証をおこなうことにいたします。若宮戸の「溢水(いっすい)」や三坂町の破堤と異なり、写真は大量にありますし、避難が滞ったために多くの目撃者がいらっしゃいます。復旧作業がほとんど進んでいないことから、現在も現地調査が可能です。全部を順序立てて配列するのはいささか手数を要することになるとはいえ、基本的には比較的容易な作業ですので、速やかに進行することとします。