6 2019年水害の隠蔽❶

4年前の2015年9月10日につづき、ふたたび浸水被害をうけた、幼稚園

(2019年10月13日 15:16、左岸5.5k付近、最高水位時には一階窓に達した)

 

Mar., 16, 2021

 

 前ページで見た、2019年10月13日の、台風19号の際の鬼怒川最下流部における水害については、関東地方整備局下館(しもだて)河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)は、一切公表していません。

 新聞・テレビは本当に知らなかったようで、筑西市の無堤区間での再度の浸水被害は報道したものの、こちらについては報道していません。情報源は基本的には国交省であるためにこうなるのですが、情けない話です。若宮戸や三坂、水海道元町が大丈夫だったので、その下流で前回より50cm以上も水位が上昇することなど、考えもつかないのです。この2019年台風19号の際には、千曲川(長野県長野市穂保など)のほか、茨城県内でも久慈川や那珂川の相対的に大規模な水害があったので、こちらの相対的に規模の小さい水害のことなど気付きもしないということです。

 ところが、電力会社や損害保険会社は把握しており、料金減免や補償などの措置について広報しています。下の左列は、JXTGエネルギー株式会社、右列はそんぽADRセンターの広報(抄録)です(いずれも、該当の常総市・つくばみらい市・守谷市に赤アンダーライン)。

 


 

 報道機関の体たらくは、能力の欠如によるものでしょう。電力会社や保険会社は情報収集能力を発揮して社会的責任を果たしているわけです。下館河川事務所による被災地の黙殺・無視は作為的であり、しかも執拗かつ陰険です。

 水害直後に照会したところ、大山新田排水樋管から玉台橋まで(L5.25kからL6.00k付近)の築堤工事は、予定では2019年3月に完了するはずであったが、無堤区間の河道に基礎地盤を造成したところ、地盤が安定せず堤体の建造が遅延したために、2019年10月時点では堤防が未完成だった、と説明するのですが、当該区間の最高水位、堤防の完成時の天端高と、工事中途であった当時の高さ、それどころか計画高水位の数値すら回答できないのです。知っていて隠すと言うより、築堤工事は建設業者任せ、当日の水位測定はしていないからデータがない、計画高水位などの基本的データすら手元に置いていないという、はなはだ頼りない状況なのです。

 大規模出水後は、測量会社に痕跡水位の測定をさせることになっているので、測定結果がいつ出るのかと問うても、時期ははっきりせず、年内から年度内と問い合わせのたびに遅延するのです。自分で出かけていって測定する気などはさらさらないだけでなく、測量会社に一部データだけでも早急に報告させることもしないようで、とにかく事実にはまったく興味関心を示さないというのが下館河川事務所の基本姿勢なのです。

 2020年10月に、別の件で下館河川事務所の幹部職員に面会した際、痕跡水位の一覧表を持っていると言うので当然写しをいただけると思いきや、渡せないし見せることもできない、行政文書開示手続きをとれ、と言うのです。2、3箇所だけなら教えてやるとおっしゃるのですが、データの全部ならともかく2つ3つだけ恩着せがましいお役人様から施しを受けてもたいした意味もないだろうと、それきりにしてしまったのです。

 後になって考えると、試しに「L4.75k」「L5.50k」の値くらいを訊いておけば、2、3か月は無駄にする時間を節約できたかもしれないのです。というのも、煩瑣で迂遠な行政文書開示手続きをとって痕跡水位データをとったところが、なんと3.00kから7.00kまでと、11.00kから11.50kまでが両岸とも「不明確」だというのです。

 下が、鬼怒川の国(国土交通大臣)直轄区間のうち、3.00kより上流の全区間のデータです。26.00kあたりまでが常総市、46.5kあたりまでが茨城県区間で、そこから上流は栃木県区間です。2015年水害における若宮戸の「溢水」(いっすい。堤防がない区間での氾濫のこと)地点は、25.35k付近と24.75k(正確には24.63k)付近、三坂の破堤地点が21.00k付近です。

 3.00kから55.00kまでが新星コンサルタントのデータですが(上流側については調査中)、そこに夥しい数の「不明確」が並んでいます。55.25kから上流には、「不明確」はひとつもありません。

 




 

 当面必要な4.75kから5.50kは「不明確」、しかも両岸ともですから、これでは計画高水位との比較はもちろん、過去の洪水・水害との比較すらできません。3〜4ページで見た豊岡(とよおか)や水海道元町(みつかいどうもとまち)の11.00kから11.25kも同様に「不明確」です。

 上の引用は、開示された文書の全部です。一覧表の「タイトル」だけはかろうじてありますが、作成者名も作成日もありません。こんなものを「行政文書」だと称して開示する神経は到底理解できません。

 開示請求をうけてあらたに文書を作成して開示するのは違法行為ですが、pdfファイルの属性表示を見ると、作成日は開示請求後の日付になっていて、おおいに疑わしいのです。

 これで「行政文書」といえるのかと関東地方整備局に照会したところ、これは下館河川事務所がおおもとのデータをもとにして、そこから摘記したものだというのです。元になった調査報告書があるとのことなので、あらためてそれを開示するよう求め、さらに数週間が徒過したのち送られてきたのが、『H31鬼怒川下流部流量観測業務 業務概要』(令和2年3月、株式会社新星コンサルタント)〈下左、177ページのpdfと、677ページのpdf〉と『H31鬼怒川下流部流量観測業務 現地調査報告書』(令和元年5月、株式会社新星コンサルタント)〈下右、2044ページのpdf〉という2つの文書です。タイトルの通り、水害の痕跡水位調査だけではなく、流量観測や別の時期に実施した河道の横断測量結果などの基礎データとその集計なのですが、pdf3つが700MBのCD-ROM1枚に収まらず、DVD-ROMで送られてくる大部の文書となっているのです。

 




 表紙のスクリーンショットを掲げましたので、日付に注目ください。2019年度は、年度途中の5月1日に「平成」から「令和」への改元がありましたが、年度としては「平成31年度」とされているようです。それはよいのですが、前ページに引き続き本ページで問題にしているのは、2019年10月13日の氾濫です。その「令和元年」10月13日の氾濫、すなわち年度としては「平成31年度」の10月13日の氾濫による痕跡水位の調査結果を含む「現地調査報告書」が、その5か月前に、「令和元年5月」づけの報告書として、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所に納入され、それがここにこうして開示された、ということなのです。

 まさか新星コンサルタントが表紙の日付を誤記したまま納入し、下館河川事務所がその間違いに気づかず受領し、それからだいぶ経ってから請求者に開示した、などということはありえないでしょう。そうなると、これは当時の文書それ自体なのではなく、あとになって、つまり、開示直前に作り直したものであり、その際とんでもない間違いをしでかした、と考えるほかありません。

 さらにこれらのpdfの属性表示を見ると、作成日は、元になったコンサルタント会社の報告書を開示することにする、と関東地方整備局から開示請求者に電話連絡があった、その直後の日付なのです。

 内容を修正し、そのうえなぜか表紙の日付を間違えて作り直した文書を開示した、と推定するほかないのですが、誰がこんなことをしたのでしょうか。新星コンサルタントに命令してやらせることもできるでしょう。pdfファイルの修正は簡単にできますから(ただし通常の修正操作〔redact〕をおこなっても作成日時はそのまま維持されます。新たな作成日の文書は新たに作成されたものです)、印刷物のほかDVDに保存したpdfでも納入を受けている下館河川事務所が、独自にやってやれないこともありません。いずれにしても下館河川事務所主導でおこなわれた書き換えです。

 ごく外形的なところですでに支離滅裂になっているのですが、問題は内容です。総ページ数2898ページにおよぶ文書ともなると、どこかを下手にいじると必ずほかと辻褄が合わなくなります。矛盾点を詰めていけば、どこを修正(改竄)したかは早晩あきらかになります。

 

 これから、復元作業にとりかかることにします。

 さきほど、最初に開示された7ページの「鬼怒川痕跡調査一覧表」を全部引用しましたが、それに対応する新星コンサルタントの「報告書」の表は、下の左列のとおりです。新星コンサルタントの分担は3.00kから55.00kまでです。さきほどの表では、250mごとでしたが、それに加えて水門・樋管・橋梁なども測定点になっています。

 比較のために、右の列に、2015年9月10日の水害の際の痕跡水位の一覧表を引用します。同じく新星コンサルタントが作成し、同じく下館河川事務所に納入した報告書です。2019年10月の一覧表の「不採用」、さきほどの表で言う「不明確」の多さが際立ちます。

 



 下館河川事務所の説明によると、「痕跡水位」は、泥・ゴミ・草などの付着箇所を特定し、その標高を記録するのであるが、或る地点の測定値が、その上下流の測定値と大きく食い違ったり、あるいは対岸の測定値と大きく食い違う場合に、このように「不採用」にするのだというのです。そして、この「不採用」については、報告書の完成前に、新星コンサルタントと下館河川事務所との「協議」によって決めた、というのです。新星コンサルタントが報告書を作成した、というのではないことになります。完成・納入以前に、いわば原稿の時点で下館河川事務所にお伺いを立て、その見解に基づいて記述内容を変更している、ということになります。語るに落ちるとはこのことです。下館河川事務所主導で、数多くの地点が、連続的に「不採用」にされたということです。

 この「不採用」は、さきほどの集計表でいう「不明確」にあたるのですが、だいぶ意味が違います。「不明確」というのは、情報がまったくないわけではありませんから、2015年洪水の測定の「ほぼ明確」のように、一応は数値を記すべきです。2015年9月の洪水の場合には、「明確」や「ほぼ明確」のほかに「想定」というのがあり、それらについてさえ、数値は記されています。ところが2019年洪水にあっては「不明確」即「不採用」となり、データは一切記されず、空欄(「−」)になるのです。これはあきらかに行きすぎています。

 なによりおかしいのは、ところどころが「不採用」になるのではなく、4kmとか5kmの長距離にわたって、連続的に数十箇所の測定点が「不採用」になっていることです。これでは上下流との比較も何もあったものではありません。また、両岸共に「不採用」のところもかなりあるのですが、これでは「対岸との比較」などそもそもできないわけです。長距離にわたる両岸「不採用」など、如何にしてもありえません。下館河川事務所の説明が成り立つ余地はありません。

 そうなると、唯一考えられるのは、該当の一連区間を測定した新星コンサルタントの係員が、出鱈目な測定をしたとか、あるいは取得したデータを紛失してしまったとか、いうことくらいです。しかし、3000ページ近い文書には、痕跡水位の測定点を記した平面図がありますし、なにより全地点における痕跡水位測定の際の写真や、現場で測定値をボールペンで記入した「手簿」の原本が含まれているのです。データを紛失したとか、測定することができなかったということは、ただの一箇所もなかったのです。

 

 次ページでは、痕跡水位の測定点を記した平面図、現場で記入した「手簿」を見ることにします。あわせて、測定の様子を撮影したとされる写真もみます。