5 2019年の鬼怒川水害

 

Dec., 2, 2019.

 

 2019(令和1)年10月12日から13日にかけて、静岡県に上陸して関東地方から東北地方を北上した台風19号により、関東地方・長野県・東北地方の広い範囲で水害が発生しました。鬼怒川でも4年前の水害以来の増水があり、茨城県内の無堤区間2箇所で氾濫被害が生じました。

 このページでは、この台風19号による増水の状況を、まず2〜4ページで検討した常総(じょうそう)市南部の豊岡(とよおか)町と水海道元町(みつかいどうもとまち)について、ついで「若宮戸の河畔砂丘 15」で検討したつくばみらい市絹の台(きぬのだい)から守谷(もりや)市大山新田について、見ていくことにします。

 2015(平成27)年の関東東北豪雨の際のこの2地点の水位と、今回の台風19号の際の2地点の水位の関係の顕著な違いに注目し、「下流優先論」や「上・下流バランス論」が前提とする認識の錯誤を明らかにします。(豊岡と水海道元町の堤防の状況、鬼怒川水海道水位流量観測所の位置等については、2〜4ページで詳述したので、ここでは再論しません。)

 


2019年台風19号時の水海道元町の状況

 

 水文(すいもん)水質データベース(http://www1.river.go.jp)で表示される2019年10月13日の「鬼怒川水海道水位流量観測所」(http://163.49.30.82/cgi-bin/SiteInfo.exe?ID=303031283307160)の1時間ごとのデータは次のとおりです。3:00頃から1時間あたり100cm前後、ついで60cm程度のペースで急激に水位が上昇し、9:00から10:00頃にかけてピークとなったあと、15:00ころから毎時30cmくらいのペースで低下しています。(洪水時には水位上昇は急激に、水位低下はそれより緩やかに起きるのが通例のパターンです。)

 

 上の数値は、観測所の「零点高」という〝基準値〟からの水位(水面の標高。水深ではありませんから、マイナスもありうるわけです)です。しかも、利根川水系についてはY.P.値という、一般的なT.P.値(東京湾の平均海面標高を基準にする標高表示)より0.84m大きな値になっていていささか煩雑です。

 この「零点高」の9.914mに各時点の水位の値を加えたものが、その時点のY.P.値の水位です。10月13日の最高水位は、9.914プラス7.51(10:00)のY.P. 17.424mです。

 ちなみに、2015年9月10日の最高水位は、13:00の、9.914プラス8.07のY.P. 17.984mでしたから、その時より、56cm低かったわけです。(4年前には最高水位は8.06mとされていましたが、その後訂正されたようです。今回のものもそのうち訂正されるかもしれませんが、せいぜい1〜2cmでしょう。)

 

 

 

 当日の写真を、常総市在住のジャーナリストの方から提供していただきました。深く感謝申し上げ、ここに掲載させていただきます。

 まず、右岸の豊岡町側から下流方向の豊水橋(ほうすいきょう)を見たところです。撮影時刻は12:12で、水位はピークよりわずかに低下しています。手前は、2015年水害後に改修された豊岡地先の堤防の川表(かわおもて)側法面(のりめん)の上部です。

 やや上流に右写真(遠景は筑波山)のとおり、高水敷におりる坂路があります。そこから豊水橋を撮影したものが次です(12:07)。

(以下、比較のために示す水害後の写真は、当方が11月に撮影したものです。)

 

 つぎに対岸の様子です。

 まず、巨大な塔が見えている八間堀(はちけんぼり)水門、その上流側の八間堀川樋管、背後の八間堀川排水機場の建物です。いずれも国土交通省が設置し操作する施設で、鬼怒川の水位が上昇した時に、八間堀川(水海道市街地区間は「新八間堀川」)への逆流を防ぐために水門の巨大なゲート板を降ろし、必要に応じてディーゼルエンジン駆動の排水ポンプ(毎秒15トンが2基)で樋管(堤防を貫通する暗渠)を通じて八間堀川から鬼怒川に排水するものです。

 鬼怒川の水位が上昇し、水門・樋管ともに閉鎖している状態です(12:18)。

 画面右にすこし見えているのが、前月に完成した水海道元町の堤防の上流端です。

 

 八間堀水門のアップです(11:45)。

 平常時の写真です。水門を開放し、樋管を閉鎖してポンプの運転を停止しています。

 

 豊水橋上流側の右岸堤防から、豊水橋の桁下を通して左岸堤防をみたところです。堤防の下流側=右側の草丈の高い部分までが水海道本町(ほんちょう)の堤防、上流側=左側の草丈の短い部分が、前月に完成したばかりの水海道元町区間の新造堤防です(前ページに詳述)。水位が下がり始めた11:47です。水面近くの茶色は洪水が運んできた草などのゴミです。ペットボトルなども残されています。

 前月に完成した堤防の下流端は約19.2m(Y.P.)であり(前ページ参照)、この時点の水位はさきほどの表から約17.2mですから、写真のとおり堤防天端まで約2mだったわけです。水位が下がり始めて、水防団の人たちもほっとしていることでしょう。

 

 後日、ほぼ同じ角度で撮影したものです。水海道本町と水海道元町の境界がわかります。それにしても、上の写真はかなりの超望遠レンズによる撮影だったのです。


水海道元町の新造堤防区間の洪水痕跡

 右岸からの写真につづいて、左岸の水海道元町の新造堤防に残る洪水痕跡をみてゆきます。

 豊水橋の上流側、さきほどの八間堀水門直下の、新造堤防の上流端です。設計図書では、天端の標高は、Y.P. 18.855mです(手すりの下、コンクリートの上面)。

 以下、豊水橋の下流側の洪水痕跡を見ます。

【写真い】

 画面左の古いコンクリートブロック擁壁は豊水橋の取り付け部分で、手前側が新造堤防の上流端近くです。

 コンクリートブロックとパラペットの継ぎ目の段差に、洪水が運んできたゴミが残っています。

 写真を提供くださったジャーナリストが、当日パラペットの下部の文字が隠れたのが最高水位だったと、棒で指し示しているところです。

 

 

【写真ろ】

 パラペット区間のちょうど中間あたり、観水公園のところに高水敷に降りる階段があります。そこではパラペットの河道側の立面を間近に見て正確に測定することができます。

 パラペットの立面は、ステンシル文字で記されているように1550mmですが、下部のコンクリートブロックの上面からパラペットの天辺まではモルタルの継ぎ目を含めて、1555mmあります。そして、下から285mmのところ、ちょうど「パラペット」のステンシル文字が隠れるあたりに、洪水痕跡の泥の線が残っています。パラペットの天辺は堤防の天端高で、約18.8m(Y.P. )です。そこから1270mm(=1555−285)下が最高水位の痕跡で、約17.5mです。ここから約230m下流の水位観測所のデータでは最高水位は17.424mですから、妥当な値です。

 

【写真は】

 パラペット区間の下流端です。

 アスファルト舗装面がパラペット天端より40cmほど高い土堤区間になり、そのまま58m続いて、既設堤防につながります。

 土堤区間では、川表側法面に洪水が運んできた枯れ草やペットボトルなどのゴミが残っています。


鬼怒川左岸つくばみらい市絹の台から守谷市大山新田にかけての浸水被害

 左岸11kのやや上流から、6kmあまり下った左岸4kから5.5kのつくばみらい市絹の台から守谷市大山新田にかけての状況を見ることにします。

 

 この4kから5.5kについては、若宮戸の河畔砂丘 15 で、この区間の地理的条件と、江戸幕府以降建設省・国土交通省による治水史について、各種地図・写真で詳細に検討してありますので、あらかじめご覧ください。

 なお、このページは、2019年台風19号以前に作成したものであり、そこでの痕跡水位や氾濫被害の記述は、この2019年10月のものではなく、2015年9月10日のものです。その際も、この区間の浸水被害は、若宮戸や三坂に由来する氾濫水によるものではなく、この区間の氾濫によるものでした。

 

 この付近は、左岸の高水敷の一部が右岸側の常総市内守谷(うちもりや)町の飛地〔の地先?〕になっていて、住居表示がいささか複雑です。この点についても「若宮戸の河畔砂丘 15」に示してあります。ここでは、行政区画については簡略的に表示します。)

 地図の左端、滝下橋直下が3k地点で、ここから上流が下館(しもだて)河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)の管轄です(ここから下流は利根川上流河川事務所〔埼玉県久喜市〕の管轄)。赤が河川区域境界線で、黄が河川保全区域境界線です。

 写真は、地図の右の方、左岸4kと4.25kの中間にある小屋場(こやば)排水樋管です。この地図の範囲は、両岸が更新世段丘を開削した絶壁になっていて、高水敷もなく河道の幅は50m前後しかありません。広角レンズなので遠近感が誇張されていますが、対岸はすぐ近くです。

 小屋場排水樋管の水位標を拡大してみます。

 時刻は11:09で、水位標は4.85mを示しています。10:00から11:00にかけてがゆるやかなピークで、コンクリートがまだ濡れている4.9mが最高水位でした。

 朝から見ていた人の話では、6:00が4.4m、9:00に4.6mだったとのことです。

 6:00から、下がり始めた11:00過ぎまで、5時間あまりの水位差は45cmしかありません。同じ時間にさきほどの11k近くの鬼怒川水海道水位流量観測所では、110cm変化していました。約8km下っただけですが、水位変化の様相は大きく異なり、この地点ではかなり長い時間にわたって水位が高いままだったのです。

 この排水樋管の管理者である守谷市交通防災課に照会したところ、「ゼロ点高」は、Y.P. 9.60mですから、ピーク時の水位はY.P. 14.50mです。2015年9月10日のY.P. 13.90mより60cm高かったのです。

 なお、守谷市交通防災課の公式記録では、13:00の水位は、Y.P. 14.20mです(最高水位ではありません)。

【写真に】

 更新世段丘から高水敷に降りる坂路の中間地点です。

 氾濫水位がゆるやかなピークに達していた10:40です。さきほどの小屋場樋管に移動する直前までの数十分間見ていましたがほとんど水位は変化しませんでした。

 

【写真ほ】

 その350m上流で、同様に更新世段丘から高水敷に降りる中間地点です。

 水際の5mほど先に斜めに頭を出しているのが河川区域境界の標石です。10:00から11:00ころのピークより70cmほど水位が低下した、14:31です。

 この時刻になると、みるみるうちに水位が下がるのがわかりました。

 

 上の写真の奥に見える、人が立っている坂路から下流方向の冠水面を見たところです。

 画面右の樹木のさらに右の河道は、江戸時代に開削された区間です。見えている左岸の水面は、もとは更新世段丘(洪積台地)に入り込んだ侵食谷です。

 河川区域内の土地ですが、民有地のようでふだんは耕地として利用されています。この時点でも洪水は河川区域境界線をこえています(14:41)

 上の坂路を、回れ右して上流側に登り切ったところです。5.25kの大山新田排水樋管部分の短い堤防です。

 24mm広角レンズなので対岸がはるかかなたにあるように見えてしまいますが、対岸の更新世段丘までは250mです。普段の河道の幅は80mほどです。(14:45)

 

 その上流側に建造途中の堤防です。

 画面奥は対岸ではなく、カーブしている左岸で、画面左端が玉台橋です。

 この写真は14:50で、最高水位より70cm程度水位が低下しています。すなわち、これ以前にここを越えて、この後見る住宅・耕地・幼稚園へと氾濫したのです。

 

 右は氾濫が始まった直後、6:00頃の同じ場所です。アンドロイド・スマホで撮影した住民の方から提供していただいたものです。最高水位に達するだいぶ前ですが、未完成堤防は完全に水没して、上部の作業用の手すりだけが見えています。さきほどの小屋場樋管では、この5時間ほどで約50cm水位が上昇しています。

 下は、水害前の2019年7月に、対岸から撮影したもので、左の赤屋根がこの後見る幼稚園の園舎、その右が耕地、右端の樹木の影が納屋兼住宅です。見えている草地は右岸の高水敷で、河道は見えません。

 その下の写真が未完成堤防の下流端です。川表側法面に置かれた橙フェンスが、上に写っている「安全➕第一」のフェンスです。

 建造途中の堤防の上面は、大山新田排水樋管のある堤防天端より2m以上低いのです。

 


 大山新田樋管から250mほど上流の住宅です。画面奥に、小さく河道と右岸が見えます。

 1階が土間コン打ちの納屋で、4年前にも浸水しましたが、今回はさらに水位が高かったのです。(14:58)

 

 この家の方に指差していただいているのは、4〜5時間前の、10:00から11:00のピーク時の水位です。

 この14:58には、それより75cm下がっています。

 今回の氾濫水位は、4年前より50cm程度高かったのです。

 住宅の上流側の耕地です。河道側に緩やかに傾斜している耕地の中程、農機具を入れた物置がまだ1mほど冠水しています。4年前につづく、再度の被災です。

 その向こうに黒く見えるのが未完成堤防と作業用手すりです。その向こうが河道と対岸の常総市内守谷(うちもりや)町きぬの里です。(15:02)

 

 カメラを引いて、耕地の南東側の道路から、耕地と河道の方をみたところです。

 4年前の水害時の氾濫水の最高水位がこの道路すれすれでした。水害後、幼稚園は敷地を取り囲むように擁壁を作ったのですが、今回の氾濫は4年前より50cmほど高かったために、5時ころに奥の河道から擁壁をこえて園地に氾濫しはじめたとのことです。(15:13)

 

 うしろを振り返って、住宅地(守谷市松前台3丁目)の道路に置かれた土嚢です。

 4年前はこの道路面の直下でとまったのですが、今回は坂になっている道路の中途まで冠水しました。左の車庫のコンクリート床は泥をかぶり、住民が清掃に追われていました。(15:13)

 

 4年前には建築中だった園舎です。その時は、鉄骨の骨組みだけだったので、被害はほとんどありませんでしたが、今回は擁壁を越えて浸水し、1階が床上浸水し甚大な被害を受けました。(15:56)

 

 

 水害から4年を経過し、若宮戸や三坂を含め他の部分の築堤はほぼ終了しているのですが、同様に氾濫したこの地点ではコンクリートブロックの積み上げ工事の最中でした。更新世段丘の崖面下の河道に基礎地盤を造成する工事に手間取ったとのことですが、前回の被災地の最下流部の築堤が最後になっていたわけです。堤防工事について、下館河川事務所に照会しましたが、計画高水位の数値すら答えられない状況で一向に要領をえず、堤防の標高などの規格は一切不明です。難工事で時間がかかるというのであれば、せめて土嚢などで仮締め切りをするなどしてもよかったと思いますが、前回の水害時に「50年に一度の降雨」のせいだと宣伝でごまかした無責任体質ですから、わずか4年後にそれ以上の洪水がくることなど毫も考えなかったのでしょう。

 鬼怒川では、筑西市左岸の無堤区間でも氾濫し、ふたたび住宅等に被害が出ました。筑西市の件については『茨城新聞』が報道しましたが、この4.75kから5.5kを含む区間についての報道は一切ありません。さらに重大なのはこれら2か所については、関東地方整備局/下館河川事務所は一切広報せず、事実上秘匿していることです。

 


「上・下流バランス論」の陥穽

 

 1ページで詳述したとおり、国交省は、鬼怒川水害訴訟(2018年8月提訴)において、若宮戸(わかみやど。ここから約20km上流)の築堤を後回しにしたのは、下流の築堤・嵩上げを優先するのが原則だからだ、と言っているのですが、肝心の「下流」でこのような事態が起きたのでは、その言い訳の説得力はほとんどないといわざるをえないでしょう。

 しかし、このことをもって俗説「下流優先論」や「上・下流バランス論」の批判をおしまいにしてしまったのでは、重要な観点を見逃すことになります。このページで、水海道元町から水海道本町にかけて(11k〜11.25k)と、守谷市大山新田からつくばみらい市絹の台にかけて(4k〜5.5k)の2地点をあわせ見たことで、きわめて重大な、それでいてじつに単純な事実があきらかになったのです。

 すなわち、前回2015年9月10日の水位にたいして、今回の2019年10月13日の水位は、つぎのとおりです。

 

水海道元町から水海道本町(11k〜11.25k)では、約 50 cm 低かった。

 

つくばみらい市から守谷市(4k〜5.5k)では、約 50〜60 cm 高かった。

 

 つまり、ある地点、たとえば11k付近の水海道元町で4年前より50cmも水位が低かったからといって、別のある地点、たとえば4kから5.5kのつくばみらい市から守谷市にかけても同様に4年前より水位が低くなる、というわけではなかったのです。水海道が50cm低いから、守谷も同じくらい低いだろうと思うとさにあらず、逆に50cmも高かったのです。2点間の水位が〝併行関係〟ではなく、〝逆転関係〟を示したのです。(こんなところで〝差し引き〟するのはあまり意味はないかもしれませんが、)差し引き1m以上も差がでるのです。

 素人考えではいささか不可解な現象ですが、2015年9月と2019年10月に経験した、紛れもない事実です。もちろん、こうした洪水時以外にも各種データを見れば、同様の現象を確認することはできるでしょう。しかし、水位の〝併行関係〟ではなく〝逆転関係〟ともいうべき現象が、数十kmも離れた2点間ならいざしらず、同一河川の数kmしか離れていないところで、それも、計画高水位に迫り、あるいはそれを超過するような洪水時の現象として、確認できたことの意味は大きいと思います。

 などと、さもたいしたことを発見したかのように言っていると、そんなわかりきったことを今更言うな! ただの素人の浅慮だろう! と馬鹿にされそうです。まことにごもっともです。しかし、この程度の素人考え以下のことを裁判資料に平気で書いてくる人がいるのです。本項目の1ページ目で引用した鬼怒川水害訴訟における被告「国」の準備書面です。再掲します。

 


 

 まわりくどいうえ混乱していて趣旨のよくわからない記述です。左最下部から次のとおり言っています(傍線・ボールド体は引用者)。

 

「当該地先〔25.35kなど若宮戸のこと〕においては、既往最高〔……〕の水位程度の洪水では氾濫が発生しなかったものであるが、平成14年〔2002年〕7月洪水の際に、下流の常総市豊岡地先では、堤防の未整備箇所において外水による浸水被害が生じ、また、常総市水海道本町〔水海道元町の誤り〕では堤防天端近くまで水位が上昇し危険な状況が生じていた。」

 

 いろいろおかしなことを言っています。「既往最高の水位」などと、どこの水位なのかお構いなしに言っているのがそもそも間違いなのですが、それにしてもその「既往最高」を少々超えれば若宮戸で大氾濫が起きるのが明らかになったのですから(「鹿沼のダム」〔http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/flood2002_02.html〕参照)、速やかに対策を講ずるべきなのに、こんごとも「既往最高」を超えることはないと決めてかかっていたことを自白しているのです。「既往最高」を「未来永劫最高」だと決めてかかるオウンゴール記述です。

 それはさておくとしても、法務省の訟務検事と国交省の素人官僚の合作によるこの記述は、さきに述べたような、2点間の水位において、常に〝併行関係〟が成立する、という根拠のない思い込みに立脚しているのです。そんなことはないという言い訳は成り立ちません。こういう思い込みがなければ言い出すはずのない妄言です。

 2015年9月10日と2019年10月13日とにおける、2点間の水位の〝逆転現象〟は、どちらかが正常値であって他方が異常値であったというものではありません。次にどうなるかは何とも言えないのです。2015年にどうであったかは、2019年にどうなるかとは別問題でした。国側代理人が「下流優先論」「上・下流バランス論」を展開した翌年に、さっそくそれを裏切る事象が起きたのです。こういう妄言はもう通用しません。

 〝逆転関係〟の原因は、基本的には利根川との関係、すなわち2015年9月10日と2019年10月13日とにおける鬼怒川の0k地点、つまり合流地点における利根川の水位の違いにあるのです。簡単にいうと、2019年には利根川の水位が高かったため、鬼怒川の最下流部の水位が上昇したのです。いわゆる back water (背水)現象です。これを「逆流」と訳し、本当に利根川から鬼怒川への逆流が起きたと考えてしまうと、大間違いです(テレビ番組などではよく見られます)。これについては、別に論ずることにします。

 次ページでは、この2019年水害を国土交通省関東地方整備局下館河川事務所が、記録を捏造したうえで、隠蔽している件について検討します。