三坂における河川管理史 5

 

三坂の破堤原因に関する仮説 (i)

 

堤体と基礎地盤の遮水に配慮した三坂の復旧堤防

 

July 30, 2020 (ver. 1.)

 

(0) あらずもがなの前置

 

 鬼怒川にかんする河川改修予算の大半を費消して上流部に設置された4つの巨大ダム(五十里・川治・川俣・湯西川 〔いかり・かわじ・かわまた・ゆにしがわ〕)は、一時的に水を蓄えるだけでなく、恒常的に上流部の侵食土砂の流下を阻止することになりました。それまで続いていた「中流区間」(おおむね栃木県区間)での砂利の堆積ならびに、「下流区間」(利根川への合流にいたる、おおむね茨城県区間)での砂の堆積がほとんど停止しました。河川の河口からの砂の供給が絶たれることで、海岸の砂浜が減退する現象はよく知られていますが、河川自体においても河畔砂丘(かはんさきゅう river bank dune)の形成停止、砂州の消滅、高水敷の変性・侵食などが進行していたのです。

 ところが、ダム設置によって「中流区間」「下流区間」での砂利・砂の採掘は停止するどころか、とりわけ「高度経済成長」期以降急増したことで、河畔砂丘・砂州・高水敷の状況はおおきく変わりました。とりわけ、若宮戸(わかみやど)における河畔砂丘の掘削と、三坂(みさか)における採砂は、2015年の鬼怒川水害の直接原因となったのです。

 若宮戸については、別項目で検討したとおり、河畔砂丘掘削と水害との因果関係は明白です。ただし、社会的には解明は不十分で、24.75k(正確には24.63k)と25.35kにおける「溢水(いっすい)」の機序の解明はほとんど進んでいません。それどころか、訴訟(2018年提訴、水戸地方裁判所)においてさえ、国交省のでたらめな主張を覆すに至っていません。

 三坂については、氾濫の状況と原因が若宮戸のようには一見して明らかとは言えないこともあり、「越水」による破堤という単純で迂闊な理解(誤解)が通説になってしまっているようです。

 

 三坂について国土交通省関東地方整備局は、水害前と水害後の詳細なデータを所蔵しているはずですが、それらは、ほんの1%も公表されていないでしょう。全貌は闇の中です。当時も現在も、国交省職員であっても全部を熟知している者はひとりもいないでしょう。誰もわからないとなると、「1%」などというのもまったく当てにならない推測です。資料の死蔵・消滅と担当者の異動・退職・死亡などにより、鬼怒川水害の全体像はこのまま永遠に隠されたままになるでしょう。多くはコンピュータのハードディスク上の電子データですから、紙の資料のような存在感は希薄ですし、たとえ故意にではないとしても一瞬にして失われることにもなるのです。

 

 一例をあげておきます。

 「三坂における堤防決壊」で見た、対岸(右岸)の将門(しょうもん)川合流地点の篠山(しのやま)水門に併設されているCCTVは、関東地方整備局下館河川事務所から遠隔操作され、映像を下館河川事務所に常時送信しています。水害後に開示請求したのに対して開示された動画データは、破堤開始時刻とされる9月10日12:50から30分以上経過した13:23以降のものでした。破堤といっても一瞬の出来事ではなく、越水開始から氾濫の終了までは20時間以上あったようですから、11:00以前と思われる越水開始から2時間以上経過した後のデータも重要ではあります。破堤の進行状況とその原因解明のためには、とりわけ破堤直前から破堤の瞬間がどうだったのかを見たいところなのですが、それらの動画データは「存在しない」というのです。

 「まさかの三坂 5」と「6」で見たのは、12:52:16から14:12:56までの32枚の静止画像データでした。そのうち、13:23以降はこの動画データ(下の一覧表の左端「動画」列の青枠部分)から切り出したもののようです。しかし、12:52:16から13:09:14までの23枚については、切り出す元になったはずの動画データは存在しないのに、そこから切り出したと思われる12:52:16から13:09:14までの23枚の静止画像だけは存在するというのです。じつに不思議な話です(一覧表の「時刻」欄は、各静止画像の時・分・秒)。

 

 

 13:23以降の動画データだけを開示したことについて、関東地方整備局は当初、撮影を開始したのは13:23であり、それ以前は撮影していないと言っていました。越水していることを11:30ころには知っていたはずなのにおかしいではないかと言ったところで、「担当者がすでに退職したのでよくわからない」というお定まりの言い訳をするだけなのですが、それ以前の静止画像データが公表されているのだから、当然それを切り出す元となる動画データも存在するのではないかと問うたところ、いくらか本気になって調査をおこなったようです。行政文書保存部署でありしたがって開示請求先となる関東地方整備局河川管理課が、撮影およびデータ保存を実行(ないし不実行)した下館河川事務所から説明を聞いたうえで、当方に回答するという隔靴掻痒を何度か繰り返したうえで、一応次のような回答がありました。

⑴ 篠山水門のCCTVカメラの画像は、常時、下館河川事務所のモニター画面に表示されている。

⑵ 関東地方整備局のウェブサイトで公表している9月10日12:52:16から13:09:14までの23枚の静止画像は、リアルタイムで下館河川事務所からカメラを遠隔操作(方向や画角の調整)しつつ、モニター画面を見ながらそのつどシャッターを切って撮影したものである。

⑶ 9月10日13:23までは、時々静止画像を撮影しながらモニター画面を見ていだけで、動画データをハードディスクに保存することはしなかった。(保存しないのがデフォルト。利根川の八斗島〔やったじま=群馬県伊勢崎市〕水位観測所のような重要箇所の場合はデータを保存するが、保存期間は3ないし5日である。年ではなく日!)

⑷ 9月10日13:23に動画データの保存を開始した。

⑸ 開示請求に対して、「顔写真および自動車のナンバープレートが写り込んでいる」部分を除く動画データを開示した。〔別ページ参照〕

 三坂における越水開始の一報は遅くとも11:30以前には入っていたはずなのに、越水から破堤にいたる決定的画像を見逃したうえ、動画データも保存し損なったというのですから仰天です。この調子ですから、国土交通省にあっては、必要なデータが保存されないとか、保存されたとしても雲散霧消してしまうのは日常茶飯事のようです。

 もう一例あげておきます。

 国土交通省は、鬼怒川水害の被災者団体や国会議員に対して、1965(昭和40)年に鬼怒川の「直轄管理」開始時点で実施した鬼怒川の河川区域の決定においては、それ以前の河川管理者であった茨城県が設定していた河川区域を「踏襲した」と説明しました。堤防のない若宮戸地区で不適切な河川区域を設定したために、河畔砂丘の掘削を座視容認して2箇所(24.75k〔正確には24.63k〕付近と25.35k付近)からの氾濫をまねいたことを指摘されたので、従来の線引きをおこなった茨城県に責任転嫁しようというものです(もちろん、だからといって、迂闊に「踏襲」した責任を免れるわけではないのですが……。)

 そこで、河川区域設定に際して「踏襲」したという茨城県が設定していた河川区域が記されている文書(図面)はあるのかと問うたところ、霞ヶ関の国土交通省以下、関東地方整備局、下館河川事務所のどこにもそのような文書は存在しないというのです。国土交通省(本省)職員は、その茨城県が設定していた河川区域図が、かつて存在したかどうかも知らないのはもちろん、現に存在しないことを知っている(すくなくとも見たことはない)のに、国土交通省(当時は建設省)がそれを「踏襲」したのだと虚偽の説明をしていたわけです。

 

 あらゆるデータを独占的に保有する国土交通省にしてこの体たらくです。国策派河川工学者たちにいたっては、国土交通省が恩着せがましく与えてくれる、おこぼれ情報をありがたく頂戴し、陳腐な結論の提灯研究を濫造するばかりです。そんな特権とも無縁の国民としてみれば、もはや何の手がかりもないのかというと、必ずしもそうでもないのです。これが原子力政策(例:福島第一原子力発電所事故)とか医療政策(例:COVID-19)であれば、決定的な情報はほぼ行政当局が独占したうえで、そのほとんどを秘匿していて、国民がそれにアクセスすることは極めて困難なのです。しかし、こと河川政策(例:水害)に関しては、たとえば国会事故調査委員会ですら原子力発電所への立ち入り調査ができなかったのとは異なり、何の権限もない国民であっても河川や水害現場を随時直接見聞することができるのです。近くに住んでいる暇人である当 naturalright.org ほどではないにしても、茨城・栃木・埼玉・東京の人であれば、日帰り日程で若宮戸や三坂、水海道などを気軽に訪れることができます。。

 資料も、相当量のものが入手可能です。福島第一原子力発電所の事故では爆発の瞬間を撮影した映像ですらほとんど公開されていないか、あっても死蔵・秘匿されているのに対して、水害の場合には不十分ながらも国交省撮影のもののほか、公的ないし民間の各研究機関によるもの、とりわけ重要なグーグルの衛星写真・航空写真などがいまなお公表されているのです。

 また、たいていの組織や「専門家」たちが、さまざまの資料を抱え込んでしまって、社会的に公表することを怠っているのとは対照的に、ウェブサイト「平成27年関東・東北豪雨災害〜鬼怒川水害〜」( http://kinugawa-suigai.seesaa.net )と、「鹿沼のダム」( http://kanumanodamu.lolipop.jp )が開示請求制度によって独自に入手した資料を惜しげもなく公開していることも、決定的な意味があります。

 前項目「三坂における堤防決壊」の全15ページと、本項目のここまでの全4ページでは、あまりにも冗長であることを承知の上で、それらの写真・地図を総覧してきました。関東地方整備局の「鬼怒川堤防調査委員会」の報告書では、三坂の越水から破堤の状況について、不正確な平面図をそえて乱雑に並べるだけでしたが、前項目「三坂における堤防決壊」では水害当日の写真を、グーグルの各時期の衛星写真によって作成した詳細な平面図上で堤防の区間区分をしたうえで、堤防上・対岸・堤内住宅の撮影位置ごとに、それぞれを時間的経過にしたがって配列し、そこから読み取れることを全部列挙しました。写真を提示する際には、「見ればわかるはず」とばかりに漫然と掲載する安易な手法は許されず、そこから読み取れる事項をいちいち明記すべきであると考えるからです。印刷物であっては大量の大判カラー写真を掲載することは事実上不可能なのですが、ウェブサイトであればせいぜい制限は1ページあたりの容量だけであり、印刷物では到底不可能な枚数をいくらでも掲載することができるのです。

 そして本項目「鬼怒川堤防決壊の原因」の「三坂における河川管理史 1」から「4」まででは、航空写真・衛星写真が残っているアジア太平洋戦争後について、三坂付近の河道・砂州・高水敷・堤防の変遷をたどりました。従来であれば、河川の実地探索にあっては国土地理院の地形図が事実上唯一の資料だったのでしょう。国交省の河川平面図も含め、人為的な操作を経て抽象化されたうえで作図される地図は、各種のものを並べて見ると露呈する食い違い、不適切な表記、さらにはあきらかな誤記が多く、決定的な証拠とはなりえないのです。しかし、写真を併用することでその弱点を補正することができるわけです。

 さらに、水害直後には現地に立ち入ることは遠慮したものの(事実上不可能ですし、素人がウロウロするわけにもまいりませんから)、その後たびたび現地を訪れて撮影した写真も示すことで、地形や水害発生状況に関する通説の誤謬を摘示してあります。「自然堤防」と「河畔砂丘」の混同とか、越水すれば破堤するという単純な思い込みは、中学生程度の地理的知識の欠如もさることながら、とりあえず現地を自分の目で見るという当然のことをしない怠慢ゆえの必然的結果なのです。

 などと自己満足に浸っていても仕方ありません。ここからはそうして導き出したひとつの仮説を述べることにします。

 

 


⑴ 復旧堤防における川表遮水工法・ドレーン工法

 

 次の2つは、左岸21k付近の「本復旧堤防」上に立っている説明看板です。決壊幅約200m(破堤したのはそのうち165m)を二等分し、上流工区を鹿島(かじま)建設、下流工区を大成(たいせい)建設がそれぞれ分担し施工しました。

 

 

 それぞれの看板の中段左に、堤防と基礎地盤の断面図があります。当然、鹿島・大成とも同一です。下に鹿島のものを示します。「荒締切」というのは、水害後に応急復旧のために急造された仮堤防ですが、それをそのままにして上に土を被せて「本復旧」堤防にしたのではありません。工事中の写真からわかるように、いったん「荒締切」も全部撤去し、基礎地盤まで掘り込み、2m以上「置換盛土」したうえで「本復旧」堤防を建造したのです。

 

 

 「3 盛土」はともかく、「6 張芝」「7 天端舗装工」はごく一般的な工法ですが、「1 置換盛土」・「2 遮水鋼矢板」・「4 ドレーン工法」・「5 大型連接ブロック」と「遮水シート」が採用されていることに注目しなければなりません。そこに重大な意味があるのです。

 とりわけ注目すべきなのは、「2 遮水鋼矢板」です。河道側(川表側)法尻(のりじり)に、鋼矢板(こうやいた)を打ち込んだのです。図では地面から3mくらいまで、つまり3分の1ほどしか描かれていませんが、両社の看板の左下に規格が書いてあります。鹿島区間は、長さ9mのものを145枚、大成区間は、長さ7mのものと9mのものをあわせて147枚です。「1 置換盛土」よりさらに地下深く、堤体高の5.4mを遥かに上回る9mもの深さまで、「遮水」のための鋼矢板を隙間なく打ち込んであるのです。

 2015年9月10日に堤体と基礎地盤を「水」が通ったこと、それが破堤の根本原因であること、今後の破堤を回避するためには、その「水」の通りを「遮」る構造物を堤体と地下に設置する必要がある、というのが関東地方整備局の判断だったのです。もちろん、そんなことは一切も言っていませんが、現実の措置がそれを明らかにしているのです。

 


⑵ 川表遮水工法・ドレーン工法採用の理由

 

 独立行政法人土木研究所が2013(平成25)年に発行した『河川堤防の浸透に対する照査・設計のポイント』(https://www.pwri.go.jp/team/smd/pdf/syousasekkei_point1306.pdf)の記述を見ます。「独立」の語を冠し、名称のどこにも国土交通省とはうたっていませんが、かつては内務省・建設省・国土交通省の外局であり、「独立」後も国土交通省の統制下にある独立行政法人土木研究所です。所在地は、鬼怒川の三坂地点から車で20分少々の、茨城県つくば市です。(2015〔平成27 〕年に国立研究開発法人土木研究所に改編されています。)

 『河川堤防の浸透に対する照査・設計のポイント』に、三坂の復旧堤防の構造決定の根拠となった記述があります。まず、表紙と目次、奥付を引用します。奥付の「執筆一覧」のとおり、国土交通省の堤防担当部局の職員も複数加わっているのですから、国交省による築堤に際しての正式かつ基本的文書であることは間違いありません。この2年後の三坂における堤防決壊への対処にあたっては、当然参照しているでしょう。参照どころか、厳正に準拠しているはずです。見ていないなどということはありえないでしょう。(引用文書と区別するため、以下、地の文は青灰色にします。)






 次は、「表のり面被覆工法」についての記述です。これが本復旧堤防の「5 大型連接ブロック」です。





 次は、「表のり面被覆工法」すなわち「5 大型連接ブロック」「遮水シート」だけでは不十分な場合についての記述です。





 「表のり面被覆工法」すなわち「5 大型連接ブロック」「遮水シート」だけでは不十分で、透水性地盤を通して「浸透水の回り込み」が起きる場合には、「川表遮水工法」を併用すべきとする記述です。すなわち本復旧堤防の「2 遮水鋼矢板」です。





 「表のり面被覆工法」すなわち「5 大型連接ブロック」 と「遮水シート」だけでは不十分で、「裏のり尻付近の堤体内水位が上昇」する場合には、「ドレーン工法」を併用すべきとする記述です。すなわち本復旧堤防の「4 ドレーン工(かごマット)」です。





 以上のとおり、本復旧堤防は、土木研文書の記述にしたがって設計され、将来の浸透による破堤を回避しうるものとして建造されたのです。すなわち、決壊地点の堤防と基礎地盤の工法は、20015年9月10日、浸透により破堤したという事実認識を前提にして採用されたのです。

 水害直後の2015年9月13日、現地調査と称してこの地点をごく短時間だけ見物した直後、対岸の篠山水門わきで新聞・テレビ向けに披瀝された「鬼怒川堤防調査委員会」の安田進教授(委員長代理)は、「いま見た限りではしっかりした地盤がある。だんだん越流して崩して行ったのかな」と述べました(別ページ参照)。この段階で予め決まっていた結論である「越水による破堤」のために、透視術を発揮したのです。


 このあと「堤防調査委員会報告書」は、「越水前の浸透によるパイピングについては〔……〕決壊の主原因ではないものの、決壊を助長する可能性は否定できない」などと、まことに歯切れのわるい言い方で、越水破堤論一本槍から軌道修正することになりますが(別ページ参照)、文面上は破堤の主要な原因であったと認めることはしませんでした。

 安田先生に台詞を教え、ついで「報告書」の原案を作成した国土交通省/関東地方整備局でしたが、結局のところは浸透による破堤を窺わせる諸事実が続々と現れたことで、越水による破堤という単純な誤解を捨て去ったのです。そして、浸透が破堤の原因だったと判断し、復旧堤防の設計にあたってはそれを踏まえた構造を採用したのです。

 


⑶ 仮堤防と復旧堤防の変形

 

  この地点の基礎地盤の状態を物語る事実をみてゆきます。

 まず、仮堤防です。取り付け部分と河道側の鋼矢板による二重締め切りを含めて、上流区間を鹿島、下流区間を大成が分担して、昼夜兼行の突貫工事により9月24日夜に完成したのですが(https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000633539.pdf)、その時点ですでに波打っていました。

 衛星写真は、グーグルアースの2015年10月9日のものです。

 

 次は、下流側(上の写真では右側)の取り付け部から上流方向を見たところです(2015年12月)。左が河道側につくられた鋼矢板による二重締切です。堤内側に見える傾いた家屋は「住宅2」、その向こうが「住宅1」で、ビデオを撮影した2階の白いベランダが見えます。

 コンクリートブロックの規格も異なるので、両社の施工範囲がよくわかります。手前の大成区間の川表側法面の天端近く(画面中央)がかなり波打っています。

 

 次は、上流側の取り付け部から下流方向を見たところです。外国からの視察団が立っているのは、下流側の大成区間です。(仮堤防は立ち入り禁止です。青服は引率している関東地方整備局の職員です。)遠くに見えるのはアグリロードの常総きぬ大橋です。

 手前が鹿島の区間で、天端のコンクリートブロックが見えているのですが、かなり波打っています。特に川表側が顕著です。

 

 完成前にしてすでに波打っていたのですが、その原因は、堤体そのものの不同圧密によるものか、それとも基礎地盤がかなり軟弱だったせいか、あるいはまたその両方だったのか、これだけではよくわかりません。台風シーズンでいつまた増水するかもしれないので、とにかく早く作らなければなりませんから、基礎地盤改良どころではなかったことは確かです。

 

 こうして国土交通省/関東地方整備局は、この仮堤防を撤去して恒久的な復旧堤防を建造するにあたっては、前項で見たように、「1 置換盛土」・「2 遮水鋼矢板」・「4 ドレーン工法」・「5 大型連接ブロック」と「遮水シート」を全部盛り込んで施工したのです。その復旧堤防の現状を見ることにします。下は、完成から約3年後の2019年9月の復旧堤防です。アスファルト舗装面に「21. 00K」とステンシルしてあるのが見えます。遠くに緩やかに弧を描いているのがアグリロードの常総きぬ大橋です。

 

 上の写真では、雨の後だったので水溜りができています。以下は、2019年10月です。水溜りは乾いていますが、上の写真でも見られた泥溜まりが見えます。天端のアスファルト舗装は元々排水のために川表側に雨勾配がつけられているのですが、このように河道側法肩の手前が縦断方向に連続して沈降しているために水溜まりができ、乾いた後に泥溜まりを作ってしまうのです。

 波打った河道側の幅140cmほどの舗装をやり直してあるようにも見えます(左)。

 ところどころ、法肩手前にヒビも入っています(右)。


 アスファルト舗装が波打っている区間を確認しておきます。撮影方向が一貫しなくて申し訳ありませんが、以下は下流側から上流側を、後退りしながら撮影したものです。

 

 1枚目。河道側法肩に青い幟が立っているところが、復旧堤防の上流端です。その上流側は、復旧堤防完成後に、激特事業(「鬼怒川緊急対策プロジェクト」)により、復旧堤防と同じ堤高・天端幅になるよう嵩上げ・拡幅されているので、(1)で見た看板とは様子が違っています。川裏側法面下に見えるのが加藤桐材工場です。舗装の波打ちはB区間の下流端辺りから始まります。

 

 2枚目。下流方向に後退りして、先ほど写っていた「21. 00K」のペイントが見えます。カメラ位置がちょうどC区間とD区間の境です。

 川裏側の加藤桐材工場の手前が「住宅1」のカーポートですが、「住宅1」と堤防の間にあってビデオに写っていた百日紅があった場所です(別ページ参照)。

 B区間の下流端にあったあのケヤキも伐採されてしまいました。

 

 3枚目。小さくてわかりにくいのですが、川表側法肩にある21kの距離標石に棒が立てられ、その頂点に赤いピラピラがついています。川裏側法肩に白い「イ」の字の形に見えるのが、⑴で見た堤防の構造を描いてある鹿島の看板です。舗装面の「21. 00K」ペイントはよく見えませんが、距離標石のある21k地点に立てたのです。堤内に見える梅鼠壁の陸屋根は全壊して再建された「住宅2」、その向こうが「住宅1」と先ほどのカーポートです。

 手前、天端に横断方向に舗装面の継ぎ目があります。ここが向う側の鹿島区間と、手前側の大成区間の境界です。


 

 4枚目。その舗装の継ぎ目地点から横断方向に堤内を見下ろしたところです。マルーン壁の陸屋根の建物は先ほどの「住宅2」ではありません。

 

 以上見てきたことを、衛星写真上で確認します。下は、2019年4月13日のグーグルの衛星写真に決壊した200m区間の区間区分と、鹿島・大成両社の施工範囲を描き加えたものです。

 アスファルト舗装が波打っているのは、B区間の下流側のケヤキがあった辺りから、百日紅があったC区間、越水していなかったD区間、最も激しく越水していたE区間、最初に破堤したF区間にかけてです。

 全て鹿島が施工した区間です。しかし、鹿島が手抜き工事をしてこうなった、というわけではないでしょう。⑴で見た看板の通り、3mほど土を入れ替え、そのうえに全て新しい土を盛って堤体を形成したのですし、それは鹿島も大成も完全に同じだったのです。差異があるのは、その下、地下深くの見えないところです。

 この区間は、特に基礎地盤に何らかの原因があると考えざるを得ません。

 

 ちなみに、この区間の左岸堤防の石下(いしげ)大橋からアグリロードの常総きぬ大橋までの約2.2km区間は車両通行止めとなっています。他区間の堤防工事のためのダンプ道路は、下の衛星写真のとおり堤外側の高水敷に作られています。堤防天端を総重量20tのダンプカーがひっきりなしに走ってアスファルトが撓んだ、などということはありません。アスファルトの波打ち具合は、かつて一般的だった、50tも過積載したダンプカーによってできたものに一見よく似ているのですが、これはそういうものではありません。ダンプカーによってできる轍は、ダブルタイヤの幅に陥没するのですが、その両側は盛り上がるのです。ここの波打ち具合はそれとはまったく異なり、堤体のはるか下、基礎地盤に起因するものです。他の原因は考えられません。



 仮説としても、これだけではまだまだ根拠不足です。他の根拠も示さなければなりません。

 話の途中ですが、ページあたりの容量制限のため、以下、次ページ(近日中)