鬼怒川堤防決壊の原因

 

 前項目では、2015年9月10日の三坂における破堤の進行状況を、入手できるほとんどの資料を使って見てきました。現場にたまたま居合わせた国交省職員や委託企業従業員が命がけで撮影した画像や、堤内側から住民がこれも命がけで撮影した動画や、対岸から望遠撮影された河川カメラの画像など、「堤防調査委員会」がよく見もしないで漫然と列挙しているだけのもののほか、国交省・国土地理院、グーグル、防災科学技術研究所による水害後の現場写真などです。

 とりわけ、ほとんど注目されてこなかったのですが、「水煙」や段差の崖面からの砂の噴出現象は、きわめて重大な現象です。

 いささか回り道ですがこの「段差」の来歴をたどったあと、「水煙」現象について推測し、最後に(5以下で)この左岸・三坂付近で大規模な破堤がおきた原因について仮説を提起します。

 

三坂における河川管理史 1 戦後の採砂による砂州の消退

三坂における河川管理史 2 水害直前におこなわれた採砂による高水敷形状の激変

三坂における河川管理史 補 1920−30年代の内務省による直轄工事資料を閲覧します。

三坂における河川管理史 3 4mも掘り下げられた高水敷の段差が、2015年9月の大洪水に襲われ、大規模な崩壊をはじめます。

三坂における河川管理史 4 三坂では復旧堤防が完成したのですが、現在も高水敷の破断面で土砂の流出が続いています。地下地盤は安定していないのです。

三坂における河川管理史 5 三坂の破堤原因は越水ではなく浸透だった、という仮説を提出します。その1

三坂における河川管理史 6 仮説のつづき。破堤地点の「落堀」とされるものは、じつは地下地盤からの噴出痕だったと思われます。