ダムと堤防 3 下流優先の実態=水海道元町

 

Nov., 10, 2019.

 

 次は、2008(平成20)年1月23日づけの関東地方整備局の事業評価に関する文書における、豊岡(とよおか)の旧橋梁取り付け部と水海道市街地の更新世段丘部分に関する記述です(「鬼怒川改修事業」http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/kikaku/jigyohyoka/pdf/h19/04siryo/siryo1-5.pdf)。

 このうち右岸の豊岡町については、前ページでみたとおり、この時点で2006(平成18)年10月から2008(平成20)年3月31日までの工期で被災住宅群を移転のうえ新規に堤防を建設している最中です。豊岡町は対策完了目前ということで、左岸の水海道市街地が残っているわけです。

 





 左上の写真下の説明文では「常総市水海道本町地先」とありますが、この「水海道本町(ほんちょう)」は「水海道元町(もとまち)」の誤りです(「地先」というのも不適切ですが、これにはこれ以上こだわらないことにします)。「元町」と「本町」とはまるで〝元祖〟と〝本家〟の争いの如くですが、この地名の誤記に気づかないまま各種文書を見ていると、あとあと重要な点で勘違いを生ずることになるので、マピオンで町名を確認しておきます。地図の右半分、鬼怒川左岸側が、水海道(みつかいどう)と呼ばれる市街地です。結城(ゆうき)郡石下(いしげ)町との合併以前の水海道市の中心市街地で、合併後あえて「水海道」の名を重ねて「水海道◯◯町」としたほか、合併後の常総市の市役所も従来の位置におかれています。

 豊水橋(ほうすいきょう。豊岡〔とよおか〕と水海道から一文字ずつ)のたもとは常総市の鬼怒川左岸唯一の更新世段丘(こうしんせいだんきゅう。いわゆる洪積台地)です。地形や豊水橋の架け替え、ならびに豊岡町における築堤の経緯については前ページで詳述しました。

 





 河川法改正(1964〔昭和39〕年)による管轄権限の移譲に際して河川区域設定を誤ったために(1965〔昭和40〕年)、若宮戸の河畔砂丘のうち河川区域外に取り残された東側の最大の〝畝(ridge) 〟がほぼすべて掘削されたことで(1960年代後半)、ここからの氾濫の危険性が生じたにもかかわらず、国土交通省は曖昧で根拠のない「下流優先原則」「上下流バランス原則」を掲げて若宮戸における築堤を怠り、2015(平成27)年の大氾濫を引き起こしました(「若宮戸の河畔砂丘」参照)。

 さきほどの文書では、「上流部では概ね断面を満足しているものの、下流部は満足していない区間が多い」というのですが、そもそも河川の「上流」には堤防はほとんど存在しないのですから、示された図を勘案するとここで「上流」とは、「鬼怒川河川維持管理計画」(http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/gaiyo10/h23ijikanri%20kinu.pdf)などにいう「中流部」を指し、「下流」は「下流部」を指すようです。

 その一方で、写真の説明では「下流部は住宅密集地であり、堤防が低」いというのですが、筑西(ちくせい)市川島より下流がおしなべて「住宅密集地」であるはずもなく、この「下流部」とは「水海道本町」(水海道元町のこと)を指しているようなのです。前々ページでも指摘したように、国交省が書き散らす「上流」「下流」の用法は曖昧かつ融通無碍でほとんど出鱈目なのです。

 

 本ページでは、優先されるべき「下流」の例として、前ページで見た「豊岡町地先」とあわせて具体的に挙げられている「水海道本町地先」について、国土交通省はどのような措置を講じたのかをみることにします。つまり、若宮戸の築堤を後回しにしてまで優先すべき箇所であったのかをみることで、国交省いうところの「下流優先」論や「上下流のバランス」論が、妥当なものであったか否かを見極めようというものです。

 

 前ページで「豊岡町」について見たことを、本ページでは「水海道本町」と誤称する水海道元町について検討するわけですが、いささか迂遠な作業であり、単純な結論なのになにやら勿体をつけているようにも思われるかもしれませんので、あらかじめ結論を示しておくことにします。

 「豊岡町」については、この文書の時点で概ね対策が完了していたわけですが、水海道元町については何もしなかったのです。若宮戸の築堤を後回しにする必要があったという「住宅密集地」について、国土交通省は何もしないで放置し、2015(平成27)年9月10日の溢水にいたることになったのです。

 「下流優先論」あるいは「上下流バランス論」、すなわち、「下流」の危険箇所を残したまま「上流」の築堤・改修を先行させると「下流」での氾濫が不可避となるから、「上流」に無堤区間を残したことは妥当であったと、あとになって(訴訟を提起された時点で)言い立てている理屈が、そもそも曖昧で何の根拠もない謬論であったことがあきらかになります。すなわち、国交省関東地方整備局は「下流優先」「上下流バランス」といいながら、右岸=豊岡町については対処したものの、左岸=水海道元町は放置していたうえ、後回しにした若宮戸からの氾濫によって、三坂からの氾濫とあわせて、市域40㎢の水害を招来したのです。(下は、2015年9月11日10:00ころのGoogleCrisisResponseによる衛星写真 www.google.org/crisisresponse/japan/archive?

 


放置されていた水海道元町

 

 国土交通省文書で「堤防が低く洪水のたびに危険な状況にさらされている」として写真が示されている水海道元町の状況について、具体的に見ていきます。

 まず、グーグルマップの3D画像で、鬼怒川に面する水海道元町を俯瞰します。撮影日時は明記されていませんが、水害時の土嚢がまだ残っている様子から、2015年10月だと思われます。画像が小さくならないよう2分割します。1枚目が新八間堀川が注ぐ八間堀水門から豊水橋まで、2枚目が豊水橋から水海道本町(地先)の鬼怒川水海道水位流量観測所あたりまでです。

 これは、多方向から撮影した複数の画像から立体画像を再構成する特殊な手法によるもので、いわゆるCG手法?によって作画合成された3D風画像ではありません。方位・俯角を自由に変化させて眺めると、地形構造がよくわかります。パーソナルコンピュータ(Windows、MacOS、Linux)だけでなく、タブレットやスマートフォン(Android、iPadOS、iOS)でも見ることができます。

 

 

 この範囲を、地形図や各時期の衛星写真で見ていきます。

 まず、2013(平成25)年の航空測量と現地調査に基づく国土交通省の「鬼怒川平面図」です。すなわち、2015(平成27)年の水害直前の状況です。(https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/kinugawa-heimenzu1.pdf の6ページと7ページを継ぎ合わせたものですが、河道側から見上げるようにしたので、文字が逆さになっています。)

 

 

 これに、沿岸の河川構造物などを青字で、国交省文書が誤記した「水海道本町」と「水海道元町」の境界の一部を紫線で書き加えました。紫線の左、上流側が「危険な状態にさらされている」水海道元町です。鬼怒川水海道水位流量観測所は、いろいろな文書で「10.95k」とされていますが、観測機器のポールは11kの下流70m地点です(以下の図では「水位観測所」と略記します。あえて「鬼怒川」とついているのは、小貝川には小貝川水海道水位観測所〔http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/live/07.html〕があるので、それと区別するためです)。

 河道が屈曲しているので、11kポールと11.25kの標石の間隔は250mではなく、直線距離で約300mです。

 さらに、堤防を橙実線で、堤防のない更新世段丘の崖面を赤実線と赤破線で図示しました。国交省文書は、この赤線部分について「堤防が低く」と、まるで堤防があるようなことを書いていますが、さきほどのグーグルマップの3D画像やこのあとの衛星写真でわかるように、ここは堤防のない区間です。八間堀水門から11.25k付近まで、ならびに豊水橋から水海道本町との境界線あたりまでは護岸もなく、草の生えた崖面がむきだしになっている、堤防のない区間です。11.25kの少し下流から豊水橋までは護岸のコンクリートブロックがあり、一見すると掘り込み式堤防のように見えないこともないのですが、2019年にこれとは別に堤防が作られましたから、堤防であったとみなすことはできません。国交省文書は、町名表示を間違っただけでなく、堤防の有無についていつわりの事実を書いているのです。

 

 一事が万事。もっとも重要な点についてこの調子です。国交省の言うことは、事実その通りであったか、言った通りに実行したか、どれもこれも怪しいのです。些細な点での間違いなどではなく、最重要な点での意図的な虚偽があまりにも多いのです。決定的な点ほど疑ってかからないといけないわけです。

 

 この約350mは無堤区間です。とりわけ豊水橋より下流部分は少々複雑な地形形状になっているのですが、そこが「洪水のたびに危険な状況にさらされている」ということなのです。濃緑矢印は、2015(平成27)年9月10日に実際に溢水(いっすい。堤防のない地点からの氾濫)した地点です。

 

 

 前ページで豊岡町について見たとおり、パーソナルコンピュータ(Windows、MacOS、Linux)上のアプリケーション・ソフトウェアである GoogleEarthPro は、過去の衛星写真画像を切り替え表示することができます(画面上端のアイコンの中央、時計アイコンをクリックすると画面左上にスライダーが現れ、地域により区々ですが、10数枚を選択して表示することができます。本ページの一連の画像はクリックすると拡大しますから、その時期を読み取ることができます。画面右下にも同様に表示されています。)

 そうはいっても、大昔の画像はありません。それが必要ならば「地理院地図(https://maps.gsi.go.jp/)」(「情報 > 空中写真・衛星画像 > 単写真」)で第二次大戦後後の占領軍による航空写真以降のものから探すことになります。

 

(1a ) まず、2005(平成17)年2月6日の衛星写真です。

 

(1b ) さきほどの「鬼怒川平面図」同様、沿岸の河川構造物などを白字で、堤防を橙実線と橙破線で、堤防のない更新世段丘の崖面を黄実線と黄破線で図示しました。画面右、下流側の堤防(橙破線)はこのあと改修工事(拡幅と嵩上げ)がおこなわれることになります。

 

 

(2a ) それから5年後の2010(平成22)年5月8日の衛星写真です。さきほどの(1a )2005(平成17)年2月6日から、変化はありません。

 

(2b ) じつは、水海道元町より南の水海道本町以南で、2009(平成21)年9月16日から左岸堤防の改修が始まっています。工事は下流側から順におこなわれたので(「下流優先原則」?)、写真の範囲は未着工です。

 

 

(3a ) 2012(平成24)年3月16日の衛星写真です。

 

 

(3b ) 改修工事は、画面の右外側=下流側の水海道亀岡町から、水海道本町を経て、11kポールのやや上流の水海道元町との境界線までの520m区間でおこなわれ、写真の2週間後の2012(平成24)年3月31日に完了しました。その2週間前、この3月16日の写真ではちょうど「鬼怒川水海道水位流量観測所」のあたりから上流端にかけての盛り土工事をしているようで、バックホウで川表(かわおもて)側法面(のりめん)の突き固めをしている様子なども写っています。このあと芝貼りと天端(てんば)のアスファルト舗装がおこなわれることになります。

 

 水海道元町の無堤区間をあとまわしにして、水海道本町の堤防を改修したのは、なぜでしょうか? 水海道元町の写真に「水海道本町」と誤記したことと関係あるかもしれません。「本町」は、「もとまち」と読めないこともないわけで、「元町 もとまち」のつもりで「本町 もとまち!」の工事をしたのかもしれません。まさか……。

 

 

(4a ) 2014(平成26)年3月22日の衛星写真です。水海道本町での築堤工事が終わってから約2年後です。

 

 

(4b ) 水海道本町区間の改修に引き続いて上流側の水海道元町の築堤をすることもなく、2年間経過したわけです。水害の1年半前です。

 

 

(5a ) 氾濫の翌日、2015(平成27)年9月11日の10:00ころの衛星写真です。画面やや左上の赤い屋根は、水海道橋本町にある水海道幼稚園ですが、園庭が冠水しています。

 鬼怒川の水位がだいぶ低下して水位の逆転が解消したため、2時間ほど前に八間堀水門のゲートが開放され、新八間堀川から鬼怒川への自然排水がはじまっています。八間堀川排水機場の排水能力は毎秒30トンですが、水門を開放すれば水位差にもよりますが、それ以上に排出がすすむわけです。水門の両端には、全国から派遣された国交省の大型排水ポンプ車と白いホースが見えていますが、役目を終えてこんどは別の地点での排水をするようです。浮遊物の色の違いから大量の氾濫水がもとの鬼怒川に流入しているのがわかります。

 

 

(5b ) これにこれまで通り、河川施設等を記入します。

 緑矢印は、2015年9月10日に溢水(いっすい。堤防のない地点からの氾濫のこと)した4地点です。いずれも更新世段丘のなかでも標高の低い箇所で、下流側の2011(平成23)年度までに嵩上げした堤防より2m近く低かったのです。

 このうち3箇所では水防活動による土嚢積みがおこなわれました。上流側の観水公園(旧豊水橋の取り付け部)では積んだ土嚢を越えて道路の手前まで氾濫しました。中間の橙屋根の住宅の上流側の住宅では庭まで氾濫しました。下流側では「移行部斜路」と記した斜めの堤防?の堤内側?法尻から直下の住宅の庭とその先の住宅地まで氾濫しました。この下流側では、もし水防活動をしていなければかなりの規模の氾濫になっていたものと思われます。

 いずれの地点でもあと10〜20cmほど水位が上がっていれば、水防活動の甲斐もなく激しい氾濫がおきていたでしょう。そうなれば、この地点は豊水橋の取り付け部を除いて、左岸市街地のもっとも標高の高い地点ですから、今回の水害でかろうじて浸水を免れた更新世段丘上の水海道市街地もおおくが浸水することになったでしょう。地上写真など、詳細は「八間堀川問題 8」をご覧ください。

 

 

(6a ) 水害のほぼ1か月後、2015(平成27)年10月9日の衛星写真です。拡大すると、溢水した地点に土嚢や消毒用の石灰の跡が残っているのが見えます。

 

 

(6b )

 

(7a ) 2018(平成30)年5月15日の衛星写真です。いまのところ GoogleEarth の最新の画像です。水害から2年8か月経過していますが、状況はまったく変化していません。

 

 

(7b ) この翌年に「鬼怒川緊急対策プロジェクト」の一環として、水海道元町の更新世段丘部分に堤防が新設されます。新設されたきわめて変則的な堤防については、次ページで全区間を写真で紹介します。

 


口先だけの「下流優先論」「上下流バランス論」

 

 経過を見る前に書いてしまった結論をもういちど記します。

 

 国交省関東地方整備局は「下流優先」「上下流バランス」といいながら、右岸=豊岡町については対処したものの、左岸=水海道元町は放置していたのです。

 そして、後回しにした若宮戸からの氾濫によって、三坂からの氾濫とあわせて、水海道市街地を含む鬼怒川左岸のほぼすべての市域40㎢の水害を招来したのです。

 

 「下流優先論」あるいは「上下流バランス論」、すなわち、「下流」の危険箇所を残したまま「上流」の築堤・改修を先行させると「下流」での氾濫が不可避となるから、「上流」に無堤区間を残したことは妥当であったと、あとになって(訴訟を提起された時点で)言い立てているのですが、それには(訴訟用語でいうと)理由がなく失当です。

 


 

 水海道市街地は鬼怒川の最下流部ではありません。ここから5kmほど下ったつくばみらい市絹の台から守谷市大山新田にかけての更新世段丘区間では、「鬼怒川緊急プロジェクト」による築堤工事が完了しないまま、2019(令和1)年10月13日に台風19号による増水で浸水被害が起きています。4年めにまたしても被災したのです。その点でも「下流優先論」「上下流バランス論」は破綻しているのですが、5km下る前に、この水海道の更新世段丘部分には、「鬼怒川緊急プロジェクト」により、2019年に築堤がおこなわれたので、それについて次ページで詳細にみることにします。